法科大学院の未修者コースの

1年生のための民事訴訟法

2004年度後期版


基礎データ

授業の方法

初めてのことなので、試行錯誤の連続となると予想されるが、次のような授業を想定している。

成果

教師としての力量不足を痛切に感じる場面も幾度かあったが、振り返ってみれば、私にとって思い出に残る楽しい授業となった。

この授業に参加してくれた学生諸君との授業時間内外における対話を再構成して、「民事訴訟法を初めて学ぶ人とのダイアローグ」にまとめた。


補講第2回目 補講第1回目の翌週を予定している。2クラス合同授業とする

補講第1回目 2月中旬を予定している。2クラス合同授業とする

第14回目(1月*日) 学期末試験

第13回目(1月13日)

第12回目(12月16日)

授業は、次のように進めた。

結局、予定通りに進めず。再び時間不足。3時間目のクラスは、40条に時間をかけすぎて、独立当事者参加の入り口で終了。選定当事者にも入れず。

次回は、試験前の最後の授業である。今回のやり残した範囲を中心に質問を受け付けることにして、終了。

これまでは口頭主義に徹して、黒板に図を書くことも、スライドを用いることもせずに、教科書・判例集の文字と口頭説明だけで授業を進めてきたが、さすがに独立当事者参加訴訟になると、この手法では無理だ。図解を用いた説明が必要である(説明している自分の方が困難に陥る)。板書とスライドの2つの方法があるが、時間の節約のためにスライドを用いるべきであろう。

第11回目(12月9日)

授業は、次のように進めた。

学生諸君によれば、民訴の授業は教材が多くて大変だとのことだ。教科書が分厚いし、配布された資料が多いから民訴だけで一つのファイルが一杯になるからだ。今までの配付資料は、A4版両面印刷で、

学生諸君は、このほかに、同じ日にある民法の教材と六法を持参しなければならないから、全部を大学と自宅との間で持ち運ぶには、リュックサック必要になるかもしれない。勉強は全て大学ですることにして、教材はすべて大学のロッカーに置いている学生もいるようだ。

2002年度弁理士基礎研修」のために作った判例集は、知的財産関係の下級審判決も入れたので、A4版2段組で519頁。重さは、1.35Kg。同じようなものを作って、学生諸君に持参させたら、嫌がられそうだ。今の分冊方式がよいだろう。

判例資料を持参しない学生がいる一方で、教科書以外の参考書を2・3冊ほど持ち込んできている学生もいる。目立つのは、判例百選、体系書、書記官研修所の教科書、そして予備校の教科書。自分が学部で民訴を勉強した頃、わかりやすい体系書をさがしまわったことを思い出す。私には、小山昇先生の体系書がわかりやすかった。教科書は、開いたページに何が書いてあるか(どのような事項が書かれているか)が一目でわかるのがよい。1回の授業で20頁から30頁進む上に、年齢の関係で目の動きが悪くなつているので、教科書のレイアウトは教師にとっても重要だ。見開き2ページにゴッチク体で強調された見出しあるいはキーワードが4箇所から6箇所程度あるのがよい。最低限で2箇所はほしい。今の教科書は、少ない。もう一つ下のレベルの見出し語までゴチックになると見やすいと思うのだが、多すぎると、かえって見にくくなるから難しい。

ここ2・3回は、私からの質問は、教科書に書いてあることを読めば答えになる質問が多くなった。予習させるためにそのようにしているのであるが、学生諸君は幾分物足りない顔をし出したように見える。そのため、今日は、質問を受ける学生には教科書を閉じて答えさせた。これも一つの方法であるが、全般的に見て、質問のレベルアップを図るべき時期になったように思える。準備が大変だ。

第10回目(12月2日)

授業は、次のように進めた。

練習問題のうちで、次の問題に案外手間取った。

「交通事故の損害賠償請求訴訟において、原告は、被告に賠償責任があることを根拠付ける事実および原告に生じた損害に関する事実を主張した。裁判所は、被告は交通事故の加害者ではないと判断して、請求を棄却するつもりである。判決書に、当事者主張の「事実」として、原告に生じた損害に関する事実も書くべきか。裁判所が請求を認容する場合はどうか」。

民訴253条2項の理解を問う単純な問題であるが、「請求を特定するのに必要な事実」と「請求を理由づける事実」とを区別し、損害に関する事実ついては、後者の記載は必要ないが前者は必要であることを示さなければならない。となると、問題文で与えられた情報だけでは回答ができず、自分で適当に事例を想定して回答することが必要となる。その点の説明を当初意識していなかったために、その説明に至るまでに時間がかかってしまった。次回、下記の資料の該当個所の参照を指示する必要がある。

次の問題も手間取った。

Xは、Yに対して3回に渡って金銭を貸し付けた(以下「α債権」、「β債権」、「γ債権」と呼ぶ)。α債権について、Yがすでに弁済しており、かつ利息制限法違反の利率が合意されており、Yは過払利息について不当利得返還請求権を有している。Xが、Yに対してβ債権の支払請求の訴えを提起した。Yは、領収書を保存していないが、β債権はすでに弁済済みであると主張しつつ、予備的に不当利得返還請求権と相殺する旨の抗弁を準備書面に記載して、Xに送付した。これを見たXは、γ債権をもってX主張の不当利得返還請求権と相殺する旨の再抗弁を準備書面に記載し、Yに送付した。口頭弁論期日において、Xが訴状および準備書面に基づいて陳述した後で、Yが準備書面に基づいて陳述した。裁判所は、Xが口頭弁論期日において先に陳述しているので、Xの相殺の再抗弁により、Yの不当利得返還請求権は消滅していると判断し、Y主張の不当利得返還請求権とβ債権との相殺は効力を生じえないとして、β債権の支払請求を認容することができるか。

最高裁判所平成10年4月30日第1小法廷判決(平成5年(オ)第789号)民集52巻3号930頁を素材とした問題で、判決にそった回答を期待している。しかし、学生諸君は、相殺の論理的順序や時間的順序を問題とし、原審判決の当否を質問する。意識の片隅に追いやっていた論点なので、意識の中心に引き戻すのに時間がかかった。最高裁判決にしたがって回答すれば足りるが、その上で他の立場を支持したいのであればそれを書けばよいことを強調したが、学生達の満足のいく回答にはなっていなかったであろう。

教科書の私の担当部分の記述の不備を3箇所ほど指摘された(出版社に連絡)。

場所 備考
486頁上から8行目から10行目 同一の目的を有し法律上両立することができる複数の請求を、そのうちの一つが認容されることを他の請求の審判申立ての解除条件とした併合態様をいう。

次のいずれか

  • 同一の目的を有し法律上両立することができる複数の請求を併合するにあたって、そのうちの一つが認容されることを他の請求の審判申立ての解除条件とした併合態様をいう。
  • 同一の目的を有し法律上両立することができる複数の請求を、そのうちの一つが認容されることを他の請求の審判申立ての解除条件にして併合する態様をいう。
表現が舌足らず
502頁下から11行目 (人訴9II・8など) (人訴25など) 条文番号の更新ミス。ここだけ旧法の条文番号が残っていた。
504頁本文下から1行目 先決的法律関係説 抽象的先決関係説 表記ミス

第9回目(11月25日)

授業は、次のように進めた。

第8回目(11月18日)

授業は、次のように進めた。

第7回目(11月11日)

授業は、次のように進めた。

結局予定範囲まで終了しなかったので、「次回は、今日の予定範囲までにします」と言った途端に、学生から「えぇぇ」と言われた。授業の進行の遅れに対するブーイングと理解し、次会は459頁まで進むことにした。進行が後れた原因は、取り上げる事項の選別が不十分であったからであろう。非判決や判決の無効については、質問があれば答える程度の扱いで足りたと反省している。

第6回目(11月4日)

授業のスピードアップとレベルアップの必要に迫られ、下記のような表を作って授業の準備をすることにした。

質問事項等 主題条文 関連条文 教科書
訴訟要件の定義(適法=許される)、本案判決とは何か 404
当事者が訴訟能力を欠く場合の処理 31条、34条、124条 404注3
既判力 基準性説 一事不再理説 114条 405注4、431(既判力本質論)
抗弁事項と職権調査事項/訴訟障害事由 仲裁法14条1項、民訴75条1項・78条、 405
職権調査と職権探知の区別 406
判断資料の収集/通説の2分法/松本説の概略(すべての職権調査事項について弱い職権探知+抗弁事項について弁論主義)

訴えの利益について弁論主義による理由=本案の問題と密接な関係がある
406以下
訴訟要件と本案の判断の順序(テキストは審理の順序) 407
処分権主義 246条
判決事項 246条 246条、114条1項 409

以 下 略

1年生の授業であるので、教科書に書いてあることを適当に取捨選択することの必要性を感ずる。

授業は、次のように進めた

第5回目(10月28日)

第4回目(10月21日)

授業は、次のように進める予定である。

授業では次の事項について説明しあるいは質問する形で行われた(クラスにより幾分差異がある)。

 訴えの取下げについて

 証明責任について(他は、別の機会に譲ることにした。補講が必要であろう)

 名古屋地方裁判所 平成14年1月29日 民事第1部 判決(平成12年(ワ)第929号)について、予定した質問をする。但し、時間に追われて質問したため、アトランダムな質問になったことは反省しなければならない。授業後に気づいたことであるが、少なくない学生諸君が、Aの質問(各証拠ごとに証明すべき事実・主要事実との関係等を尋ねる質問)について、答えを表にまとめてきていた。授業中にそれに気づかなかったためしなかったが、その表をスクリーンに投射して順序よく説明した方がよかったであろう。

この判決を読むことは、今年になって初めて民事訴訟法というよりも法律一般を学び始めた学生諸君にも難しくなかったようである。学習開始後すでに半年が経過していることの成果でもあろう。

対話例−公知の事実
T: この判決では、要旨の1Cに記載されていることが「暴力団関係者等の恐喝の場合などの典型的な手口であることは、同種事件に一定の経験を積んだ裁判官・検察官等にとって公知の事実」であるとされていますね。公知の事実は、教科書ではどのように説明されていますか。

S: 一般人が知っていることです。

T: そうすると、この判決にいう「同種事件に一定の経験を積んだ裁判官・検察官等にとって公知の事実」は、通常の意味での公知の事実ではないことになりますね。

S: 職務上明らかな事実と位置づけるべきではないかと考えました。

T: いい指摘ですね。ただ、公知の事実は、客観的真実が担保されることが重要であり、それは一般人が知っている場合のみならず、この判決の場合がそうであるように、「一定の経験を積んだ裁判官・検察官等にとって公知」であることでも足りると考える余地はありますね。

S: う〜ん。

T: 公知の事実と位置づけるか職務上明らかな事実と位置づけれるかは別として、注意したいことは、当事者、特に原告が、本判決にいう「公知の事実」を認識しているかどうかであり、もし認識していない可能性があるのであれば、裁判所はそれを認識できるようにすべきであるということです。つまり、原告は、裁判所がもしそのような認識を有しているのであれば、原告の相談相手が暴力団関係者でないことを積極的に主張し証明したいと思うかも知れません。そうするチャンスは与えるべきであり、その前提として、裁判所が認識している「公知の事実」を当事者に伝えるべきでしょう。もっとも、この事件の場合には、裁判官が口頭弁論期日に原告に正面から伝えるのがよいか、また、伝える必要があるのかは迷うところです。

最後の説明のあたりは、いわゆる「ああでもない、こうでもない」式の説明であり、学生諸君にとっては迷惑な話であったであろう。それにもかかわらず苦情を出されなかったことに、ホッとした。あえて説明したのは、審理は当事者と裁判所の共同作業であり、三者間のコミュニケーションが重要であることを強調したかったからである。その視点からはずれて口頭弁論を理解しようとすると、日常の人間生活からかけ離れたつかみ所のない世界を理解しようとすることになりそうだからである。なお、来年もこの論点を取り上げるかは迷うところである。

次の質問が出された。

第3回目(10月14日)

前日に小テスト用の問題と参考資料の原稿を用意してカバンに入れたつもりなのに、大学に到着してからカバンの中を探しても見つからない。疲れているのか。。。今日は、授業開始1時間前に到着しているので、パソコンを借りて、自分のサーバにアクセスして、問題と条文集をダウンロードして編集して、その場をしのぐ。

1組には、次の問題を出した。

傷害事件が起きた。Yは、親友と母親に、復讐のために自分がしたと告げた。復讐の言葉と被害者の重傷に心を痛めた母親は、Yを連れて教会に行き、牧師に事実を告白し、牧師は神の教えを説いた。被害者がYに対して損害賠償請求の訴えを提起した。訴訟で、Yが真の加害者であるかが争点となり、原告が前記3人の証人尋問を申請した。母親は、この点についての証言を拒むことができるか。牧師はどうか。親友はどうか。

2組には、次の問題を出した。

Xは、Y銀行A支店長のすすめで多額の融資を受け、A支店長がすすめる金融商品に投資したが、相場の暴落で多額の損失を受け、抵当権の実行により不動産を失い、落胆して自殺した。Xの相続人は、銀行がXの資力を無視して投機性の高い投資のために過剰融資を行った点を問題にして、損害賠償請求の訴えを提起した。原告が銀行の貸出稟議書について文書提出命令の申立てをした。この申立ては、認められるか。

いずれも15分のテスト時間で、よい答案を書いてくれた。テスト終了後、すぐにすべての答案を1部コピーをしてもらい、原本は学生に返却した。適当と思われる答案をOHPでスクリーンに写し、講評した。ある学生から、「『答案は、4行から8行で書かれることを期待する』と書かれていたので、その通りにするのに苦労したのに、講評された答案は、21行もあり、それでもよいとするのはいかがなものか」との苦情が出た。「学部の試験では、横幅がもう少し大きい答案用紙が使用され、それを使用した学部生の答案として4行から8行の答案を期待している趣旨であり、ロースクールでの小テストは初めてのことであり、それにこだわるつもりはなかった」と答え、ともあれ説明不足を詫び、説明不足を考慮して平常点として採点する旨を述べた。

「採点して返却していただけないか」との要望が出たが、試験の採点の苦労を話し、4人ほどの友達と答案を見せ合えば、自分の答案の良否を判断でき、それで力が付く旨を説明し、納得してもらった(つもりになる)。

次の事項を取り上げた(クラスによって若干の差異がある)。

第2回目

近畿自動車道の摂津南入り口から吹田出口まで高速道路を走るつもりであったが、うっかり間違えて一般道(幹線道路)を走り渋滞に巻き込まれる。焦って咄嗟の判断で抜け道を走り、かえって遅くなる。2時間目の授業に20分遅刻。授業の雰囲気が低下。3時間目は正常。

授業は、逐条的に説明しながら学生諸君に質問するスタイルに改める。その過程で学生諸君から質問があれば、随時それに応答する。次の事項を取り上げた(クラスによって若干の差異がある)。

第1回目

1組の授業では練習問題をしなかったが、2組の授業では証拠の1と6を解説。

「教科書を読んでわからないところはありませんでしたか」という質問を学生に順次し(人的質問主義)、指摘された箇所について解説をするという方法で授業をした。2組の授業の終了後、これでは解説される場所があちこちに飛んで分かりにくいので、教科書の項目を順に追って、誰からも質問を受け付けるようにしてもらいたいとの意見が出た(物的質問主義)。授業中の発言も多く、比較的気軽に質問する雰囲気のクラスであることも考慮して、学生諸君の意見に従うことにした。


雑  想


成績評価

出席調査
学部では、講義科目の成績評価は、一般に期末試験をもって行うこととされている。授業への出席状況や、発言状況は、考慮されないのが普通である。したがって、授業に出席しなくてもよい成績をとることができると思う学生は、授業に欠席する。大学の授業より予備校の授業の方が役立つと思えば、予備校に行く。よい成績を取る自信のない学生も、欠席が直ちに不合格を意味するのではなく、期末試験が残されているので、欠席する。

学生の出席率が多少低くても、教室に一定数以上の学生がいる場合には、教師は、私の授業を聴く価値があると思う学生だけ聴けばよいと考え、出席をとらない。多人数教育では、出席をとっている時間が惜しく、また、出席調査によって出席を強制しても、教室が騒がしくなるのが落ちだからであるというのも、理由である。

ただ、発展科目であるために受講登録者が少ない上に、授業が1時間目にあるために現実の出席者が週をおって減少していったときには、「このままでは出席がゼロになる」との恐怖感に襲われて、出席をとった。また、演習の授業では、出席をとるのが通常である。出席をとる場合には、欠席の理由は、一切問わないことにしている。演習で、クラブ活動のために欠席するとの届出書が時々提出されることがあるが、その届出書はそもそも受領しない。

ロースクールでは、さすがに出席調査をしなくても、ほとんどの学生が出席している。中には、2時間目の授業に出ていた学生が、そのリピートである3時間目の授業に出席していることがたまにあった。授業スタート時に、成績評価をどのようにするかについて明確な方針をもっておらず、また、学部の授業の惰性が残っていて、出席調査はあまりしなかった。まして、講義時間における発言量などいちいち記録しておれない。

少人数の授業では、教師が学生の顔と名前を覚えて、学生の顔を見ながら対話をしなければならない。小学校1年生のクラスを担任する先生は、最初の授業までにまだ見ていない生徒全員の名前を覚えていることが必要であるとされている。昔、江田島でもそうであり、それが教官と学生との信頼関係の基礎であるとされていたと仄聞している。大学ではそこまでは要求されず、授業開始後1月以内に学生たちの名前を覚えれば、何とかなる。私が最近まで学部のゼミで最初にしていたのは、名前覚えのゲームである。車座になって、「Aさんの隣のBさんの隣の・・・・・・・Zです」というゲームである。最近は、物覚えが悪くなり、学生の方が格段に早く覚えている。

ロースクールでは、講義科目の授業でも対話式の授業であるので、学生全員の名前を覚えていくことを予定していったが、残念ながら、今回は実現できなかった。座席表を作らなかったのが大きな原因であるが、ただ、始めての対話式の授業であり、教師である私にも名前を覚えようとする余裕がなかったことが根底にある原因であろう。

期末試験で評価
こうなると、成績評価の資料は期末試験しかない。期末試験のみを成績評価の資料とすることには、もちろん対話式授業への参加が評価されないというデメリットがともなうが、しかし、学生諸君にとっては、資料が限定されるだけにわかりやすいであろう。

その期末試験の採点の方針をどうするかは、迷った。ロースクールの第三者評価の際の資料となりうる。予備校と異なり、ロースクールでは、各授業科目の成績が学生の生活利益(卒業の可否や奨学金の受給資格)と結びつく重要な問題である。学生諸君から、成績評価の説明を求められることも想定しなければならない。むしろ、答案添削の機会がほとんどなかったのであるから、添削をして返却することも必要である。しかし、これをすると、学生諸君が互いに答案を見せあって、成績評価を点検することができるようになる。それに耐えうるか。いろいろ迷ったが、幸いと、成績を点数で表示する必要はなく、段階評価(A+,A,B+,B,...)の提出を求められるだけであったので、成績評価を付した答案のコピーをすべて学生に交付することを前提に、次のようにした。

添削・採点後の答案のコピーを交付して、どの程度の説明要求が出てくるのかと心配していたが、それほど多くはなかった。添削をしていること、上記のような曖昧な基準であったことが影響しているであろう。

成績評価に対する学生の異議申立権・説明請求権
成績は、重要な事項であるので、その評価は慎重にしなければならず、いったん事務室に提出すれば、教師は勝手に変更することができない。判決に妥当する不可撤回性の原則の趣旨は、成績評価にも妥当する。学生諸君に異議申立ての権利が与えられていると言っても、異議に応じて気楽に成績変更してよいというものではない。学生諸君に与えられている権利は、基本的には、説明請求権であり、教師が学生に成績評価を説明している過程で説明できなくなった場合(評価の誤りが判明した場合)には、評価が変更されるにすぎない。変更する場合に、学部長あるいは研究課長宛の文書が要求される。

学部では、合格点を付けられた学生が説明要求することは、私の経験ではない。ところが、ロースクールでは、合格点をつけられた学生も、成績アップを求めて説明要求ないし異議申立てをしてくる。これには面食らった。教室で立ち話のような形で説明して納得してくれた学生が3名ほど。事務室の横の部屋で机の上に全員の答案を載せ、その中から比較対照するのに適する答案を示しながら説明することになった学生が2名。いずれも、合格の評価を与えている学生である。その中の1名は、どちらかというと、成績評価の基準を知りたいというもので、それを説明して納得。しかし、1名については、評価をあげるように変更することになった。その場で、研究課長宛の文書(成績変更許可願い)を作成し、学生に確認してもらって一件落着。

教師としては、熟慮の上で成績評価をしているとの建前上、成績評価の変更はあまりしたくないものである。しかし、完全は期しがたい。学説諸君からの説明要求には誠実に対応しなければならない。「答案を確認したところ、評価に誤りはありませんでした」との回答ですむ時代ではなかろう。面談形式で説明する方が、学生諸君の勉強になる。その過程で評価の変更が必要であるとの結論に達すれば、変更しなければならない。

成績評価に関する学生からの説明要求に応えるための面談の場所には迷うが、面談の特質を考慮すると、閉鎖的な場所よりも、面談の様子がスクリーンを隔てて事務の方に聞こえるような場所がよいであろう。他の学生の答案を提示してそれとの比較対照という形での説明をするのがよいかも迷うが、学生に説明する際には説得力のある材料となることは確かである。

想定問題
個々の科目の単位認定自体の当否を訴訟物とする訴訟は困難であるとしても、授業内容ならびに単位認定に欠陥があり、在学契約から生ずる債務がその本旨に従って履行されていないことを理由とする損害賠償請求訴訟等はありうることであり、その訴訟の中で個々の科目の単位認定の当否も問題となりうるであろう。大学は、単位認定の基準を説明しなければならなず、個々の科目の期末試験の成績が単位認定の重要な要素になっている場合には、期末試験の成績評価の妥当性も主張せざるをえないであろう。そのときに、原告が自己の答案のみならず、比較対照のために他の学生の答案について、文書提出命令の申立てをすることが予想される。裁判所がどのように判断するか。また、採点済みの答案のコピーを交付して、異議申立ての機会を与え、異議申立期間内に異議申立てがなかったことは、どのように評価されるか、といった問題を想定するのであるが、杞憂に過ぎるか。。。


録音器に囲まれて

学生諸君の机の上によく録音機が置かれている。直接目にするのは、数台に過ぎないが、それでも囲まれているという気分になる。

授業内容に著作権が成立するとしても、私的使用のための複製である限り、著作権を根拠にそれを止めることはできない(著作権法30条)。また、教員と学生諸君との合意により授業中の録音を禁止することも、できないわけではないが、したことはない。多くの学生諸君の録音目的は、授業の復習のためであろう。そのための録音は、社会的に見て相当な行為だからである。こうして、およそ10年ほど前から、私は、授業内容が誰かの録音機に録音されていることを意識しながら授業をしているのである。最初のうちは幾分緊張したが、特にトラブルはないので、学部の講義ではほとんど気にならなくなった。

暗く考えると
しかし、ロースクールの授業では、録音機に録音されていることを改めて認識せざるをえない。学生諸君は、「ロースクールの理念にかなった良質の授業を受ける権利」を主張することができる。ロースクールの理念が高く、授業料も高いだけに、この権利主張のトーンも高くなろう。「ロースクールの理念にかなった良質の授業」をすることを怠れば、債務不履行となる。損害賠償請求の訴えが提起されることも予期せざるをえない。訴訟になれば、授業内容が法廷で裁かれることになる。医療過誤で問題となる手術は手術室という閉鎖的な場所でなされるが、私の授業は30名以上の学生が参加する場所でなされ、授業の経過は、録音テープに記録されている。事実の点ではほとんど争いがないほどに証拠が確保されているのである。

明るく考えると
学生諸君の机の上にある録音器をみながら、そんなことを思うのであるが、そんな杞憂を重ねるより、もっと前向きに考える方がよいであろう。1987年頃にイタリアに旅行をし、カメラを肩にかけてナポリの海岸を散歩していたら、一群の子供達が突然大きな声をあげた。そちらを見ると、写真をとって言っているかのようだ。カメラを構えて写真をとると、大はしゃぎで、もっと撮ってと言っているかのようだった。自分も子供の頃は、あんなんだったのだろうと懐かしく思った。いずれは、消えゆく身、学生諸君の録音機の中に自分の生きた痕跡が残りうるのであれば、それを喜ぶべきだろう。録音機の音声を再生して聴くに値する内容になることを心がけよう。(2004年10月29日)


授業の基本指針

法律学における問題の多くは、両立しがたい要請あるいは異なる方向の要請をいかに調和よく充足させるかというバランスの問題である。見解の対立の多くは、いずれの要請の充足を重視するかという力点の置き方の問題である。法科大学院における教育の問題は法律問題ではないが、しかし、前記のことはここにも当てはまる。

異なる要請は、おそらく次の2つであろう。第一は、世界的に見て高水準の能力を有する法律家を育てるという要請である。これは、いわば理想の視点からの要請である。第二は、司法試験の合格に必要な範囲で効率よく学習したいとの要請である。法科大学院の3年間の時間は、そこで学ぶ全ての領域について試験合格に必要な深度を超えて深く学習するのには十分でないことを前提にすれば、試験合格に必要な領域に絞って、試験合格に必要な深度まで、できるだけ効率よく学習することが必要となる。いわば現実の視点からの要請である。

大学の教員は、狭い問題について多くの資料を集め、時間をかけて分析し、その成果を論文にまとめることを生業とする。したがって、教育においても、第一の要請の充足に魅力を感ずる。しかし、次の諸事情を考慮すると、第二の要請に力点をおく方がよいように思える。

  1. 学生諸君は、いわゆる六法科目の外に行政法を学び、かつ、選択科目を一つ学ばなければならない。彼らは、多数の法領域について、多数の競争相手のいる司法試験に合格する程度の深度まで、多数のことを学ばなければならない。
  2. 2004年の論文式の試験において、24歳以下の合格者は、274人〔17.8%〕に過ぎない( 2003年は、311名(25.9%))。論文試験合格者が2003年の1201名から1536名に増えたにもかかわらず、このように若年合格者数が減少したのは、若年者優遇政策(いわゆる丙案)が廃止されたためであろう。25歳以上の合格者数は、1262名(82.2%)である。

上記の2のデータからは、次の推測が可能となる。受験生の多くが司法試験を目指して本格的に勉強を開始するのが20歳であると仮定すると、六法のみが試験科目である現行試験制度のもとでも、多くの合格者にとって、試験に合格できる程度に知識を吸収し理解を深めるのに5年以上かかる。

これを法科大学院のいわゆる未修者コースの学生にそのまま当てはめると、彼らが合格水準に達するのは、卒業してから2年目以降となる。卒業後直ちに新司法試験を受けたとして、学習深度が合格水準に達している領域が狭いために、最初の2回は不合格となるという事態が少なからず生じよう。

いわゆる三振制度により、先行受験生のドロップアウトが生ずるので、合格に必要な学習深度が浅くなり、あるいは学習深度が合格水準に達していることが必要な範囲が狭くなる可能性はある(最初の司法試験では、先行受験生がそもそもいない)。しかし、それでも学生達にとっては、学習深度が合格水準に達している領域を広げることが極めて重要であることに変わりはないであろう。

こうしたことを考慮すると、法科大学院における教育は、時間との競争であると意識せざるをえない。学習の深さは、新司法試験の合格に必要な程度に達していなければならないが、それ以上の深さを追求することよりも、その水準に達している領域を広げることに力点を置かざるをえない。試験に出やすい領域を優先させることもやむえない。

学生諸君にどの程度の負荷を課してよいのかは、正直なところ、私にはよくわからない。遠慮すれば学習の深度が浅くなり、過大な負荷を課せば消化不良を起こす。悩みつつも、2004年度未修者コース1年次の授業については、学習の効率性を重視していくことにしよう。具体的な留意点は、下記のとおりである:

2004年10月26日


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2004年 9月15日−2005年1月1日