民事法の議論

関西大学法学部教授
栗田 隆


法律の世界の理論は、複数の規範とそれを理由づける命題の集合ということができる。理論は、一つ又は複数の抽象的な原理から演繹的に中間原理を引き出し、さらに具象度の高い命題を引き出されるという形で提示されることが多いが、どのような形をとるにせよ、法律学の理論は、提唱者の見解の表明であり、場合によれば信仰告白である。ある理論が否定されるのは、提唱者が理論を撤回するか、追随する者がない状況で提唱者が死去したときである。

上記のことは、程度の違いがあるにせよ、他の学問領域でも見られることであるが、法律学の世界ではその程度が非常に強い。自然科学のように、観測データに基づいてある論理が否定され、提唱者自身もそれを認めて自己の見解を放棄せざるをえなくなるということは、あまり起きない。

法律学の世界におけるこうした特質を有する理論に幾分の虚しさを感じることはあるが、それでもそこで用いられる論証や説明の方法が無限定というわけではない。それらを整理して検討しておくことにも意味がある。ここでは、民事手続法の世界を中心にして、民事法学の世界で見かける論証や説明の方法を集めることにしよう。


異なるものには異なる名前を付ける

異なるものに同じ名前が付けられていると、混乱が生ずる。基本的な点で法律効果が異なるものには、異なる名前を付けるのがよい。

 意味の識別のための修飾語

類似しているが微妙に異なる概念については、共通点を示す基本語に修飾語を付し、その修飾語により意味の差違を表す。
  1. 破産財団について、法定財団、現実財団、配当財団を区別する
  2. 「・・・の意味での」を修飾語とする例  日本では、「権利」と「法」とが言葉自体により区別されている。しかし、ドイツ語では、「Recht」が両者の意味を有するので、「権利」の意味であることを明確にするために、「主観的意味でのRecht」と言い、「法」を表すために「客観的意味でのRecht」と言う。
  3. 「狭い意味での」という修飾語は、短くして「狭義の」という。「狭義」・「広義」・「最広義」を修飾語とする例:
    • 口頭弁論について、狭義の口頭弁論(当事者の攻撃防御方法の提出)、広義の口頭弁論(証拠調べを含む)、最広義の口頭弁論(判決の言渡しを含む)。  このように通常は広義のものの外延は狭義のものの外延を包含する
    • 「狭義の強制執行」(強制執行の手続により権利を実現すること)と「広義の強制執行」(意思表示の擬制の場合や、離婚判決を提出して離婚届出をする場合のように、強制執行の手続によらずに法令に従って判決等で認められた権利又は法律関係を実現すること)  このように、広義のものの外延から狭義のものの外延が除外されている場合もある。
  4. 「・・・法上の」を修飾語とする例:
    • ドイツ語の「Anspruch」には、実体法上の「請求権」と訴訟法上の「請求」の2つの意味がある。日本は、ドイツ民事訴訟法を輸入する際に、「Anspruch」の語をこのように訳し分けた。ドイツ法では、前者であることを強調して「実体法上のAnspruch」と言い、後者であることを強調して「訴訟法上のAnspruch」と言う。ただし、日本法でも、「被害者は加害者に対して損害の賠償を請求することができる」という文脈における「請求」は「請求権」である(「請求することができる」は、実体法上「請求権を有する」の意味である)。
  5. 類似のものを2つに分類すれば足りる場合(2項対立の場合)には、「積極的」「消極的」(「積極的釈明と消極的釈明)、「実質的」「形式的」(実質的要件と形式的要件)、「真正」「不真正」(真正の予備的併合と不真正の予備的併合)等が用いられる。

 例1 承継執行文と交替執行文

民事執行法27条2項は、「債務名義に表示された当事者以外の者を債権者又は債務者とする執行文」を付与するための手続的要件を規定している。この執行文は、しばしば「承継執行文」と呼ばれる。しかし、27条2項の対象となるのは、同法23条1項2号・3号・3項の規定により執行力が拡張される場合であり、債務名義に表示された当事者と執行当事者との間に承継関係があるのは、23条1項3号の場合のみである。その他の場合まで含めて「承継執行文」というのは、たしかに行き過ぎである。そこで。中野貞一郎『民事執行法[増補新訂6版]』274頁は、23条1項2号・3項の規定により執行力が拡張される場合に、そのことを公証する執行文を「交替執行文」と呼んでいる(中野貞一郎「権利能力なき社団の不動産に対する強制執行」判例タイムズ1341号(2011年)5頁注4も参照)。

言葉に鋭敏である。ある研究者から「このように繁く言葉を替えてよいものか」との疑問が提示されたことがある。しかし、議論を間違いなく進めるために、言葉遊びに堕しないように注意しつつも、言葉に鋭敏である方がよい。

 例2  債務者による弁済と第三者による弁済

債務者が債務を弁済すると、債務は消滅する。これは、弁済という法律的行為に認められた基本的な法律効果である(注1)。第三者が債務者に代わって弁済する場合に、債務者を債務の軛(くびき)から解放する趣旨で弁済することもある。この場合の弁済の法律効果は、債務者自身による弁済の法律効果(債務の消滅)と基本的に同じである。しかし、第三者が厚意でもってそのような弁済をするとは限らない。むしろ、多くの場合には、第三者は、債務者に求償することができることを前提にして、債務者に代わって弁済するのである(注2)。この求償権を確保するために、第三者(弁済者)は、「債権の効力及び担保としてその債権者が有していた一切の権利を行使することができる」。これを「弁済による代位」あるいは「弁済者代位」という(民法499条・500条・501条)。

この代位により、弁済者は、「求償をすることができる範囲内において」という制約付きではあるが、債権者が有していた権利の全てを行使することができるのであるから、それは、要するに、弁済された債権及びこれに付随する担保権を取得することであると説明される(債権移転説。[我妻*債権総論]253頁。[潮見*債権総論IIv2]250頁など)。この債権取得は、代位取得と呼ばれ、債権譲渡(民法466条)や転付(民事執行法159条1項)などと並ぶ債権移転の一形態である(注3)。移転の対象となる債権は「原債権」と、当初の債権者は「原債権者」と呼ばれることが多い。代位弁済の語は、第三者弁済すなわち「第三者が債務者に代わって弁済する」という狭い意味でも用いられうるが、通常は、「債権の代位取得の効果をもたらす弁済(保証人や連帯債務者等による弁済を含む)」の意味で使われる。(注4)

第三者が債務者に代わって「弁済した」にもかかわらず、債権が消滅することなく弁済者に移転するということは、「弁済」の基本的特性と矛盾し、分かりやすいとはいえない。そのため、古くから、その説明のために多くの見解が主張されてきた(債権移転説の外に、債権売買説、擬制移転説、賠償請求権説がある。『注釈民法(12)』(有斐閣、昭和45年)333頁以下(石田喜久夫)参照)。現在では、債権移転説が通説になっているが、今なお、異論がある。例えば、[民法(債権法)改正検討委員会*基本方針3]32頁以下は、次のように述べる:「判例の見解は、一方では債権は弁済により消滅するものの、他方で代位弁済者が弁済による代位によって原債権を取得すると理解することができる部分を含んでいる。しかし、このことはわかりにくい。そこで、本提案では、原債権は観念するが、それは、弁済により消滅するものであり、同時に、担保権の被担保債権または保証債権の主たる債権として、実質的に求償権の範囲を画するという意味や、債権の効力として認められた権利を行使するとき(たとえば、債務名義の利用)の根拠としての意味にとどめて用いることにする(注5)。 こうして、弁済により消滅することとの矛盾を回避するものである」。(注5a)

これは、「第三者による弁済」あるいは「代位弁済」の語をそのまま残して、その法律効果(代位)についての通説的理解を変更しようとするものである。しかし、「弁済」の通常の語義にこだわりすぎた考えであり、かえって混乱をもたらすであろう。「代位弁済」に認められた前述の法律効果(「代位弁済により債権は消滅することなく弁済者に移転する」)を前提にする方がよい。そして、これと「債務者による弁済」に認められた基本的な法律効果(「弁済により債権は消滅する」)との抵触を避けたいのであれば、両者の区別を明瞭にするために、前者に別の名前を付けることを試みる方がよい。

他人の債務の弁済による代位  代位弁済のうちで、まず、第三者弁済の場合について考えてみよう。「弁済」の語を「債務者が債務の消滅をもたらす給付(義務となっている給付)をなすこと」に限定して用いることにしよう。「代位弁済」の語で言い表されていることは、「第三者が債務者に代わって債務者による弁済と同等の給付をなすこと」であり、この第三者による給付を「弁済同等給付」あるいは「代位給付」と呼ぶことにしよう。すると、「第三者は、弁済同等給付(代位給付)をしたことにより債務者に対して求償することができる場合に、求償権の確保のために原債権を取得し、求償することができる範囲において原債権を行使することができる」と説明することができる。第三者による債権者への給付を「代位弁済」ではなく「弁済同等給付」あるいは「代位給付」と呼び換えるだけで、随分と分かりやすくなる。もちろん、実質は従来通りである。すなわち、代位弁済(代位給付)により生ずる基本的な法律効果は、次の通りである:
  1. 給付のなされた債権(原債権)は、代位弁済者(代位給付者)に移転する。
  2. したがって、もはや原債権者は債務者に対して請求することができない。
  3. 代位弁済者(代位給付者)は、自己が債務者に対して求償をすることができる範囲内においてのみ、原債権を行使することができる(注6)。代位取得した債権は、その行使により満足を受ければ、その理由により消滅するのみならず、求償権が消滅すれば、求償権確保という目的の消滅により消滅する。代位取得された原債権は、求償権の確保に奉仕する債権であるという特質により、求償権から切離して譲渡することは許されず、代位取得された原債権のみの差押えは許されない。
  4. 第三者による弁済(給付)ないしその提供は、次の点では、債務者自身による弁済ないしその提供と同様に扱われる:民法475条以下の弁済に関する多くの規定(ただし、個々の規定について個別の検討が必要である)、受領遅滞([於保*1973a]352頁以下)、705条([於保*1973a]353頁注4)。

他の債権移転形態との関係で代位による債権の移転を特色づけるのは、第1と第3の点である。この法律効果の点さえ明確にされていれば、「第三者による給付」を「弁済同等給付」ないし「代位給付」と呼ぶか「代位弁済」と呼ぶかは、表現の簡潔さと分かり易さの問題にすぎない(「代位弁済」の表現の中に「前記の法律効果をもたらす点で債務者自身による弁済とは異なる第三者による給付」の意味が込められていると見ることも可能である)。

自己の債務の弁済による代位  保証人が保証債務を履行した場合には、彼は、自己の債務を弁済したのであり、主債務者の債務を弁済したのではない(注7)。しかし、「実質的には他人の債務の弁済であるから、代位の利益を与えるべきことは当然である」([我妻*債権総論]249頁)。連帯債務者等の全部義務者についても、同様に代位の利益が肯定されている。すなわち、「連帯債務者は、内部関係において負担部分に応じて分担すべきものであり、従って、負担部分以外は他人の債務の弁済たる実質を有し、求償権(442条参照)はこの点を根拠とするものであるから(中略)、代位の利益を与えるのが正当である」([我妻*債権総論]249頁)。

≪各共同債務者は、自己の債務を弁済することにより、債権者の他の共同債務者に対する債権について代位することができる≫との結論に、修正の必要はない。問題は、この場合の代位をどのように説明するかである。保証人の弁済について考えてみよう。次の2つの説明の方法が考えられる。
  1. 保証人が保証債務を弁済すると、これにより主債務も消滅するのが本来であることを前提にして、保証人は、実質的に見て、主債務者の債務を弁済したのであるから、第三者弁済の場合に採用された法律構成に従って、代位が生ずる。
  2. 保証人は主債務を弁済したのではないから、これによって主債務が直ちに消滅することにはならない。保証人から弁済を得ることにより、主債権者は、主債務者に対する債権を保持する必要はなくなり、その債権は、保証契約あるいは法律の規定により、保証人の主債務者に対する求償権の確保のために保証人に移転する。被代位債権は、求償権の確保という目的のために移転したのであるから、求償権が消滅すれば、目的を失って消滅する(被代位債権の行使により保証人が弁済を得る場合には、そのこと自体が被代位債権の消滅事由になる)。

いずれも似たような法律構成であるが、次の理由により、後者の法律構成を採用すべきであろう。(α)保証人が弁済する場合について言えば、主債務者に対する債権は消滅せずに保証人に移転すると説明するのであるから、「保証人が保証債務を弁済すると、これにより主債務も消滅するのが本来である」との説明は、最初から回避しておく方が分かりやすい(この点は、説明の分かり易さの問題であり、趣味の問題である)。(β)いずれの構成を採用しても、保証人のように負担部分を有しない共同債務者が弁済する場合については、結論は同じであるが、負担部分のある共同債務者が弁済した場合には、結論の微妙な相違が生じそうであり、後者の法律構成から素直に引き出される結論の方が妥当と思われる(注8)。

(注1) 明文の規定があるわけではないが、民法第3編第1章第5節「債権の消滅」のなかに第1款「弁済」が置かれていることから「弁済により債権は消滅する」ことを読み取ることができる。

(注2) 例えば、下請業者が孫請業者に孫請負代金を支払わない場合に、孫請業者からの強い要請により、元請業者が下請業者に代わって孫請業者に請負代金を支払う場合がそうである。この事例として、名古屋高等裁判所昭和57年12月22日民事第2部判決(昭和57年(ネ)第101号)がある(ただし、この事件では、求償権は問題になっているが、代位弁済により取得された原債権は問題にされていない)。

(注3) 外国の法律の規定は、次のようになっている。各法律名の後の括弧内は、各法律の成立年である。日本の民法は、明治29年すなわち1896年に成立した。
 オーストリー一般民法典(1811年) 1358条:「他人の債務を弁済する(bezahlen)者は、その債務について人的に又は特定の財物をもって責任を負うときは、債権者の権利を受け継ぎ( in die Rechte des Glaeubigers treten)、弁済した債務の弁償を債務者に求める権利を有する。この目的のために、満足を受けた債権者は、全ての既存の法的手段(Rechtsbehelfe)及び担保手段を弁済者に提供しなければならない」。Koziol=Welser, Grundriss des buergerlichen Rechts, Bd. 1, Manz, 1987, S. 283 は、これを「法定移転(gesetzliche Zession, cessio legis)」であるとする(Zessionは、Abtretung((債権の)譲渡)と同義語としても用いられるが、ここでは「移転」と訳しておく方がわかりやすいであろう)。
 1422条:「他人の債務を弁済する者は、その債務について責任を負う(1358条)のでないときは、弁済の前に又はその際に、債権者に彼の権利の譲渡を求めることができ、彼がそれをしたときは、その弁済は、債権の受出し( Einloesung)をもたらす。」Koziol=Welser, a.a.O. は、これを「法律行為による移転」と「法定移転」の中間に位置する「必要的移転(die notwendige Zession)」と位置づける。
 スイス債務法(1881年、ドイツ語法文)110条:「次の各号に掲げるときには、第三者が債権者を満足させる範囲で、この者の権利は彼に移転する(uebergehen):
 1.彼が他人の債務のために担保に供した物の上に所有権又は制限物権を有する場合に、彼がその物を受け戻すとき、
 2.債務者が、債権者に、弁済をする者が債権者の地位に就くべきことを 通知するとき 。」
 ドイツ民法典(1896年)第268条3項:「第三者が債権者を満足させる範囲で、債権は彼に移転する(uebergehen)。移転は、債権者の不利に主張され得ない。」(訳にあたり、柚木馨=上村明廣『独逸民法[II]債務法』(有斐閣、昭和30年 (復刻版)初版)83頁を参照した)。

(注4) さらに、「弁済による代位」の同義語として用いる慣行もあるが([我妻*債権総論]247頁など)。しかし、この用語法は、誤解を生じやすいので、現在では避けるべきであるとされている。

(注5)この部分の記述は、趣旨が分かりにくいことで定評がある。原債権の代位取得は、伝統的に、(α)求償権の確保(強化)を目的とすると考えられてきたのに、説明なしに、(β)「実質的に求償権の範囲を画する」ものとされているからである。しかも、後者は、もっぱら債務者と求償権者との間に代位弁済についての委託契約がない場合に問題となるものであり、「債務者は委託を受けない者の代位弁済によって不利益を受けてはならない」ことを根拠とするものである。前者と根拠が異なるのに、その点の断りなしにまとめて書くと、読み手に混乱が生じやすくなる。

(注5a) [松岡*2007a]184頁は、次のように述べる:原債権及び担保権は、「弁済および担保権の付従性により消滅するはずであるが、弁済による代位制度によって、弁済者との関係では消滅せず、原債権および原担保権が弁済者に移転する。これは、弁済者の求償権を確保するための法律のフィクションである。」。

この見解は、擬制移転説に分類することができよう。擬制(フィクション)という説明方法は、応用範囲の広い説明方法であり、ここでもそれを用いることは、もちろん可能である。しかし、ここで問題なっているのは、一定の行為にどのような法律効果を与えるかである。擬制という方法を用いなくても、単純に、一定の行為の特質を考慮して、類似の行為に与えられるのとは異なる法律効果が与えられると説明することも可能であり、その方が分かりやすい。すなわち、次のように説明することができる:民法は、「第1款 弁済」を「第5節 債権の消滅」の中に置くことにより、暗黙に、弁済が債権消滅の効果を有することを規定している;しかし、それも、「別段の規定がない限り」という留保付きであると読むべきである;民法499条・500条は、所定の要件を充足する第三者による弁済に、弁済者代位の効果を認め、その内容を民法501条が「債権の効力及び担保としてその債権者が有していた一切の権利を行使することができる」こと、すなわち「債権と担保の移転」と定めたのであるから、その前提として、代位が認められる範囲で債権消滅の効果は排除される。これも一つの説明方法にすぎないが、ともあれ、擬制という説明方法を用いなくても、法律効果の設定の問題という形でも説明できるのは確かである。

(注6) その具体的意味については、求償権の金額の範囲内で原債権を取得ないし行使することができるとする見解(取得金額制限説ないし行使金額制限説)と、給付額の範囲で原債権を取得し、取得した原債権の全部を求償権の満足に至るまで行使することができるとする見解(受領金額制限説)とが対立している(後者の見解を主張する次の文献を参照:[福永*1986a]113頁、[長谷部*2011a]231頁注5、[栗田*2011a]98頁以下、102頁)。

(注7) 多数説はこのように理解しているが、保証人は主債務を履行する責任を負っているにすぎず、主債務とは別個の債務を負っているのではないとする立場もある([加賀山*2007a]372頁。「保証債権」の語を否定する)。主として、求償権の根拠付けを念頭においた法律構成であるが、ともあれ、この立場に立てば、保証人による弁済は、まさに他人の債務の弁済(第三者弁済)であり、その代位については、「他人の債務の弁済による代位」の項の説明が妥当する。

(注8) 例えば、債権者が負担部分の平等な3人の連帯債務者(A・B・C)に対して90万円の債権を有している場合に、Aが90万円全額を弁済したとしよう。第一の構成では、Bに対する債権についてAが代位することができる範囲は、(α1)「他人(BとC)の債務の弁済たる実質を有する60万円部分」(「自己の債務の弁済に当たらない60万円部分」)又は(α2)「他人(B)の債務の弁済たる実質を有する30万円部分」に限定されよう(いずれと解すべきかの問題には立ち入らない)。他方、第2の構成では、(β)Aの弁済自体によってはB・Cに対する債権は消滅せず、その全額が代位の対象になるので、Aは、その全部について代位取得し、Bに対しては求償権30万円の満足に至るまで代位取得した債権90万円を行使することができるとの結論を得ることが容易になる。Bについて破産手続が開始され、Aが代位取得した債権で破産手続に参加する場合に、債権額90万円で参加できるのか、それとも30万円で参加できるのかは、重要である。
 第一の構成の代表例は、各連帯債務者が負う債務を≪自己の負担部分(自己の債務)≫と≪他の債務者の負担部分の保証部分≫の結合と見る見解(相互保証説)であり、弁済をした連帯債務者は、他の連帯債務者に対して、各自の負担額の範囲でのみ代位することになろう(前記の設例では、α2になろう)。

擬制と法律効果・要件の設定

法規範は、一定の要件に一定の法律効果を結びつけるものである。要件[T1,T2,...Tn]が充足されると(各要件要素を結びつける「,」は、andを意味する)、法律効果[E]が発生するという規範Rがあるものとしよう。

この規範との関係で、本来ならT1に該当しないものAをT1と擬制することは、次のように表現することもできる。
  1. 要件の拡張   要件[(T1またはA),T2,...Tn]が充足されると、法律効果[E]が発生する。
  2. 規範の追加  要件(A,T2,...Tn)が充足されると、法律効果[E]が発生するという規範R'を追加する。

この規範との関係で、本来ならT1に該当するAをT1ではないと擬制することは、Aに該当するか否かの証明責任の分配の点を無視するならば、次のように表現することもできる。
  1. 要件の縮減   要件[(A以外のT1),T2,...Tn]が充足されると、法律効果[E]が発生する。
  2. 例外規範の追加  要件[T1に該当するものがAである]が充足されると、法律効果[E]は発生しない、あるいは別の法律効果[E']が発生するという例外規範R'を追加する。

 例1

[松岡*2007a]184頁は、代位弁済の効果について、次のように述べている:原債権及び担保権は、「弁済および担保権の付従性により消滅するはずであるが、弁済による代位制度によって、弁済者との関係では消滅せず、原債権および原担保権が弁済者に移転する。これは、弁済者の求償権を確保するための法律のフィクションである。」。

このフィクションは、次のような例外規範の追加によりフィクションなしに表現できる:債権は、弁済により消滅する;ただし、債務者以外の者が弁済をした場合には、弁済された債権は消滅せず、債務者に対する求償権の確保のために弁済者(給付者)に移転する。その実質的根拠の説明は、容易であろう:債務者自身が弁済したのではなく、債務者に対して求償権を取得する者が弁済したからである。

 例2

破産法2条5項が、「破産者に対し破産手続開始前の原因に基づいて生じた財産上の請求権(中略)であって、財団債権に該当しないもの」と定義している。これを前提にして、破産法60条所定の債権(破産手続開始後に善意で為替手形の引受・支払が為されたことによる求償権)が破産債権とされていることをどのように説明するかが問題になる。一つの説明方法は、「破産法60条の債権は、破産手続開始後に原因のある債権であるが、破産手続開始前に原因があるものと擬制され、破産債権とみなされている」と説明することである。破産法2条5項の原則規範を例外規範のないものと考えれば、そのように説明することになろう。

しかし、「例外のない原則はない」との命題を前提にすれば、擬制という説明を方法を用いずに、単純に、「破産法60条は、2条5項の特則である」と説明することもできる。破産法の最近の文献では、この説明の方が多い。また、破産法2条5項の定義は、要件の面からの定義である。もし仮に、破産法が、破産債権を、「破産法の定める手続を経て破産財団から比例的満足をうけるべき債権」という形で、法律効果の面から定義していれば、この効果が認められる債権の範囲は何かという要件設定の問題となり、破産債権の要件要素「[破産手続開始前に原因があるもの]」を「[破産手続開始前に原因がある債権]又は[開始後に原因があるが法律が破産手続に参加させるのが政策的に妥当と判断した一定範囲の債権]」と拡張する方法で説明することもできる。
 他方、擬制という説明方法を用いる方がよいと思われるものもある。

 例3

憲法82条1項は、秘密裁判の弊害を防止するために、「裁判の対審及び判決は、これを公開の法廷で行ふ」と規定している。審理の経過を国民に公開する趣旨である。その実現のために、民事訴訟法は、当事者と裁判所による弁論は原則として口頭で行うべきものとしている(87条1項本文。口頭主義)。[口頭弁論での陳述]に付与される法律効果は、[裁判の基礎資料になること]である。

審理の出発点は、審理対象である請求を原告が訴状に基づいて陳述することである。請求は訴状に記載されているので(民訴法133条2項2号)、裁判所と被告は既に知っているが、口頭主義を貫くために、原告が口頭で陳述しなければならないとの建前になっている。実際には、多くの場合に、「訴状の記載のとおりです」の一言ですまされているので、かなり形式的な建前になっているが、しかし、この建前は貫徹されるべきものと考えられている。

最初にすべき口頭弁論の期日に被告は出頭しているが原告は出頭していない場合には、原告による請求の陳述はありえず、審理裁判の対象が提示されないので、口頭弁論を続けることができないのが本来である。しかし、それでは被告に無用な負担を課すことになるので、原告が予め提出していた訴状及び準備書面の記載内容を陳述したものと擬制して、口頭弁論を続けることができるようにする必要がある。この陳述擬制は、一面において、不出頭の原告を有利に扱うことになるので、被告が出頭しなかった場合にも、同様に陳述擬制がなされる。これが、民訴法158条の定める最初にすべき口頭弁論の期日における陳述擬制である。

この陳述擬制を前述した規範の追加という形で表現してみよう(注1)。出発点となる規範の取り方はいくつか考えられるが、 87条1項本文を出発点とするのがよいであろう。 この原則規定に次のような例外規定を設けることになる。
しかし、これだと、請求は口頭で陳述されるべきであるとの観念、その観念の背後にある口頭主義及び公開主義が幾分かすむ。「みなす」という表現形式を用いる方が、口頭弁論の重要性がよりよく表明されるようにみえる。また、上記の例で、要件と効果を定める規範を「口頭弁論において陳述されたもののみが裁判の基礎になる」とすれば、例外規範は上記のように分かりやすいものになるが、そのような形で原則規範が置かれているわけではない。あるのは、「当事者は、訴訟について、裁判所において口頭弁論をしなければならない」である。これを出発点にして、例外規範を書くと、「原告又は被告が最初にすべき口頭弁論の期日に出頭せず、又は出頭したが本案の弁論をしないときは、この限りではない(その者は、口頭弁論をすることを要しない)」になる。これでは、趣旨が明瞭とは言い難い。結局、原則規範の実質的内容が黙示的であるために、その例外規範を書きにくい場合には、原則規範の要素について、一定の場合にその存在が擬制される、と書く方が書きやすいと言うことができよう。

(注1) 要件の縮減という形で表現するとなると、この規定を要件・効果からなる仮言命題に書き換えることが必要になり、議論が長くなる。それは避けることにしよう。

 例4 「不真正破産債権」

破産法2条 5項は、「破産債権」を「破産者に対し破産手続開始前の原因に基づいて生じた財産上の請求権(中略)であって、財団債権に該当しないものをいう」と定義している。破産債権に結びつけられた法律効果は、多々あるが、主要なものを挙げれば、次のようになる。
では、第三者(保証人でない者)が破産者の委託を受けることなく破産手続開始後に破産債権を代位弁済したことにより取得する求償権は、どのように位置付けたらよいであろうか。
  1. 実体法上は、この求償権の発生原因が代位弁済にあり、破産手続開始前の原因により生じた債権でないことは明らかである。そして、その第三者が破産手続開始前から破産者に対して債務を負っている場合に、この求償権を自働債権とする相殺が許されるかの問題については、この求償権は破産債権でなく、彼は破産債権者ではない(67条1項の要件が充足されない)から、彼はこの求償権をもって相殺することができないと答えるのが素直である。
  2. 他方で、原債権が免責許可決定の効力を受ける債権である場合には、この求償権にも免責決定の効力を及ぼす必要があり、また、求償権者は求償権の範囲で破産配当を受けることができるとしないと、彼の犠牲の上に他の破産債権者が利得を得ることになり、不当である。

上記の2つの点を考慮して、この求償権を適切に位置付けることが要請され、次の2つの方法がある。
  1. 破産債権説  この求償権は、「原債権の存在という破産手続開始前の原因にもとづく破産債権」である([伊藤*破産・民再v2]377頁)。この見解によった場合には、この求償権を自働債権とする相殺については、破産法72条1項1号が類推適用されると説明することになろう。
  2. 非破産債権説  この求償権は、破産債権ではない;しかし、「債務者は、自己の委託を受けない者の代位弁済によって不利益を受けてはならない」との法理により、原債権について免責許可決定の効力が及ぶ場合には、この求償権にもその効力が及び、また、代位取得した原債権を破産債権として行使して(113条1項参照)求償権の範囲で満足を得ることにより(民法499条・501条)、求償金の回収をはかることができる([栗田*2010c]73頁以下)。

いずれの見解によっても、結論はほぼ同じである。いずれの見解が多数説になるかは、ここで立ち入る必要はなく、次のことを指摘すれば足りよう。

グループ化

多数のこと(事項、事例、規範など)のうちで類似のものを1つのグループにまとめ、全体を複数のクループに仕分けることは、法律学の基本的手法の1つである。

事例の類型化については、別の項を立てて説明することにして、ここでは、比較的単純なグループ化の例を挙げておこう。

 例1 差押禁止動産

民事執行法131条は、差押禁止動産のリストを掲げている。1号から14号までにわたって列挙されている。これらをいくつかのグループにまとめると、わかりやすくなる。例えば、

)最低生活の保障
)職業の維持に必要な物
)債務者の専用物
c')企業からの分離禁止   9号の商業帳簿は、前後に挙げられているものとの比較からして、個人の商業帳簿(商32条)を指すと理解するのが素直であるが、会社の各種会計書類や顧客名簿等も差押禁止財産とすべきである。また、顧客名簿等あるいは私立学校が管理する学生・生徒の成績原簿等には個人情報が多々含まれており、その執行売却はプライバシーの侵害につながりやすく、それらの個別の執行売却は許されるべきではない。会社の代表者印等も同様に、差押禁止財産とすべきである。

)未公表の知的財産に係る物
)不動産からの分離禁止
(e)を独立のグルーブにしておくことの意味は、特に破産法34条3項との関係で大きい。このグループに属する財産は、不動産が破産財団に属する場合には、破産財団から除外されないとすべきだからである。

 例2 叙述の階層化

漢詩の世界では、起承転結が重んじられる。法律学の論文についても同様であり、このような4段構成(4節構成)がよいとする研究者もいる。その先生に言わせると、「実務家の論文の中には、8段構成、10段構成のものもあるが、読みにくい。そのような多段構成になるのは、弁護士は主張すべきことを準備書面で全部並列的に書き、裁判官は当事者ないし訴訟代理人の主張について判決でほとんど全部判断するという習慣があるからだ」とのことであった。このあたりは趣味の問題であるので、読みやすい論文を書くにはどうしたらよいかということを考えながら論文の構成を決めることになる。

法令の基本的要素は、条である。条が多数になる場合には、必要に応じて条をまとめて節とし、節をまとめて章とし、章をまとめて編とする(節の下に款を置くこともある)。階層化の典型例である。

こうした階層化がなされていないものもある。その代表例が、辞書である。項目内で叙述の階層がなされることはあっても、各項目自体は、同一のレベルにあり、それらを検索しやすいように、「アイウエオ」順あるいは「アルファベット」順に配列する。配列自体には意味がなく、階層化もなされない。

階層化は、叙述の配列に一定の意味を持たさせる場合に(あるいは一定の意図をもって配列する場合に)、その意味(あるいは意図)を明瞭にする役割も有する。

言葉の代入・置換

 例1 裁判上の催告=裁判上の裁判外の請求

訴えが却下あるいは取り下げられたときは、時効中断の効果は、当初から生じなかったことになるが(民法149条)、それでも、催告(民法153条)以上に強力な権利主張があったことには変わりはなく、この権利主張に催告より強力な時効中断効を認めるのが適当である。そこで、この権利主張は、訴えが取下げあるいは却下されるまでは継続的になされており、より強力な中断措置をとるべき6カ月の期間(民法153条)の起算点は、訴え取下の時又は却下判決確定の時であると考えられている。このような催告を裁判上の催告という(民法153条の催告の特殊なもの)。

民法153条の催告も時効中断事由としての請求(民法147条1号)の一種である。この点を強調して、「裁判外の請求」と言うことがある。
この代入ないし置換自体はまったく正当であるが、ただ、得られた結果はわかりにくく、実用性はない。遊びの域を出ない。

 例2 破産財団の意義

破産法2条14項は、「破産財団」の語を、「破産者の財産・・・であって、破産手続において破産管財人にその管理及び処分をする権利が専属するもの」と定義している。多くの条文における「破産財団」の語には、この定義が妥当する。しかし、条文によっては、この定義が妥当しない場合もある。例えば、破産法62条は、「破産手続の開始は、破産者に属しない財産を破産財団から取り戻す権利(中略)に影響を及ぼさない」と規定している。この規定は、破産者に属しない財産が破産財団に含まれていることを前提にしているが、2条14項の定義によれば、破産者に属しない財産が破産財団に含まれることはないのであるから、62条の「破産財団」には2条14項の定義は当てはまらない(一般にそのように解されている。もちろん、2条14項の定義が妥当するように62条の規定を読み方を変えることができないわけではない)。
そこで、破産財団には、次の3つの異なる意義があると認識されるのである。
では、破産法44条の「破産財団」は、どのように理解したらよいであろうか。例を挙げよう。建物の所有により土地を不法占拠している者に対して土地所有者が建物収去土地明渡請求と明渡しまでの賃料相当額の損害賠償請求の訴えを提起した後で、不法占拠者について破産手続が開始されると、その訴訟手続は、破産財団に関する訴訟手続として中断する。建物の収去請求部分と土地の明渡請求部分は、財団財産に関する訴訟手続である(建物は法定財団にも現実財団に属し、土地は法定財団に属しないが現実財団に属す)。破産手続開始後の損害賠償請求は、訴え提起当時においてはただの将来請求であるが、破産手続が開始されれば、財団債権(148条1号4号)に関する訴訟手続である。いずれも破産債権に関しない訴訟手続として44条2項の受継の対象となる。他方、破産手続開始決定の前日までの損害賠償請求権は破産債権であり、これに関する部分も44条1項により中断されるが、2項の適用はない。

整理すると、破産法44条の「破産財団に関する訴訟手続」の中には次のものが含まれる。
  1. 破産債権に関する訴訟手続
  2. 破産債権に関しない訴訟手続
    1. 法定財団に関する訴訟手続
    2. 現実財団に関する訴訟手続
    3. 財団債権に関する訴訟手続

このうちのb1とb2を取り上げると、
等式の両辺から「に関する訴訟手続」を除去すると

となる(通常は、ここまで丁寧には書かない。単純な論理であるので、書かなくてもわかる)。したがって、44条の破産財団は、法定財団と現実財団の和集合であると言うことができる。この命題は、前記aとb3を除外している点を除けば、問題ない。前記aとb3も含めると、

となる。ここから、さらに進んで、両辺から「に関する訴訟手続」を除去して、「44条の破産財団は、法定財団、現実財団、財団債権(に対応する債務の集合)及び破産債権(に対応する債務の集合)の和集合である」と言うには、いくぶん勇気がいる。そのような説明は、あまりしないからである。

上記の等式は、「に関する訴訟手続」が存在して初めて成立するのであって、それを除去すると等式は維持できなくなる(換言すれば、「破産財団に関する訴訟手続」は不可分一体であり、「破産財団」「に関する」「訴訟手続」の3つに分解すると不当な結果を招くことになりやすい)と考えるべきなのか、迷うところである。それは、法律学の議論にどこまで形式論理を持ち込んでよいかの迷いでもある。

迷いつつも、ここでは分解可能と考え、形式論理を貫徹するべきであろう。

複数の要素の関係をどのように定めるか

民事法学では、複数の要素の関係をどのように定めるかがよく問題になる。

 例1

担保権とその被債権については、附従性(担保権は、被担保債権が発生しなければ発生せず、債権が消滅すれば担保権も消滅する)、随伴性(被担保債権が新債権者に移転すると、それに随伴して担保権も新債権者に移転する)が語られる。

 例2

一つの契約において、複数の合意(A,B,C...)が含まれている場合に、その合意の関係をどのように定めるかが問題となりうる。
  1. 一体的関係  複数の合意が一つの契約の不可分の要素として、いつも一体的に扱われる関係にあることを意味する。複数の合意は、単独ではたいした意味をもたず、それらが一体となって初めて契約の有意味なものにする場合には、この関係にあるとされるのが通常である。
  2. 独立の関係  複数の合意が別個のものとして扱われ、それぞれの運命が独立して定められる関係にあることを意味する。この場合には、複数の合意は、別個独立の合意と言われる。
  3. 密接な関係を有するが、別個の関係  一つの契約における複数の合意は、通常は、密接に関連するから、それらが全く別個独立の関係にあることは少ない。多くの場合は、(α)密接な関係を有するので、多くの点で一体的に扱われるが、(β)しかし、別個の合意であるので、いくつかの点で異なる取扱いを受ける。

1と2の関係は、比較的単純であり、飲み込みやすい。他方、3の関係は、1と2の中間に位置し、取り得る範囲が広い。個別の論点ごとに、両者の関係を設定することになるので、注意が必要である。1と2の関係以外にはあり得ないと思いこんでいると、3の関係で躓くことになる。

例えば、賃貸借契約書の中でよく見る敷金に関する合意については、次のように考えられている:敷金契約は、賃貸借契約の要素ではないが、これに付随し、密接に関連する契約である。 したがって、

しかし、別個の契約であるので、

平等原則

 まずは余談から

余談1  教師は、学生を平等に遇しなければならない。とりわけ、教室で複数の学生を相手に授業を行う場合には、個々の学生の人格の尊重という点から平等取扱いが要求されるのみならず、授業も複数の学生と教師との共同作業であり、教師が共同作業のリーダーとして共同作業参加者から尊敬されるためにも、参加者の平等取扱いは必要である。

教師が教室で一方的に話す形式の講義であれば、学生の私語を制止する際に平等取扱いが問題になる程度あり、その私語がなければ、平等取扱いを気にする必要はほとんどない。しかし、比較的少人数の講義で学生との対話を行いながら授業を進める場合には、悩ましい問題が生ずる。

例えば、質問に答える能力の低い学生に対しては、答えやすい質問にし、究極的には条文を読んでもらうだけにする。学生の能力に応じて質問内容を変える点で、形式的平等から離れている。ともあれ、学生の能力をある程度見極めて、記憶して、学生が質問に円滑に答えるようにして、授業がテンポよく進行するようにするのであるが、特定の学生に対する質問がいつも簡単であると、教師がその学生をそのように評価しているということに他の学生が気づくことになり、そのことが当該学生を傷付けないか、簡単でない質問をされる他の学生が不満をもたないか、心配しながら授業を進めることになる。

余談2  フランス革命の標語は「自由・平等・友愛」である(「友愛」の原語は「博愛」と翻訳されることもあり、その意味はさまざまに解釈できようが、ここでは「友愛」の訳語を前提にする)。これらに共通のものは何かと問われれば、「いずれの語も、人々の集まりである社会を前提にしている点で共通している」と答えることになろう。人が他者から隔絶された世界で一人で生きるのであれば、他者との平等は問題にならず、他者からの自由を語る必要もなく、友愛の相手もいない。人が他者と社会を構成し、社会の中で生きようとするから、「自由・平等・友愛」が重要になるのである。「友愛」は「連帯」と言い換えることもでき、さまざまない意味を込めることができよう。友愛と連帯のある社会は、それがない社会よりも人を幸福にするであろう(次の文献も参照:[ロック*統治二論]91頁(キーワードは「慈愛 charity」))。

自由と平等のうちで、どちらが基本的な原理であるか問われれば、平等と答えるべきであろう。人が社会の一員であるとき、彼の自由は無制約の自由ではあり得ず、一定の制約を伴う。どの範囲の自由を各人に与えるのがよいかを考えるとき、(α)自由は各人に平等に与えられるべきであり、(β)社会が最もよく存続・発展することができるように、かつ、各人が最も幸福になるように、各人の自由に平等な制約が付されるべきである、と答えることになろう。したがって、平等は自由よりも基本的な原理である。

余談3  平等に関する言葉をいくつか拾っておこう

 本論

憲法14条に規定されているように、法律の世界においては、平等原則は非常に重要な基本的原則である。民事訴訟の世界でも同様であり、その原則は、当事者は平等に公平に取り扱われなければならない、という形で現れる。平等原則が根拠付けの重要な要素となっている例をいくつかあげてみよう。

 例1 最初にすべき口頭弁論の期日における陳述擬制

民事訴訟では口頭主義が採用されている。裁判所が判決をする場合の基礎資料は、口頭弁論の期日に口頭で陳述されなければならず、口頭で陳述されたもののみが判決の基礎資料となる。実際には、「(予め提出しておいた)書面に記載のとおりです」と述べることにより、その書面に記載されていたことが全部陳述されたものとされるのであるから、かなり形骸化されているが、それでもその一言は必要であり、口頭主義は遵守されるべき原則である。

原告は、審理裁判の対象である請求を訴状に記載して裁判所に提出しているので(民訴法133条2項)、それを口頭弁論の期日にわざわざ口頭で陳述する必要はないかのようにも思えるが、これも口頭で陳述されるべきものと考えられている。その陳述がないと、その後の審理が進められない(審理の対象が口頭弁論に現れていないから、判断資料の収集も行いえない)。

以上の原則を墨守すると、原告が最初にすべき口頭弁論の期日に出頭しない場合には、手続をそれ以上進められず、期日を延期することになってしまう(最初にすべき口頭弁論の期日に原告が出頭しない場合には、訴えを却下するという選択肢も考えられるが、これは例外的にのみ認められている(民執法90条3項))。これでは、出頭した被告が迷惑を受ける。そこで、原告が最初にすべき口頭弁論の期日に出頭せず、又は出頭しても本案の弁論をしない場合には、原告が提出した訴状や準備書面を陳述したものと擬制して、審理裁判の対象を口頭弁論の手続に乗せ、それから出頭している被告に弁論をさせることになっている。これが、民訴法158条の定める陳述擬制の必要最小限度の内容である。

しかし、同条は、この必要最小限度以上の内容を規定している。このままでは、原告と被告との取扱いが不平等だからである。原告と被告とを平等に扱うために、最初にすべき口頭弁論の期日に被告が出頭しなかった場合にも、彼が予め提出しておいた書面(答弁書及びその他の準備書面)の陳述が擬制されるのである。

 例2 武器平等の原則としての附帯控訴

第一審判決が両当事者に不満を与えるものである場合に、一方の当事者はその判決により紛争を終了させようとして控訴を提起しなかったのに対し、他方は自己の権利を貫徹しようとして控訴を提起したとしよう。この場合に、紛争の終了を願った一方の当事者はもはや原判決の取消しを求めることができないとすれば、多くの者は、相手よりも不利な立場に立たないようにするために、相手の態度にかかわらず控訴を提起しておくことになる。しかし、それでは不必要に控訴が誘発される。被控訴人は、控訴人と同様に原判決に対して不服を申し立てることができるとしておけば、平和を好む当事者からの不必要な控訴を誘発せずにすむ。こうした考慮に基づいて、控訴を提起しなかった被控訴人にも、控訴人と同様に、原判決の取消・変更を求める権利(武器)が与えられている。それが附帯控訴の権利である(民訴法293条)。

相手から控訴が提起されれば、自分にも武器が平等に与えられるから、あわてて控訴を提起する必要はない。ここでは、不必要な上訴の抑制に平等原則が一役買っているのである。

バランス論

法律効果とその要件を定めるルールは、要件と効果の写像関係とみることができる。要件は複数の項目からなり、各項目のとりうる値は、連続的なこともありうるが、通常は離散的なものであり、時には「善意である」「善意でない」といった2値の場合もある。効果は、複数の項目から成り立つ場合もあるが、比較的単純な場合には、1つである。

要件

効果

最も単純な場合

単純な場合

1,X2,...Xn

複雑な場合

1,X2,...Xn

1,..Yi


ここでは、単純な場合を想定しよう。要件と効果の関係を定めるルールは、

という写像fである。今、要件要素X1のとる値a,bに着目し、他の要件要素の値は同一であるとするときに、Yがとる値をそれぞれYa, Ybと表すことにしよう(Ya=f(a,X2,...Xn))。このときに、

であるならば、これに対応する効果YaとYbについても、

でなければならないということは、よくある(順序を保つ写像)。

 例1

単純な例を挙げれば、訴え提起の手数料は訴額によって定まるが、任意の2つの訴額の値とこれにより定まる2つの手数料の値との間に、上記の関係がなければならない。もし、手数料の算定ルールを次のように設定すると、訴額1000万円に対する手数料額は50万円であるのに、訴額1100万円の手数料額は44万円となり、順序関係が維持できない(訴額が1000万円を超えて1250万円までの区間で、この状況が生ずる)。
訴額が増加しても、増加の幅ほどには手数料額が増加しないようにしつつ、順序関係を維持するために、次のような形でルールを設定するのが通常である。

 例1a

同様な処理は、民事再生法155条に従った権利変更にも妥当する。155条1項本文の「再生債権者の間では平等でなければならない」は、「再生債権額に比例して」の意味に解されているが、同項ただし書の「・・・少額の債権者・・・について別段の定めをし、その他これらの者の間に差を設けても衡平を害しない場合は、この限りでない」との規定により、弁済率を段階的に低減することは許されると解されている。しかし、順序関係は維持しなければならない。

 例1b

利息制限法1条の定める制限利率を見てみよう。

元本額(X) 年利率の上限(Y)

10万円>X

20%

100万円>X≧10万円

18%

X≧100万円

15%


X2>X1 ならば Y2≦Y1 であり、利率について逆の順序関係が維持されている。利息についても、多くの場合にはこの逆順所関係が保たれる。例えば、

元本額(X) 年利率の上限(Y) 1年間の利息額(Z)

50万円

18%

9万円

100万円

15%

15万円


X2>X1 であるから Y2≦Y1であり、Z2≦Z1である。
しかし、元本額が上記の区間の境界付近で逆順序関係が維持されていない。例えば、

元本額(X) 年利率の上限(Y) 1年間の利息額(Z)

99万円

18%

17万8200円

100万円

15%

15万0000円


X2>X1 であるから Z2≧Z1 となるのが政策的には好ましいが、Z2<Z1となつている。順序関係に一貫性がないという点では、好ましいことではない。

 例2

期間の定めのない契約から生ずる権利と期間の定めのある契約から生ずる権利とで、どちらが強いかは、契約の類型によって異なる。借地借家法28条の適用のある建物賃貸借契約に基づく賃借権にあっては、賃借権の存続に関しては、期間の定めのある賃借権の方が強いといってよい。なぜなら、(α)期間の定めのある契約の賃貸人による更新拒絶についても、期間の定めのない契約の賃貸人による解約申入れのいずれについても、正当事由が要求されるが(借地借家法28条)、(β)期間の定めがない場合には、いつでも解約申入れができるのに対し、期間の定めがある場合には、解約申入れの危険にさらされることはなく、賃借期間満了時の更新拒絶の危険にさらされるだけであるからである。他方、雇用契約の場合には、期間の定めのある契約について、賃貸借契約の場合のような更新の強制が規定されていないので、(比較的短い)期間の定めのある雇用契約の方が期間の定めのない契約よりも労働者にとって不利である。

ところで、民法旧395条は、抵当権設定後の不動産(特に農地)の利用を円滑にするために、抵当権に後れる賃貸借も、短期のものであれば、抵当権者(したがって抵当権の実行による抵当不動産の買受人)に対抗できるとしていた。問題は、抵当権実行のための差押えがなされてから買受人の所有権の取得までの間に賃借期間が満了した場合に、期間の更新を買受人に対抗できるかである。借地借家法28条あるいは旧借家法1条の2の適用のある建物賃借権に関する前記の考察を前提にすると、バランス論の視点から、次のような議論をすることができる。
 ()期間の定めのない賃貸借は、いつでも解約できるから、短期賃貸借に該当すると解されていた。したがって、抵当権に後れて設定された期間の定めのない賃借権は買受人に対抗でき、敷金の返還債務も買受人に引き受けられる。
 ()期間の定めのある賃借権は、期間の定めのない賃借権以上に存続を保障されるべきであるから、買受人の所有権取得前に約定賃借期間が満了し、法定更新により期間の定めのない賃借権になった場合に、当初から期間の定めのない賃貸借と同様に買受人に対抗できるとすべきである。

しかし、多数説は、こうしたバランス論よりも、短期賃貸借制度の悪用による弊害の防止を重視し、差押え後に期間が満了した場合には、賃貸人との関係では法定更新がなされても、それを買受人に対抗することはできないとした。ここから、次の教訓を引き出すことができる:バランス論は、既存の制度が合理的であることを前提にして、さまざまな問題を整合的に解決しようとするものである(ある場合には、既存の制度の合理性を他の場面にもバランス良く拡張しようとするものである、と言うこともできる);しかし、既存の制度が不合理であると評価されると、不合理な制度から生ずる弊害の抑制に重点が置かれ、バランス論が捨てられる。ここにバランス論の限界がある。もっとも、短期賃貸借の制度が不合理な制度であったか、差押え後の更新を買受人に対抗することができないとすることが制度の悪用による弊害を防止することにどの程度有効であったのかについては、評価は分かれよう。

 例2

最高裁判例によれば、
したがって、
と解されている。代位により取得した債権を破産債権として行使できるか否かの局面にも命題1の趣旨を及ぼすと、
命題1bを前提にしても、受託保証人については問題は生じない。受託保証人の求償権は、保証委託契約に原因のある債権(将来の求償権)であり(ただし、保証契約に原因のある債権とする見解もある)、代位により取得した債権を破産債権として行使することは肯定できるからである。

委託を受けない保証人(以下「無委託保証人」という)についてはどうか。債権者に弁済をした保証人の求償権は、民法462条おいて規律されている(1項が原則規定であるが、主債務者の意思に反して保証がなされた場合には2項が適用される)。その性質は事務管理による費用償還請求権である解されており、事実また、462条1項は事務管理者の費用償還請求権を規律する702条1項に対応し、462条2項は702条3項に対応している(なお、主債務者の意思に反した保証がなされた場合の求償権については、不当利得返還請求権とする立場ある)。主債務者が支払を停止する前でかつ破産手続開始申立てがなされる前に債権者と保証契約を締結した者が主債務者の破産手続開始後に保証債務を履行した場合に、保証人の求償権は破産債権になるかどうかの問題については、次の3つの解決が考えられる。
  1. 求償権の発生原因は保証契約締結時にあると考えて、破産手続開始後に保証債務が履行された場合でも、求償権は破産債権になる。
  2. 求償権の発生原因は保証債務の履行の時にあると考えて、破産手続開始後に保証債務が履行された場合には、求償権は破産債権にならない。
  3. 中間的な解決として、無委託保証人が主債務者に保証契約の締結の事実を通知(民法699条)したときに求償権の発生原因があると解する。

上記cの解決の可能性も無視できないが、今は、この通知がなされていない場合を念頭に置くことにして、上記aとbの解決について検討してみよう。

) 上記bの解決を採用すると、無委託保証人が破産手続開始後に保証債務を履行したときに、求償権は破産債権にならないことになるが、このことと命題1bとを結合させると、代位により取得した債権まで破産債権ではないことになり、不当な結果が生ずる(他の債権者が保証人を犠牲にして利益を受けることになる)。

この結果を避けるためには、無委託保証人の求償権との関係では、保証人が代位弁済により取得した債権は補充的性格を有さず、債権譲渡により取得した債権と同様に扱うべきであるとしなければならない。しかし、そうすると次の問題が生ずる:
したがって、bの解決は諦めるべきである。

) 上記aの解決は、どうであろうか。これにも問題がある。すなわち、無委託保証人の求償権を保証契約の締結時に原因のある債権であるとすると、保証人が主債務者に対して債務を負っていた場合に、破産手続開始後の保証債務の履行により将来の求償権とした上で、これと主債務者の保証人に対する債権とを相殺することが可能になるからである(破産法72条1項1号の相殺制限に該当しないため、他の相殺制限規定に抵触しない限り、67条1項の規定により相殺可能になる)。ここでは、次の命題が前提にされている。
無委託保証人が主債務者に対して何らの通知をしていない場合についてこの結論を認めると、破産者は自己の債権について現実の弁済を受ける期待を有している場合でも、彼の知らぬ間に彼の債権は相殺により消滅させられる債権になってしまうのである。この結論を是認すべきか否かが問題となるが、是認できないとすれば、最低限、保証人から主債務者に対して保証人になった旨の通知があった場合にのみ、求償権は破産法67条1項の適用を受けることができる破産債権になるとすべきであろう。

上記の議論は、全体として落ち着きがわるい。どこかを補正する方がよい。(ア)でバランス論を用いること自体はよいであろう。命題1と1aも判例により確立されていることであり、修正しない方がよいであろう。となると、修正の候補は、命題1bと命題2である。命題2よりも命題1bの修正の方が受け入れられやすいであろう。これを次のように修正してみよう。
こうしておけば、無委託保証人の求償権は、代位弁済した時点で生ずる債権であり、主債務者の破産手続開始後に代位弁済をした場合には、破産手続開始後に原因のある債権であるが、弁済者代位により取得した原債権を破産債権として行使することができ、他方、代位弁済者が主債務者に対して負っている債務との相殺も否定することができる(求償権による相殺は、破産法67条1項の「破産債権」の要件を充足しないことにより否定され、代位した原債権による相殺は、72条1項1号により制限される)。

これで比較的すっきりした議論になったと安心するわけにはいかないが、バランス論の適用例の紹介はこれで終りにしよう。ただし、上記の問題に関する実定法の解釈論の議論は、まだ続くことになるが、ここでは立ち入らないことにしよう。

結果が偶然に左右されないようにすること

人の行動の結果は、自然と社会の双方における偶然的要素によって影響される。例えば、競争社会においては、不動産の二重売買の場合に典型的にそうであるように、自己の行動は、競争相手である他者の行動の結果に影響を与え、また、自己の行動の結果は、他者の行動によって影響される。そのことを大前提とした上で、それでも、各人が熟慮の上で選択した行動の結果が偶然によって左右されることは、行動の結果の予見可能性・計算可能性を低下させ、合理的な選択を妨げることになるので、好ましいことではないと考えられている。

民事手続法の世界における偶然的要素として、例えば、次のことがある。
  1. 訴状が裁判所に提出されてから被告に送達されるまでの期間。
  2. 破産手続開始申立てがなされてから破産手続開始決定がなされるまでの期間

以下の事項については、結果(法的効果)がこれらの偶然に影響されないように規定が設けられている。

 例1(解釈論)

最高裁昭和63年(オ)第1 749号平成5年3月24日大法廷判決・民集47巻4号3039頁では、退職年金を受けている元地方公務員を死亡させた加害者に対する遺族からの損害賠償請求おいて、多数意見は、被害者が平均余命期間に受給することができたであろう退職年金の現在額を同人の損害として賠償請求できるが、事実審の口頭弁論終結時までに受領した遺族年金額は損害額から控除すべきであるとした。これに対して、味村治裁判官が、「損害額から控除すべき額は、被害者と同性同年齢の者の平均余命年数の間に、右の相続人が支給を受けることが確定すべき遺族年金の現在額すなわち被害者の死亡時現在における価額である」との反対意見を主張し、その理由付けの中で、「多数意見によれば、遺族年金として支給を受ける額については、その確定の時期が原審口頭弁論終結の前後のいずれであるかによって右の調整の対象となるか否かが決せられることとなるが、口頭弁論がいつ終結するかは、訴訟の進行状況によるもので、当事者間の実体法上の公平とは関係がないから、多数意見は、この点においても、右の調整が公平の見地から必要とされることに適合しないと思われる」と述べた。多数意見に従えば、訴訟が長引けば長引くほど損益相殺的な調整の対象となる原告の利益が増加し、従って被告が賠償すべき損害額が減少することになることも考慮すると、味村裁判官の指摘は正当と思われる。しかし、多数意見は、結論を左右するほどに重要なこととは考えなかったのであろう。「結果が偶然に左右されないようにする」という政策的考慮が、多数の考慮要素の一つに過ぎないことを示す例である。

 例2(解釈論

法律の世界でも、「早い者勝ち」の原則は、それが妥当な解決をもたらす場合には、対立する複数の者の間の関係を確定する方法として肯定され、「時において先んずる者が権利において優先する」と説明される。例えば、不動産の二重譲渡の場合には、先に登記を得た譲受人が他の者に優先する(民法177条)。しかし、ある事が時間的に先であることが権利の優先を正当化することができない場合には、この原則は、結果を時間的先後という偶然に依存させることになるものとして非難されることになる。

最高裁判所 昭和43年9月26日 第1小法廷 判決(昭和41年(オ)第77号)は、時効援用権の代位行使をみとめた先例であるが、その法廷意見は次のように説示している:「金銭債権の債権者は、その債務者が、他の債権者に対して負担する債務、または前記のように他人の債務のために物上保証人となつている場合にその被担保債権について、その消滅時効を援用しうる地位にあるのにこれを援用しないときは、債務者の資力が自己の債権の弁済を受けるについて十分でない事情にあるかぎり、その債権を保全するに必要な限度で、民法四二三条一項本文の規定により、債務者に代位して他の債権者に対する債務の消滅時効を援用することが許される」。

これに対して、松田二郎裁判官の反対意見が、法廷意見に従えば次のような問題が生ずることを指摘した:「一人の債務者に対し二人の債権者があり、その額が等しく、しかもいずれも消滅時効にかかつているとき、そのうちの一人の債権者が債務者に代位して他の債権につき消滅時効を援用してこれを消滅せしめ、自己の債権の保全をはかることも可能となり、かくて他人に先んじて時効を援用した債権者のみが弁済を受け得ることとなる。しかし、その不当なことは明らかである」。

債務者が時効を援用することなく債務を弁済しようとするときに、二人の債権者が代位権に基づいて時効を援用することの先後という偶然的事情は、一方の債権者の権利は消滅し、他方の債権者は弁済を得ることができるという結果を正当化できるものではないとの批判には、確かに一理ある。この批判に応える方法としては、(α)時効援用権の代位行使を否定する方法(法廷意見の否定)と、(β)時効援用権の代位行使の要件の加重(法廷意見の修正)とが考えられる。ここでは、後者について検討しよう。

松田裁判官の議論のそもそもの出発点は、次の点にある:消滅時効の完成にもかかわらず債務を弁済しようとする債務者の良心を尊重して、消滅時効による権利の消滅には債務者による援用が必要であるとする民法145条の規定の趣旨からすれば、債務者の意思を無視して金銭債権者がこれを代位行使できるとするのは不当であり、時効援用権は、民法423条1項ただし書にいう「債務者の一身に専属する権利」にあたると言うべきである。

この点は、次のように反論することができよう:債務者は、時効にかかった債務とそうでない債務とを負っている場合には、時効にかかっていない債務の弁済をまず行うべきである;債務者がそうしない場合には、時効にかかっていない債権者は、債務者の時効援用権を代位行使して、時効にかかってないない自己の債務への弁済を優先することを債務者に強いることができる;時効援用権が代位行使された場合でも、債務者が代位債権者に弁済した後で消滅時効にかかった債務の弁済をすることは妨げられない(これも債務の弁済と評価されるべきものであり、贈与などとして扱われるべきでない);したがって、時効援用権の代位行使を認めることは、良心規定としての民法145条の規定の趣旨に反しない。

このように考えると、ある金銭債権者に対する債務が消滅時効にかかっている場合に他の金銭債権者が時効援用権を代位行使することの前提条件として、後者の債権が消滅時効にかかっていないことを設定することができる。すなわち、法廷意見が設定した要件は、「金銭債権者は、自己の債権が消滅時効にかかっていない場合には、債務者の資力が自己の債権の弁済を受けるについて十分でない事情にあるかぎり、その債権を保全するに必要な限度で、債務者の有する援用権を代位行使することができる」という形で強化されるべきことになる。これを前提にすると、二人の債権者の債権が共に消滅時効にかかっている場合には、両者は共に時効援用権の代位行使はできず、松田裁判官が指摘した問題、すなわち、債務者の有する時効援用権を先に代位行使した債権者が優先するという不都合(結果が偶然に左右されるという不都合)を回避することができる。

なお、時効援用権の代位行使を肯定する最高裁判所 昭和43年9月26日 第1小法廷 判決の後で、最高裁判所 平成11年10月21日 第1小法廷 判決(平成9年(オ)第1771号)が「後順位抵当権者は、先順位抵当権の被担保債権の消滅時効を援用することができない」としている。後者は、後順位抵当権者が民法145条の当事者には該当しないとするものであり、前者も時効援用権を有する債務者の一般債権者が民法145条の当事者に該当しないことを前提にしているのであるから、両者の間に直接的な矛盾があるわけではない。しかし、後順位抵当権の被担保債権の債務者が抵当不動産の所有者である場合には、後順位抵当権者は所有者の有する時効援用権を代位行使することにより、平成11年判決により否定された結果を得ることができよう。平成11年判決はこの点について何の言及もしていないが、両者の整合性には疑問が残り、将来、最高裁が時効援用権の代位行使を否定する可能性はあると見ておく方がよいであろう。

 例3(解釈論)

債務者について民事再生手続が開始されると、再生手続開始前に原因のある債権の多くは再生債権になり、再生手続によらなければ行使することができず、再計画によりその内容が変更される(通常は、一部免除と残部の猶予)。租税債権は、一般の優先権が認められていて、民事再生手続が開始されても、再生債権にはならず、一般優先債権になり、再生手続によらずに行使することができる。

東京地判平成17年3月9日・金融法務事情1747号84頁は、次のような事案に関するものである:X銀行が、A社の委託を受けて、横浜税関等に対してA社が負う租税債務(関税、消費税及び地方消費税の債務)について、税関との間で保証契約を締結した(保証料率は年1.1%);その後、A社について再生手続を経て破産手続が開始され、X銀行は保証債務の履行として、再生手続開始前を納期限とする租税債務及び同開始後を納期限とする租税債務を同手続開始の前後に代位弁済した。X銀行は、これにより求償権を取得し、租税債権について代位したと主張し、A社の破産管財人を被告にして、租税債権・求償権を財団債権として訴求した。裁判所は、原告の請求を全て棄却した。その際、租税債権の代位取得に関して、次のように説示した。
 「関税等の租税債権は、国税徴収法や各種税法等を根拠として、発生する債権であり、民法が予定している債権債務関係と直ちに同列に考えることができないところ、国税通則法41条及び同施行令11条は、国税を第三者が納付した場合で国税を担保するため抵当権が設定されている場合に当該抵当権につき国に代位することができる旨及びその手続について定めるが、租税債権そのものの代位を認める規定及び代位の手続に関する規定を何ら定めていないことから、国税通則法41条及び同施行令11条は、抵当権に限って代位を認める趣旨であると解されること、租税債権が、倒産法制上優先的な地位を与えられている根拠は、租税が、国又は地方公共団体の存立及び活動の財政的な基盤となるものであり、租税を公平、確実に徴収するという政策的、公益的要請からであることに照らせば、原告が、保証債務の履行として本件租税債権を弁済したとしても、本件租税債権を弁済による代位により取得することはできないと解するのが相当である」。

その控訴審の東京高判平成17年6月30日金融法務事情1752号54頁・金融・商事判例1220号2頁は、租税債権の代位取得は肯定したが、優先権の承継は否定した。次のように説示した。
破産法が国税等を財団債権としている趣旨は、「租税が国又は地方公共団体の存立及び活動の財政的な基盤となり、高度の公共性を有することから、租税を公平、確実に徴収すべきであるという公益的な要請によるものであって、専ら国又は地方公共団体の租税債権ゆえに旧破産法の手続上付与された優先的な効力である。旧破産法等倒産手続法上付与された優先的な効力は、租税債権の内在的なものとして保有する固有の権利内容ではなく、各倒産手続法の立法政策上の判断によって創設的に付与されたものと解すべきである。そうすると、以上のような同項の趣旨に照らすと、私人が民法501条の代位による弁済によって租税債権を取得した場合には、もはや当該私人にまで租税債権としての優先的な効力を付与すべき理由がなくなる。
 また、そもそも、民法499条、500条、501条の弁済による代位の制度は、代位弁済者の債務者に対する求償権を確保することを目的として、弁済によって消滅するはずの債権者の債務者に対する債権(以下「原債権」という。)及びその担保権を代位弁済者に移転させ、代位弁済者がその求償権を有する限度でその原債権及びその担保権を行使することを認めるものである。それゆえ、代位弁済者が代位取得した原債権と求償権とは、別異の債権ではあるが、代位弁済者に移転した原債権は、求償権を確保することを目的として存在する附従的な性質を有し、求償権の存在やその効力と独立してその行使が認められるものではない。」

上原敏夫「納税義務者の民事再生手続における租税保証人の地位についての覚書」新堂幸司=山本和彦編『民事手続法と商事法務』(商事法務、2006年)209頁以下は、このように、代位弁済をした保証人による租税債権の代位取得を否定する見解、あるいは代位取得を肯定しても優先権の認めない見解を次のように批判する:そのような見解を前提にすると、徴税権者が保証人に保証債務の履行を求める前に租税債権を一般優先債権として行使するか、それとも、保証人に代位弁済を求め、保証人が代位弁済後に原債権(租税債権)を行使するかによって、結果が大きく異なることになる;「自らはその選択結果につきさほど大きな利害関係をもたない第三者(徴収権者)が、再生手続開始後にした選択の結果によって、直接の利害関係人(求償権を有する租税保証人および他の再生債権者)の地位に重大な影響が生ずることになる。倒産手続の開始後に生じた偶然的な事実の如何によって利害関係人の地位が大きく変動してしまうのは、規律として合理性を欠き、そのような結果をもたらす法解釈には疑問がのこる」。

 例4(学部生の卒業研究論文の指導にて)

: 特許権者が個人である場合に、特許権者が相続人なくして死亡すると、特許権は消滅します。特許法76条です。しかし、この規定は、専用実施権には準用されていませんので、専用実施権者が相続人なくして死亡した場合には、専用実施権は国庫に帰属することになります。

: では、専用実施権が設定されている場合に、特許権者が相続人なくして死亡した場合には、どうなりますか。

: その場合には、特許権が消滅するので、専用実施権も消滅すると思います。

: 「親亀がこけると、親亀の上に乗っている子亀もこける」の論理ですね。

: はい。

: しかし、専用実施権者からすると、特許権者が相続人なくして死亡するというのは、まったくの偶然の出来事ですね。その偶然のできごとによって、専用実施権を消滅させてよいのだろうか。合理的な経済活動を可能にするためには、予見可能性が高められていることが必要でしょう。さらに、予見可能な範囲でも、偶然的事情により権利が消滅したり義務を負ったりするリスクを減らしておくことが必要です。経済活動のルールは、そのように定められるべきです。もちろん、地震や落雷といった自然災害により不測の損害が生ずることは、ルールをどのように定めても避けがたいところであり、そうしたことが非常に低い確率ではあるが生じうることは、各経済活動の主体に予期してもらって、それから生ずる損害を引き受けてもらうより仕方ありません。しかし、特許権者が相続人なくして死亡するという事態は、どうでしょうか。これも予期不能ではありませんが、それを予期せよとすることは、それを考慮して専用実施権の対価を定めるべきであるということになりますが、それは、特許権者に不利益をもたらすでしょう。
  もちろん、最近は、いわゆる金融デリバティブ商品に見られるように、偶然ないしリスクを対象とする商品も多くなっておりますが、しかし、それが現在(2009年6月)問題になっている金融危機の一つの要因になっているのですね。そして、合理的な計算をする金融機関は、利益を確実に得るために、自分が対価を得て引き受けたリスクを速やかに他に移転してしまうのです。しかも、低い対価で、かつ、リスク限定債券などという欺瞞的な名称を付して、外見的には高利回りのように見える債券に附随させるという巧妙な方法で移転させるので、最終的にリスクにされされるのは、そのようなリスク付き金融商品を評価することに慣れていない末端の投資家です。少し、脱線したかな。

: でも、特許法76条により特許権が消滅すると、専用実施権も消滅するというのは、現行法の解釈としてはやむを得ないのではないでしょうか。

: 私も特許法の解釈がどうなっているかについては疎いのですが、ともあれ、結論をどのようにするかは別として、問題点を指摘して、議論しておくことは必要でしょう。それが論文というものです。この論点は、君の論文のテーマからすると、かなり枝葉の論点ですので、注で論述することでよいでしょう。

 例5(立法主義の選択) 当初債権額主義と開始時現存額主義

全部義務者の一人について破産手続が開始された場合に、その破産手続に参加する債権者の破産債権額をどのように定めるかについては、いくつかの立法主義があるが、日本法は、大正11年破産法以来、ドイツ法にならい、いわゆる開始時現存額主義を採用している。すなわち、当初の債権額から破産手続開始前の弁済等を控除した残存額(破産手続開始時の現存額)でもって破産手続に参加することができ、破産手続中における他の全部義務者から弁済等があっても、開始時の現存額でもって配当を受けることができるとされている(破産法104条1項)。他方、スイス法は、他の全部義務者の弁済等は考慮しない債権額(当初債権額)でもって破産手続に参加することができるとしており(問題となっている破産手続が行われている全部義務者自身の弁済額あるいは純然たる第三者の弁済額は債権額から減じられる)、これを当初債権額主義あるいは成立時債権額主義という。例えば、1000万円の債権について5人の債務者が連帯して弁済義務を負っていて、その5人について破産手続が開始され、どの破産手続においても2割配当がなされるとした場合に、
開始時現存額主義の欠点の一つは、(β)の場合に全額の回収ができないこと自体にあるが、それとともに、全額の回収ができるか否かが「偶然の出来事(Chance)」に依存することになり、「誠に不公平なり」と非難される([加藤*研究1巻]250頁。原文はカタカナ書である)。したがって、当初債権額主義の方が優れているとの結論が出されてよいはずであるが、[加藤*研究1巻]250頁以下は次の趣旨のことを述べる:最初に破産手続が開始された債務者は他の連帯債務者に対して求償権を有することになるから、債権者はこの求償権を差し押さえることができ、結果的にスイスの当初債権額主義と変わらなくなる。

この最後の主張は、結果の補正可能性を指摘するものであるが、これには疑問がある。破産財団に属する求償権は、破産管財人が行使すべきであり、破産債権者の一人が差し押さえることはできないはずであり、求償権の差押えは、偶然により生ずる不当な結果の十分な補正にならないからである。その点はともあれ、「結果が偶然に左右されてはならない」という論法と「総合的に考慮すれば、偶然に左右された結果は補正可能である」という議論の展開は、記憶にとどめるに値する。

 例6(立法主義の選択) 配当時現存額主義と開始時現存額主義

明治23年民法債権担保編69条は、複数の共同義務者が破産した場合(条文の文言の「清算」は「破産」と読み替えるものとする)について、≪債権全額での参加を認めつつも、後行の破産配当において、先行の破産配当額を控除した残額を基準とする配当額のみを受領することができる≫という形で配当時現存額主義を採用していた(同条2項)。すなわち、同条の規定は次のようなものであった:
 第1項「何等の弁済も有らさる前に総ての連帯債務者又は其中の数人の無資力と為りたる場合に於て債権者は其債権の全額に付き各清算に加はることを得」
 第2項「然れとも債権者か清算の一に於て配当金を受取りたるときは他の清算に於てその債権の全額に従ひ債権者に充てたる新配当金は以前の配当に於て未た受取らさるものの割合に応するに非されは債権者之を受取ることを得す」
 第3項「受取の残額は各清算に之を返還す但各清算の弁済したるものの割合に従ふ」

例えば、甲・乙・丙が債権者に対して1万円の連帯債務を負っていて、甲・乙・丙の各清算手続からはそれぞれ5割・3割・2割の配当を得る場合には、甲の清算手続からは5000円、乙の清算手続では残りの5000円の3割である1500円の配当を受け、丙の清算手続では残りの3500円の2割である700円の配当を受ける;1万円を基準にすれば乙の清算手続で得るはずの3000円と実際の配当額との差額1500円、1万円を基準にすれば丙の清算手続で得るはずの2000円と実際の配当額との差額1300円の合計額2800円は、甲・乙・丙の清算(清算財団ないし清算手続)に5:3:2の比率で返還され、各清算手続の参加債権者の配当に充てられる(宮城浩藏『債権担保編』371頁以下(『民法正義第5冊(第2版)』(新法註釋会、明治24年)に所収)

明治29年民法で開始時現存額主義に改められた。その理由について、『未定稿本/民法修正案理由書』(廣中俊雄編著『民法修正案(前三編)の理由書』(有斐閣、昭和62年)に所収)365頁以下は、次のように述べている:債権担保編69条第1項は正当なものであり、修正案もこれを採用している;「然れとも其第2項は極めて当を得さる規定なりと謂はさるを得す此規定に依るときは債権者か全部の弁済を受くることを得へきときと雖も決して全額を受くることを得さるなり凡そ債権者をして債権の全額に付き清算に加はることを得せしむる所以は之をして成る可く完全なる弁済を受くることを得せしめんか為なり然るに今全部の弁済を受くることを得へきに係はらす之を受くることを得せしめさるは前後相抵触するものと謂ふ可し草案の説明を見るに若し右の規定なきときは債権者は債務者か無資者とならさる場合よりも多額の弁済を受くることなるへしとあり然れとも債権者か其債権額を超へて配当を受くること能はさるは一般の原則によりて明なるのみならす破産法の規定に依りても亦更に疑を生せさる所なる可し亦既成法典は連帯債務者か順次に無資力となりたる場合のみを想定して規定を設けたるを以て其の同時に無資力となりたる場合に付ては原文の適用極て困難なるへし之を要するに連帯債務者の数人か同時又は順次に無資力となりたる場合に付き区別を為すことなく債権額を超へさる限度に於て債権者に対する配当額を定めさるへからさるなり」。

明治23年民法債権担保編69条に関する修正案理由書の上記説明に若干の疑問点もあるがその点には立ち入らずにおこう。ここでは、債権担保編69条は、次のような視点から配当時債権額主義を採用したものと仮定することにしよう:(α)連帯債務者の一人について開始された清算手続における配当が完了した後で他の連帯債務者について清算手続が開始されるか、それとも(β)連帯債務者の一人について開始された清算手続における配当が完了する前に他の連帯債務者について清算手続が開始されるかは偶然のことであり、偶然に左右されることなく、いずれでの場合も同じように処理されるのがよい;そのために、(β)の場合も(α)の場合と同様に処理されるように、配当時現在額主義が採用された。他方、開始時現存額主義では、債権者が受け取る配当額は、この偶然に左右されることは言うまでもない。

ところで、配当時現存額主義を採用した場合に、次の偶然が配当額に影響を与えないかが気になる:連帯債務者のうちどの者の破産手続において最初に配当がなされるかは、偶然である。例えば、宮城浩藏『債権担保編』371頁以下で挙げられている設例で、甲・乙・丙の順で配当が行われる場合と、丙・乙・甲の順で配当が行われる場合とで、債権者の受領する配当額が異なるのであれば、配当時現存額主義は結果が偶然に左右され易いルールということになるが、その点はどうであろうか。確認してみよう。債権者は、丙の清算手続で債権1万円の2割の2000円の配当を受け、乙の清算手続で残額8000円の3割の2400円の配当を受け、甲の清算手続で残額5600円の5割の2800円の配当を受けることになり、受領する総額は、7200円である。結果は同じである。

もう少し一般的な形で確認しておこう。連帯債務者S1・S2・S3に対する債権額をa円とし、各連帯債務者の破産手続における配当率をp・q・rとする。
配当時現存額主義は、結果が偶然に左右されることが比較的少ないルールと言ってよいであろう。

 例7(立法主義の選択) 双方未履行の双務契約の処理

双務契約の当事者の一方について破産手続が開始された場合に、相手方が履行を完了しているときは、相手方の破産者の対する履行請求権は破産債権にしかならない。他方、双務契約の両当事者が履行を完了していない状態で一方に破産手続が開始されたときは、その双務契約の解決のために、破産管財人はその選択に従い履行又は解除をすることができるとされている(破産法53条1項)。相手方に債務不履行の帰責事由がなくても破産管財人は解除することができるのであるから、この解除権は、破産財団の整理を円滑に行うために特別に認められた権利ということができる。解除が選択されるにせよ、履行が選択されるにせよ、双方の履行がまったくなされていない場合は、それほど問題はない。部分的に履行されている場合でも、双方の一部履行部分が釣り合っている場合も、問題は少ない。しかし、相手方の履行部分の経済的価値が破産者の履行部分のそれを上回っている場合には、相手方の超過履行部分をどのように扱うかが問題になり、相手方履行が履行を完了しているときとのバランスをどのようにとるかが問題になる。日本法に従うと、つぎのようになる。
以上の点については、立法論的にいろいろ批判がある。[井上*1925a]182頁は、次のように批判する: 「破産開始の時点が履行完了の前後何れであるかは極めて偶然な事である;その如何に由り取扱を異にすべしとしても、そは唯履行未了の部分のみに限るべく、既に為されたる給付の部分にまでその差別を及ぼすことは、この偶然なる事実に過大の意味を与えたるものであって、却って為めに債権者間に不公平を生ずるを看過したとの批難を免れないと思ふ。」

手続の有限(無限循環の回避)

手続は有限でなければならず、無限循環に陥ることは回避されなければならない。単純な例を挙げれば、上訴は、原則として3回に限られている。もう少し複雑な例を挙げよう。

許可抗告の対象となる決定
最高裁判所の負担軽減のために、特別な場合を除き、高等裁判所においてなされた決定・命令に対する最高裁判所への抗告には、原審である高等裁判所の許可が必要とされている(民訴337条1項)。これを許可抗告の制度という。許可抗告の対象となる裁判の中に抗告許可の申立てを認めない決定(抗告不許可決定)も含めると、抗告不許可決定に対してさらに抗告許可の申立てが可能となり、無限循環に陥る。これを回避するためには、抗告不許可決定に対する抗告許可の申立てを禁止するか、又はその回数を制限する必要がある。この点について、民事訴訟法は、不服申立てを認める必要性が少ないことも考慮して、抗告許可の申立てについての決定は、それが許可決定であるか不許可決定であるかにかかわらず、許可抗告の対象にならないとした(民訴337条1項かっこ書)。

訴訟費用額確定手続
事件が判決により終結する場合に、裁判所は、訴訟費用の負担割合を終局判決の主文で定める(民訴67条1項)。それを脱漏した場合には、決定で負担割合を定める裁判がなされる(258条2項)。具体的な金額は、負担の裁判が執行力を生じた後に、第一審裁判所の裁判所書記官が定め(民訴71条1項)、その処分(訴訟費用額確定処分)が債務名義となり、勝訴の当事者は償還金を敗訴の当事者から強制執行の方法により取り立てることができる(民執22条4号の2。民訴71条5項に注意)。訴訟費用の償還に関しては、当事者はこの訴訟費用額確定手続を利用すべきであり、訴訟費用償還請求の訴えなどは許されていない。もしそれを許せば、訴訟費用額償還請求の訴えの訴訟費用についてさらに訴えを提起する余地が生じ、無限循環に陥るからである。

執行費用の取立てのための金銭執行
債務者が任意に義務を履行しないために強制執行により権利が実現された場合に、その強制執行の費用は、最終的に債務者が負担すべきであり、債務者がその費用を任意に弁済しない場合には、債権者は強制執行によりその費用を取り立てることができなければならない。ここでも、手続の無限循環を回避する必要があるので、民事執行法は、次のような簡易な方法を認めている(民執42条)。
  1. 金銭執行にあっては、執行費用は、その執行手続において、債務名義を要しないで、同時に、取り立てることができる(2項。同時取立て)。
  2. 同時取立てがなされなかった執行費用の額は、申立てにより、執行裁判所の裁判所書記官が定め(4項)、これが債務名義になり、金銭執行の方法で取り立てられる(民執22条4号の2)。この後は、上記1により処理され、手続はすべて終了することが期待されている。

いままでに述べてきたことについては、少なくともその結論については、異論はなかろう。しかし、次の問題については、意見が分かれよう。

継続的不法行為による将来損害の賠償請求
大阪空港騒音公害訴訟において、最判昭和63年3月31日 ・判時1277号122頁の多数意見は、事実審の口頭弁論終結後にも継続するであろう騒音によって生ずるであろう損害の賠償請求権については、その請求権の存続・消滅が予見困難な将来の事情に大きく依存するから、予め判決を求めることは許されないとした。[梅本*民訴v2]345頁注9は、この判旨を批判するにあたって、「循環訴訟」の見出しの下に、次の趣旨を論じている:最高裁の多数意見に従えば、原告は損害賠償請求の訴えを提起して請求認容の確定判決を得ても、事実審の口頭弁論終結後の損害については、再度訴えを提起しなければならず、2回目の事実審の口頭弁論終結後の損害について、3回目の訴えを提起しなければならず、その結果「循環訴訟現象を呈することになる」。

将来請求の訴えを許すべきか否かは、もちろん、この循環訴訟の回避の要請だけで決まるわけではないが、それでもこの要請が考慮されるべき要素であることに変わりはない。

順序関係

幾分長い前置きになるが、数学の順序関係の議論を見ておこう([松坂-2012a]87頁以下参照)。ある集合{a,b,c・・・}の要素について、関係Rを定義することができるときに、その関係については、次のような特質が想定される。

例えば、自然数の集合について、その要素a,bについて、「aはbに等しい」という関係をとりあげると、この関係は、反射性、対称性、推移性を有している。すなわち、この関係を=で表すと、
このような関係を同値関係という。

「aは、bと等しいかまたはbより小さい」という関係をとりあげると、この関係は反射性、推移性、反対称性を有している。すなわち、この関係を≦で表記すると、
しかし、対称性は成立しない(1≦5であるが、5≦1ではない)。このような関係を順序関係という。

順序関係が成立する集合は、順序集合と呼ばれ、整数や有理数の集合は、普通の大小関係によって順序集合である。

ところで、債務者のある財産から複数の債権者が配当を受ける場合には、債権者を要素とする集合が存在し、各要素の間に次の関係のいずれかが成立する。
同順位の関係は、同値関係である。
  1. 反射性  各債権者は、自己と同順位である。
  2. 推移性  債権者a,b,cの債権額をそれぞれA、B,Cとし、配当額をX,Y,Zとしよう。aとbとが同順位であることは、X:Y=A:Bであること、すなわちX/A=Y/Bであることを意味する。bとcとが同順位であることは、Y:Z=B:Cであること、すなわちY/B=Z/Cであることを意味する。したがって、X/A=Z/Cすなわち、X:Z=A:Cであり、aとcとは、同順位である。
  3. 対称性  債権者aが債権者bと同順位である場合に、債権者bが債権者aと同順位であることは、言うまでもない。

他方、「aは、bと同順位か又は後順位である」という関係は、順序関係である。
  1. 反射性  各債権者は、自己と同順位であるから、自己と「同順位か又は後順位」の関係にある。
  2. 推移性  これの成立については、「aがbと同順位か後順位である」関係を「aはbより先順位でない」と言い換えておく方が解りやすい。aがbより先順位でなく、bがcより先順位でない場合には、aはcより先順位ではない(aがcに優先して配当を受けることはない)。
  3. 反対称性  任意の債権者aとbとの間には、両者が同順位であるか、aがbより後順位であるか、又はbがaより後順位であるかのいずれかの関係しかなく、aがbより後順位でかつbがaより後順位であるといった関係はあり得ない。したがって、aがbと同順位又は後順位であり、かつ、bがaと同順位又は後順位である場合には、aとbとは同順位である。

したがって、執行手続において配当を受けるべき債権者の集合は、「同順位か又は後順位である」あるいは「同順位か又は先順位である」という関係によって順序集合である。

「bは、aより先順位である」という関係については、どうか。
  1. 反射性は否定される  bがbより先順位であるということはない。
  2. 対称性も否定される  bがaより先順位であるときに、aがbより先順位であることはない。
  3. 推移性は肯定される  cがbより先順位で、bがaより先順位であれば、cはaより先順位である。
  4. 反対称性は問題にならない  bがaより先順位であるときに、aがbより先順位であるということは生じ得ない。

したがって、これは順序関係ではない。

本論に入ろう。法学の世界において数量の大小関係を扱う場合には、その関係は数学の世界における順序関係でなければ、混乱が生ずる。

 例1

例えば、不動産が差し押さえられると、競売手続の安定的追行のために、それに必要な範囲で、被差押財産を債務者が処分することが禁止される。(α)この処分禁止の効力(処分禁止効)は、絶対的な禁止ではない。債務者は、差し押さえられた不動産について売却や抵当権設定等の処分行為をなすことができ、それに基づく登記もなされうる。(β)しかし、差押え後の処分行為は、差押債権者に対抗できない(相対的処分禁止)。どの範囲の債権者に対抗できないとすべきかについては、次の2つの立法主義がある。
現行法は、手続相対効主義を前提にして立法されている。それは次の理由による:執行手続に適法に参加した一般債権者について、参加の時期に関わりなく債権額に応じて平等に配当を与える建前を平等主義といい、先に手続参加した者が後で参加した者に優先するとの建前を優先主義というが、日本法は、フランス法にならい、平等主義を採用している;これを前提にすると、差押えを巡る法律関係を単純化するためには、手続相対効主義が好ましい。

個別相対効主義は、利害関係人の利益状況をきめ細かく取り上げて処理するという点では優れているが、次のような解決困難な問題が生じうる。例えば、債務者Sの債権者Gの申立てにより差押えがなされた後にSがHのために抵当権を設定し、その後にSの債権者Aが配当要求をしたとしよう。今、各債権者の順位をそれぞれG・H・Aで表し、順位関係を等号と不等号であらわすと、個別相対効主義では次のようになる([注釈*1983a] 299頁(近藤崇晴)参照)。
  1. G>H,H>A (個別相対効主義)⇒G>A (推移律)
  2. G=A  (一般債権者平等原則)

上記の二つの式は、論理的に矛盾している。この矛盾を、さまざまな説明を付して、法学的に解決することは、不可能というわけではない。しかし、矛盾を無理に解決しようとするのであるから、解決準則はきわめて複雑になる。一般の先取特権まで考慮すると、順序関係はさらに破壊される。例えば、上記のAが一般の先取特権者であるとすると、次のようになる。
  1. G>H,H>A (個別相対効主義)⇒G>A (推移律)
  2. G<A  (先取特権の効力)

いわゆる三つ巴の関係になる(G>H,H>A,A>G)。一般債権者について平等原則を放棄して優先主義を採用し、さらに先取特権の効力も制限すれば、矛盾は解消される。しかし、それができないことを前提にすれば、一般債権者平等原則や先取特権の効力との矛盾をもたらさない手続相対効主義が簡明である。
  1. G>H, A>H (手続相対効主義)
  2. G=A  (一般債権者平等原則)

Aが先取特権者であるときに、
  1. G>H, A>H (手続相対効主義)
  2. A>G  (先取特権の効力)

 例1a

動産先取特権が発生している動産が譲渡担保に供された場合に、先取特権者と滋養と担保権者との関係をどのように定めるべきかについては、見解が分かれている。この点について、[清水*2014a]226頁以下は、次のような解決を提案する(この見解を「清水説」と呼ぶことにしよう)。
  1. 民法334条の類推適用を肯定し、この譲渡担保権は330条1項1号の先取特権と同順位になる。民法333条の(類推)適用を否定される。
  2. 民法334条の類推適用にともない、330条2項の類推適用も肯定される。例えば動産の買主から譲渡担保の設定を受けた債権者が動産売買先取特権の存在を知っていた場合には、譲渡担保権を主張できない。
  3. 同一動産が二重に譲渡担保に供されたときは、先に対抗要件を得た譲渡担保権者が優先する(この点について、最判平成18年7月20日(平成17年(受)第948号)を援用する)。

以上の内容の解決を採用すると、動産売買先取特権の目的となっている動産上に複数の譲渡担保が設定された場合に、第1順位の譲渡担保権者は先取特権の存在を知っていたが、第2順位の先取特権者は知らなかったときに、次のような順位の循環が生ずる(不等号「>」は、順位を示す。左側が右側よりも順位が高く、多くの配当を得ることを意味する)。
  1. [第1譲渡担保権者]>[第2順位担保権者] (上記c)
  2. [第2順位担保権者]>[動産売買先取特権] (上記a/民法334条・330条1項)
  3. [動産売買先取特権]>[第1譲渡担保権者]  (上記b/民法330条2項)
推移律を順次適用すると、[第1譲渡担保権者]>[第1譲渡担保権者]となるがこれは許されない(関係「>」には、反射性はない)。あるいは、1と2から、[第1譲渡担保権者]>[動産売買先取特権]となるが、これは3と抵触する(関係「>」には、対称性はない)

このことから直ちに清水説は採用することができないとの結論を引き出すのは、行き過ぎであろう。上記のような順位の循環が生ずる可能性があるが、それほど頻繁に生ずることとは思わないことを考慮すると、その可能性は清水説を否定しなければならないほどに重要なものであるかを検討する必要がある。また、順位の循環が生ずることが実際にあるとしても、その場合について適切な解決が与えられるのであれば、清水説は肯定することができる。ともあれ、適切な説明が与えられることを期待したい。

 例2

動産譲渡登記制度の創設に際して、先行する占有改定に優先する効力を譲渡登記に付与すること(登記優先ルール)が検討された。しかし、担保目的の譲渡に関し(対抗要件を具備した多重譲渡が可能であることを前提にして)、次のような場合に、順位の循環が生じ、適切な解決を得ることができないことも理由の一つとなって、このルールは採用されなかった(植垣勝裕=小川秀樹・編著『一問一答・動産・債権譲渡特例法[3訂版増補]』(商事法務、2010年)34頁以下)。
  1. 債権者Aの債権の担保のために動産が譲渡され、占有改定がなされた。
  2. 債権者Bの債権の担保のために動産が譲渡され、現実の引渡がなされた。
  3. 債権者Cの債権の担保のために動産が譲渡され、譲渡登記がなされた。

この場合に、 譲渡担保権者の順位が対抗要件具備の時間的先後により決定されるとの原則により、A>Bであり、かつB>Cである。そして、登記優先ルールにより、C>Aとなり、順位の循環が生ずる。

登記優先ルールと現実引渡優先ルール(現実の引渡は、それ以前になされた占有改定に優先する)との併用であれば、順位の循環の問題は生じないであろう。

 例3

AとBとが共有者として登記されている土地について、Cが単独の所有者であるとして、Aに対して所有権確認の訴えを提起し、Cの請求を認容する判決が確定した後に、CがBに対して同様な訴えを提起したが、今度は、その土地はA・Bの共有に属するとの理由で、Cの請求が棄却された場合に、この土地について共有物分割訴訟の当事者となることができるのは、誰か。

上記の順位関係を統合と不等号を用いて表すと、次のようになる。
  1. AとBとは共有者として平等で(A=B)、
  2. CがAに対して勝訴判決を有することにより、CはAより優位にあり(C>A)、
  3. BがCに対して勝訴判決を有することにより、BはCより優位にある(B>C)。

2と3より、B>C>Aとなるが、これは、1と矛盾する。この矛盾を法学的説明により解消しようとしても、どこかで無理を犯さなければならず、どこで無理を犯すかにより、様々な見解が生ずる。問題状況は、差押えの効力について個別相対効説をとった場合と似ている。

法学的な解決を考えてみよう。裁判所が、その土地を売却して代金を共有者間で分配すべきであるとしたとき、その売却代金は、最終的に、誰にどのように帰属させるのがよいか。いくつかの選択肢が考えられる。例:

相対的関係と財貨の有効利用

民事法の世界では、Aがある権利をBに主張することができるが、他の者Cに主張することはできるとは限らないという関係(相対的関係)が広く認められている。例えば、
以下では、こうした相対的関係を取り上げていくことにしよう。また、以下では法律上のいくつかの関係を順序関係になぞらえることがある。そのような関係を順序的関係と呼ぶことにする。

配当異議訴訟における相対的処理
実体法で認められた順序的関係が手続法において尊重されることが絶対的に必要かと言えば、そうでもない。例えば、不動産の競売手続において、執行裁判所が作成した配当表について一部の債権者から配当異議の訴えが提起された場合には、配当表は、原告・被告間で配当利益の帰属を変更すれば足り、原告債権者に全額の満足を与えてなお余剰がある場合でも、それを他の債権者あるいは債務者に与えるべきではないとされている(民執法92条2項の反対解釈。「求めよ、さらば与えられん」)。

例えば、配当原資が900万円で、配当表において一般債権者A・B・Cの債権額がそれぞれ500万円、配当額が各300万円とされた場合に、AのみがBに配当異議の訴えを提起して、Bの債権額がゼロであることが認定されたときに、
ここで、債権者Xの順位を[X]と表すことにしよう。
冒頭の例において、債権者A,B,Cは、一般債権者として平等であり、その債権が存在する限りでは、[A]=[B]=[C]である。しかし、AB間の訴訟で、Bの債権額がゼロと認定されたのであるから、[A]=[C]>[B]となるべきである。

しかし、配当表は、その変更を求めて異議訴訟を提起した者のためにのみ変更されるという相対的処理がなされる結果、配当額は前記のようになるので、
このように、相対的処理をなす場合には、実体法で予定された順序的関係は破壊されるが、財貨の利用の点では特に問題はない(各人に金銭が支払われ、各人は自己に支払われた金銭を自由に処分することができる。各人に支払われる金銭は、別個独立のものであるので、各人の処分の自由が可能になる)。民事執行法が採用したこの相対的解決は、是認される。

紛争の相対的解決(既判力の相対性)
民事訴訟法は、私人間の紛争は現実に争いのある者の間で相対的に解決すれば足りるとの建前をとっている。このため、同一の有体物についてA・B・Cがそれぞれ自己の所有権を主張している場合に、A・B間の訴訟ではAの所有権が確認され、B・C間の訴訟ではBの所有権が確認され、C・A間の訴訟ではCの所有権が確認されるということが、少なくとも理論的にはあり得る。

今、「XがYに対して所有権を主張することができるが、YはXに対して所有権を主張することができない」という関係をX>Yで表せば、上記の関係は、次のようになる。
推移律が成立せず、したがって順序的関係が成立しないことが明らかである。

このままでは、その有体物の有効利用が阻害される(同一財産について誰が処分権を有するのかが確定しないため、その財産の有効利用が阻害される)。そのため、適当な解決が与えられなければならない(『民事訴訟法講義』中の「既判力の主観的範囲/相対性の原則/当事者を異にする矛盾判決の解決手続」を参照)。

債権譲渡の対抗要件と譲渡禁止特約
ある債権αついて、XがYに対してその債権が自己に帰属していると主張することができる関係をX[α→]Yと記すことにしよう(ただし、記号化に実益があるわけではない)。

YがZに物を販売したことにより生じた代金債権αについて、Yがその債権をXに譲渡すると、X[α→]Yとなる。しかし、YX間で債権譲渡がなされただけの段階では、
XがZに対して、債権αが自己に帰属することを主張することができるようにするためには、YのZに対する通知又はZの承諾が必要である(通知又は承諾は、他の利害関係人との関係では確定日付のある証書によることが必要である)(民法467条)。

動産・債権譲渡特例法により債権譲渡の登記がなされると、その後の利害関係人との関係では確定日付のある証書による通知がなされたものとみなされ、債権の譲受人は、自己の債権取得をこれらの者に主張することができる(動産・債権譲渡特例法4条1項)。そして、譲渡人又は譲受人が債務者に対して債権譲渡の登記事項証明書を交付して債権譲渡の通知をすれば、譲受人は、債務者に対しても債権の取得を対抗することができる。したがって、債権譲渡の登記がなされた段階では、譲受人は、独力で前記の推移律を成立させることができる。

債権譲渡の登記がなされた後で債権の譲渡人について破産手続が開始された場合でも、債権の譲受人は、債権の取得を破産管財人Aに対しても債務者に対しても債権の帰属を主張することができるようにすることができるという強い立場にある。

では、その債権について債権譲渡禁止特約が付されていた場合はどうか。この特約を債務者の利益保護のためのものであり、債権者や彼に対して債権を有する者の利益を保護するためのものではないと考えると、Xは、α債権の帰属をA(債権の譲渡人の破産管財人)に主張することができる。このアイデアは、なかなか良さそうに見える。しかし、次の点で行き詰まる。

Xがα債権の帰属をAに主張することができることの反面として、Aは、α債権の帰属をZに主張することができないとしなければ意味がない(AがZに主張することができるとしたところで、Xが債権の帰属をAに主張することができる以上、Aが取り立てた金銭をXが取り上げることができるとしなければならず、そうであれば、Aは取立ての意欲がわかず、結局取り立てられないままとなる)。

他方、債権譲渡禁止特約があるので、Xは、α債権の帰属をZに主張することができないことになる。

しかし、これではその債権の取立ては、XからもAからもなされないことになり、その債権の有効利用が阻害されることになる

結局、譲渡禁止特約は、直接には債務者の利益を守るものであっても、債務者がその特約の効力を主張する限り、その特約違反の効果を譲渡の相対的無効にとどめることはできず、絶対的に無効としなければならないのである。栗田隆「債務者には主張し得ないが第三には主張することができる債権譲渡──譲渡禁止特約の効力の相対的制限は可能か?──」(関西大学法学論集54巻2号(2004年7月)1頁−20頁)は、この結論にたどり着くまでの苦い記録である。

複合的構成と独自的構成

ある法現象(例えば、契約や訴訟行為)を説明する際に、それを複数の構成要素の複合(組合せ)であると説明することができる場合があり、そのように説明する仕方を複合的構成と呼ぶことにしよう。これは、一つの法現象を複数の構成要素に分析する作業を伴うので、分析的構成と呼ぶこともできる。構成要素の複合は、いくつかの点で独自の特質をもたらすことがある。複合的構成が可能な場合でも、独自の特質を強調して、一つの独自の法現象として説明することも可能である。そのような構成方法を独自的構成と呼ぶことにしよう。

例えば、訴訟の途中で審判対象をある請求から他の請求に変更することを訴えの交換的変更というが、これの説明については、次の2つの立場がある。
  1. 複合行為説(判例)  訴えの交換的変更は、新請求を追加して、その訴訟係属後に旧請求を取り下げまたは放棄するものであると理解すれば足りる(最判昭32・2・28民集11-2-374・[百選*1998a]76事件、[三ケ月*1995a]167頁)。交換的変更に伴う請求取下げは、その請求についての訴えの取下げである。旧請求の取下げまたは放棄が有効になされていない場合には、原告が交換的変更を意図していても、結果的に追加的変更になる。もっとも、新請求に被告が異議なく応訴すれば、旧請求の取下げに同意したものと推定され(最判昭41・1・21民集20-1-94)、また、旧請求の取下げに異議を述べることが信義則に反するとされる場合もある。以上の点は、構成要素の性質から説明できる。他方、次のことは、複合の結果生ずる特質の面がある。(α)交換的変更に際してなされる訴えの取下げは、民法149条の適用範囲外である。例えば、境界確定の訴えにより生じた取得時効中断の効力は、その訴えが所有権確認の訴えに交換的に変更されても失われない(最判昭38・1・18民集17-1-1[百選*1972a]40事件)。(β)旧請求についての訴訟資料を新請求に流用できる。
  2. 独自類型説(学説)  時効中断の効果の維持ならびに従前の審理結果の新請求への流用を説明するために交換的変更を独自の類型とすべきであるとして、適法な交換的変更は旧請求の訴訟係属の消滅を含むとする見解。ただし、旧請求について被告が勝訴判決を得る利益を保護するために、交換的変更について被告の同意が得られない場合には、交換的変更ではなく追加的変更になるとする。学説上は、現在では、これが多数説とみてよい(中村英郎「訴の変更理論の再検討」中田還暦上190頁以下、[兼子*1986a]853頁、[上田*民訴v3]500頁、[谷口*1987a]184頁、[伊藤*民訴1.2]540頁、[松本=上野*1998a]415頁、[新堂*新民訴v2] 654頁注1)。

一般に、同一の結論をもたらす複数の法律構成が可能である場合に、いずれの構成を採用するかは、多くの場合、理論の当否の問題というより、説明と理解のしやすさの問題(その意味で効率性の問題)であり、時には趣味の問題である。趣味の問題として言うならば、私は、単純なものを組み合わせて複雑なものを作り上げていくという工学的な思考方法が好みであり、したがって複合的構成を好む。ただ、複数の要素の結合により独自の特質が生ずることがあるのは、否定できない(複合により生ずる特質)。この特質がある程度以上大きくなると、独自的構成で説明する方がよい。

訴えの交換的変更の例については、どうか。交換的変更に含まれるのは、通常は、狭い意味での交換的変更(新訴の提起と旧訴の取下げが近接してなされる訴えの変更)である。他方、新訴を追加してから数ヶ月後に旧訴を取り下げることは、その時間的間隔からして、一つの訴訟行為というより2つの訴訟行為があると見るべきである。この場合には、民法149条の解釈の問題として、旧訴の提起により生じた時効中断効は、新訴に引き継がれ、それが旧訴の取下げにより消滅することはないとの結論が是認される。したがって、訴えの交換的変更に伴う時効中断効の維持は、独自類型説でなければ説明の困難な例外的処理であることにはならない。複合行為説を否定し、独自類型説をあえて採る必要はない。訴訟資料の流用についても同様である。

問題解決方法の費用比較

ほぼ同一の結果を得るために手段Aと手段Bとがあり、手段Aに要する費用が手段Bに要する費用よりも安ければ、手段Aを採用すべきである。
いささか、単純すぎる命題であるが、議論の出発点になる。もう少し変数の多い場合を取り上げよう。

法定地上権
日本の民法は、土地と建物をそれぞれ独立の不動産としている。そのため、土地と地上建物が同一人に属する場合に、その一方のみに抵当権が設定されて競売され、土地の所有者と建物所有者とが異なることになった場合に、格別の措置がとられなければ、土地所有者は、建物所有者に対して土地利用権の欠如を理由に建物収去・土地明渡を請求できることになる。しかし、これでは、土地のみあるいは建物のみを担保に供する道が多くの場合に実質的に閉ざされるので、建物のために地上権が発生する道を開いておかなければならない。その方法としては、次の立法的選択肢がある。
  1. 自己地上権  土地の所有者は、その地上にある自己の建物のために予め地上権を設定することができるという制度。権利関係を明確にし予測可能性を高めるという点からは、この方法が望ましい。
  2. 法定地上権  執行売却により地上権が法律上当然に発生するという制度。執行売却前においては地上権の設定・公示が必要ないので簡便であり、また、自己地上権の設定登記の失念の問題も生じない。

民法は、後者の選択肢を採用した(民法388条)。その理由は、次のように説明できる。抵当権が設定されても、実際に実行される確率は低い。その低い確率でしか生じない場合のためにわざわざ自己地上権の設定登記をしておくことは、コストパフォーマンスが悪い。法定地上権方式方が、コスト的に優れている(なお、自己借地権は、民法では認められておらず、借地借家法15条で借地権の準共有の場合に認められているが、ここでは、この特殊な場合を除いて、通常の場合を前提にしよう)。

上記のことを定式化してみよう。
現行法では、法定地上権の内容は土地又は建物の買受人と他方不動産の所有者との合意により決定され、合意が成立しなければ訴訟手続により決定されるので、Ceの値はかなり大きいと思われる。
自己地上権方式のコストの算定をもう少し変更してみよう。
自己地上権の登記をするか否かを当事者の意思に委ねるのであれば、そのこと(経済活動の自由)から生ずる利益も考慮しなければならない。この利益は、土地にのみ抵当権を設定する場合に、担保評価額の増加という形で現れる。しかし、担保評価額そのものが利益になるというより、担保評価額が増加することにより低金利で融資を受けることができることになること、従って、無担保融資と有担保融資との利息の差額が利益になると考えるべきである。
両者の差が実質的な利益であり、自己地上権方式によるコストからこれを控除したものが、法定地上権方式のコストと比較されるべきものとなる。

法律学の論文では、こうしたコスト計算を明示することはない。計算式を示したところで、代入すべきデータがないので、計算式を示すことにあまり意味がないからである。さらに、「考慮すべき要因の全部が考慮されているわけではなく、不完全なデータに基づく誤った推論だ」、と非難される可能性が高いからである。しかし、それでも、少なからぬ法律家がこうしたコスト計算を頭の中で大まかにして、その結果のみを文章で表現していると考えてよい。しかし、議論の過程を示さない結果のみの報告では、学問としての前進はない。議論の過程を積極的に明示しようとする動きもある。

概念の定義

余談
言葉の意味が何であるかは、通常は、定義の問題である。言葉は、それを用いた議論が容易になるように定義すればよく、どのように定義するかは議論をする者の自由である。一つの言葉Aに異なる複数の定義与えられている場合には、「Aを第1の意味で用いれば、・・・である。しかし、Aを第2の意味で用いれば、***である。議論が混乱しやすいので、以下では、第2の意味でのAは、A'と言うことにする」といった形で議論することになり、また、それで済む問題である。しかし、ある言葉が、社会で一定の効果を発揮する場合には、言葉の定義の問題は、政治的問題となる。そうした問題が生じやすい言葉として、「民主主義」や「正義」がある。例えば、「その行動は民主主義に反する」との批難が社会で認められれば、その行動を中止せざるを得なくなるのであるから、「民主主義」の定義が重要となる。そのように社会で一定の効果を持つ言葉を「情動力のある言葉」と呼ぶことにしよう。

「我々の仲間」と言う言葉も、情動力の言葉である。「≪我々の仲間≫に該当する者には我々は救いの手を差し出すべきであるが、そうでない者には救いの手をさしのべる必要は必ずしもない」という形で人の心を動かすからである。同様に「国民」という言葉にも情動力がある。「国民でない者が我国の法に従えないというのなら、我国から出て行ってくれ」と言うことができるし、また、「国民の一員なら、我国の法に従え」と言うこともできるからである。こうした文脈では、「≪国民≫という言葉をどのように定義するかは、議論する者の自由である」などということはできない。その定義は、政治問題そのものである。

言葉のこうした情動力が最もよく生きる定義を与えた例として、シィエスの「国民」の定義を挙げることができる。彼は、次のように定義した:「国民とは何か。共通の法律の下で生活し、同じ立法府によって代表される等の条件を満たす人々の団体である」(稲本洋之助=伊藤洋一=川出良枝=松本秀美訳『第三身分とは何か』(岩波文庫、2011年)18頁。少しだけ表現が異なるが、大岩誠訳『第三階級とは何か』(岩波文庫、1950年第1刷、1989年第17刷)28頁)。この定義に続けて、シィエスは次のように述べている:市民全体が皆持つ権利とは別の特権や免除をみとめられていることによつて、「帰属身分は共通の秩序、共通の法律の埒外に出るのである。このようにして、彼らはすでに社会生活上の権利ゆえに、国民全体とは別個の人民となっているのである。それはまさしく国家の中の国家である」(19頁)。シィエスの主張の主眼は貴族の特権・免除の廃止であるが、ともあれ、前記の定義からは、「フランス共通の法律で認められていない特権を主張する貴族は、フランス国民ではない」との帰結も引き出される。情動力の強い定義である。もちろん、前記の定義からはずれる貴族がいなくても国家の存続が可能であり、貴族などいない方が国家がよりよく発展することを論じた上での定義である(稲本ほか訳・11頁以下、大岩訳・23頁参照)。

本 論
長い言葉で説明することが必要な概念内容が重要である場合には、その概念に名前(名辞)が与えられ、「この名辞であらわされる概念は、その説明で定義される」あるいは「この名辞で表される概念の定義は、その説明である」といわれる。概念に名前を与えることには、次の2つの意味がある。
  1. その概念を短い名辞で表現することにより議論が簡潔になる。
  2. その概念の重要性が強調される。とくに、その名辞が繰返し用いられる場合には、その概念の重要性が強調されることになる。

新しい概念に簡潔で適切な名前を付けることことができるという能力は、どの学問分野でも重要であるが、法律学の世界ではとりわけ重要である。論文を書くときに、自分が構成した概念で重要だと考えるものには、簡潔な名前を付けるべきである。適切な名前を付けることができるように、言葉の選択に常に敏感であろうとする方がよい。

概念を定義する場合には、(α)一般に、外延(概念に該当するものの範囲)と内包(あるものが概念に該当するか否かの判定基準)とが問題になる。両者は表裏の関係にある。(β)法律学においては、さらに、ある概念に該当するものに一定の法律効果(ないし一定の法的取扱い)を結びつけることが多く、その法的効果を概念の内容にするかが問題になる(概念内容に含めるということは、その概念に該当するものにはその法律効果が必ず認められることを意味する)。これを「概念の意味内容の問題」と呼ぶことにしよう。

概念の広狭(外延の広狭)
数学は、問題をできるだけ一般的に設定して、どの場合にもできる解決方法を探求しようとする。1次元の問題(直線上の問題)から出発して、2次元の問題(平面上の問題)、3次元の問題(立体上の問題)、多次元の問題へと考察範囲を拡張する。一般的な議論をするために、用いる概念の外延も拡張される。例えば、曲線の概念に直線も含め、直線は曲線の特殊な形態と考える。集合概念の中には空集合(要素のない集合)も含める。ある集合Aの部分集合といえば、集合Aの要素全部から集合も含まれ、その点で「部分」の概念が「全部」を含むように拡張されるもっとも、数学の世界でも、概念の外延が広すぎて実用的でないという問題が指摘されることはある(曲線をどのように定義するかの問題について、高木貞治『定本 解析概論』(岩波書店、2014年)34頁が、ある定義の外延が広すぎることを説明しながら次のように述べていることが印象的である:「このような曲線は迷惑である。上記の定義は曲線の定義として、あまりに広汎にすぎるのである」。

他方、法律学では、「同じ者は同じように扱い、異なるものは異なるように扱え」との原則があるので、ある概念に包摂されるものの範囲を拡張することにはブレーキがかかる。そして、法律は、用いる言葉の意味を明確にしようとする。喩えとして言うならば「直線又は曲線」といった表現が用いられ、「曲線」の概念からは「直線」は除外される。民事訴訟法の規定から例を取り上げるならば、16条は「訴訟の全部又は一部」と表現しており、「一部」の中には「全部」は含まれない(数学の集合論で、「部分」の中に「全部」が含まれるの対照的である)。このように、 数学との比較において、法律では言葉は狭い意味で用いられる傾向があり、その傾向は法律学にも影響する。

ちなみに、民訴149条は「裁判長は、口頭弁論の期日又は期日外において、訴訟関係を明瞭にするため、・・・することができる」、と規定している。「口頭弁論の期日又は期日外において」は「いつでも」に置き換えてもよいのであるが、「口頭弁論の期日外でも・・・することができる」ことを強調するために、上記のような表現しているのである。一般化して言えば、法律の規定における「A又はB」は、「AでもBでも」の意味の場合があり、民訴149条の前記の文言はその一例である。

定義の内容(一つの概念にどれだけのものを入れるか)
一つの言葉で表す概念の内容をどの程度の大きさにするかにも注意を払う方がよい。一つの言葉に、あまり多くの意味内容を詰め込みすぎると、議論がしにくくなる。コンピュータのプログラムの作成の際に、一つのサブルーチン、関数あるいはメソッドに多くのものを詰め込みすぎてはいけないのと同じである。あまり少なすぎると、中身のない定義となり、単なる言い換えに過ぎないと批判されることになるが、どちらかと言えば、短めに定義された概念を組み合わせて、新しい概念を定義し、それを積み重ねる形で複雑な議論を展開していく方がよい。

もっとも私の経験の範囲では、法律学の一つの論文の中で、新奇な定義が連続するのも問題である。法律学の議論は、通常は、先人が作り上げてきた巨大な建物に一つのレンガを組み入れる作業であり、一つの論文の中で新たに定義される概念が多数に上ることはないはずである。自分で多数と感ずる場合には、議論を再点検する方がよい。再点検しても、やはり多数の新概念を用いなければならないのであれば、臆することなく書き進めるよりしかたがない。画期的な議論をしているのであろう。
一つの概念に何を詰め込むかの問題を、いくつかの例について見てみよう。

訴訟係属  これについては、次の2つの定義の仕方がある。
上記の2つの定義の違いは、訴訟係属が発生した時に生ずる最も重要な効果をその概念内容に取り込んでいるか否かである。実質的定義がそれを取り込んでいるのに対し、形式的定義は取り込んでいない。形式的定義では、「裁判所が特定の請求について審理裁判すべき状態にある」という法的効果も、訴訟係属の発生によって生ずる多数の効果(例えば、当事者照会をすることができること(民訴163条)など)の一つにすぎない。「訴訟係属」は、裁判所と両当事者との間で「訴状が被告に送達された時」から当該審級における手続の終了(判決の確定、上訴、移送、訴えの取下げなどによる終了)までの時間が進行中であることと種々の効果とを結びつける媒介項でしかない(端的に言えば、それは、「裁判所と両当事者とが前記の時間内にあること」に与えられた名辞である)。

形式的定義の内容は、実質的定義を基準にすると、内容が稀薄である。形式的定義を基準にすると、実質的定義は内容が多すぎることになる。いずれを採用するかは、訴訟係属に関するさまざまな事項を説明するのにどちらが便利かに依存し、趣味の問題でもある。私は、形式的定義の方が、次の事項を説明しやすいと考えるので、これを採用している。
要件の面からの定義と効果の面からの定義
法的ルールは、一定の要件の下で一定の法律効果が発生することを定める。両者の結束点を一つの言葉(用語)で表すときに、その言葉は重要な概念になる。その言葉を定義する際に、定義の中に要件と効果の双方を含めることもできないわけではないが、通常はそうしない。結束点となるキーワードの定義の中味は必要最小限にとどめ、その語を用いてルールを設定する方が、ルールの設定がしやすくなる(状況に応じて要件あるいは効果を様々に設定することができる)からである。そのルール全体を簡潔な言葉で表す必要がある場合には、別の適当な名称を付ける方がよい(例えば、結束点となるキーワードを「A」とすれば、ルール全体は、「Aの要件と効果」あるいは「Aに関する規範」)。

上記のことを破産法の用語について見てみよう。要件の面から定義されている用語の代表例は「破産債権」であり、効果の面から定義されている用語の代表例は「財団債権」である。

財団債権
  これには雑多なものが含まれるので、要件の面から定義しようとすると、簡潔な定義が難しい(要素を列挙する形の定義になってしまう)。そこで、破産法2条7項は、これを効果の面から「破産手続によらないで破産財団から随時弁済を受けることができる債権」と定義した。この法律効果を享受するのにふさわしい債権を列挙し、その根拠を説明することは、要件論の仕事となる。財団債権に結び付けられた法律効果には、定義中に挙げられた効果の外に、「財団債権は、破産債権に先立って、弁済する」(151条)がある。立法者がこれを定義の中に盛り込まなかったことの中に、定義の内容は必要最小限にすべきであるとの姿勢を読みとることができる。

破産債権
  これは、要件の面からの定義に比較的よく親しむ。破産法2条5項が「破産者に対し破産手続開始前の原因に基づいて生じた財産上の請求権(第97条各号に掲げる債権を含む。)であって、財団債権に該当しないものをいう」と定義している。原則的要件は、「破産者に対し破産手続開始前の原因に基づいて生じた財産上の請求権」であるが、次の2つの例外が認められている。
2つの例外がある点で幾分不細工ではあるが、それでも比較的簡潔な定義となっている。破産債権に結びつけられた主要な効果は、次のことである。
  1. 破産手続により行使することができる
  2. 破産手続以外の方法では行使することができない(100条1項)
  3. 個人破産の場合に、免責許可決定の効力を受ける(253条1項柱書)

3については、非免責債権の例外が多数ある。2については、100条1項が「この法律に特別の定めがある場合を除き」との留保を付し、同2項にその特別の定めが置かれている。1については、例外はない(そのはずである)。したがって、破産債権を1の効果の面から定義することも可能である。

破産管財人と破産財団
  破産法2条の定義規定を見ていて、違和感を覚えるのは、「破産管財人」の定義中に「破産財団」の語が現れ(2条12項)、「破産財団」の定義中に「破産管財人」の語が現れている(同14項)ことである(循環的定義)。2つの語を一組にして定義せざるを得ないことがあるのは確かであるが、その場合には、同一の定義記述の中で定義する方が好ましい。その点は脇に置いて、それぞれの定義を見ることにしよう。

「破産財団」の定義は、「破産者の財産・・・であって、破産手続において破産管財人にその管理及び処分をする権利が専属するもの」(破産法2条14項)となっており、要件の面からの定義要素(前半部分)と効果の面からの定義要素(後半部分)から構成されている。破産財団に属する財産は、基本的に破産債権への配当及び財団債権への弁済に用いられる財産であるので、後半部分は、「財団債権への弁済及び破産債権への配当に充てられるべき財産」で置き換えることもできる。

「破産管財人」の定義は、「破産手続において破産財団に属する財産の管理及び処分をする権利を有する者」となっている。これは、与えられた権限、したがって効果の面からの定義となっている。この定義規定と78条1項及び79条との内容的重複が気になる。もちろん、78条1項も79条も、2条12項には尽くされていない部分があるので、それぞれ存在意義はあるのであるが、それでも、78条1項の内容を2条12項に取り込み、79条の内容を78条1項に移す方が簡潔でよいだろう(現状では、授業で破産管財人の権限を説明する際に、2条12項・78条1項・79条と3つの条項の参照を指示することになり、煩雑さを感ずる)。

言葉の定義の問題か政策論なのか

法律学の中心的な仕事は、社会に生じうる様々な紛争を適切に解決できるように、多数のルールを整合的に設定することである。ルールは、通常、一定の要件の下で一定の効果が生ずると言う形で記述され。その要件と効果を明確にし、そのルールがどのような理由で設定されたのかを説明することが重要である。
要件と効果の記述に用いられる言葉の意味は、時の経過の中で変化しうるが、通常は、その時代その時代で、通常用いられる意味が定まっている。通常用いられる意味でルールを解釈し、具体的な事例に適用すると不当な結果が生ずる場合には、ルールの要件部分あるいは効果部分の変更又は双方の変更が必要となるが、多くの場合は、要件部分の変更で足りる。要件部分の変更は、要件の厳格化と緩和の2つの方向があり、要件の緩和は、類推適用を認めるという形をとることもある。ともあれ、ルールの変更には、その理由付けのための議論が必要であり、その議論は、妥当な解決が何であるかの議論(政策論)を伴う。

しかし、ルールで用いられているキーワードの意味がルール設定時と現在とで変化している場合に、その変化を見落として、現在使われている通常の意味で解釈したルールは妥当な解決をもたらさないから、ルールを少し変更すべきであるとの政策論を展開すると、はなはだバツの悪い思いをすることになる。

 例1−破産手続開始の申立ての棄却

破産法24条以下の規定は、破産手続開始申立てがなされた場合に、裁判所が他の手続の中止命令等、包括禁止命令等の暫定的処分をなし得ることを定めた規定である。破産手続開始申立てを棄却する決定に対して即時抗告が提起された場合には、抗告審が原決定を取り消して申立てを認容することもあるので、その場合に備えて、33条2項が24条以下の規定を準用して、抗告審による暫定的処分を可能にしている。すなわち、第33条2項は、次のように規定する:
「第24条から第28条までの規定は、破産手続開始の申立てを棄却する決定に対して前項の即時抗告があった場合について準用する。」

ところで、破産法30条1項は、破産手続開始申立てがあった場合に、次の場合を除き、開始決定をなすべきものと規定している。
「裁判所は、破産手続開始の申立てがあった場合において、破産手続開始の原因となる事実があると認めるときは、次の各号のいずれかに該当する場合を除き、破産手続開始の決定をする。
  1. 破産手続の費用の予納がないとき(第二十三条第一項前段の規定によりその費用を仮に国庫から支弁する場合を除く。)。
  2. 不当な目的で破産手続開始の申立てがされたとき、その他申立てが誠実にされたものでないとき。」

現在の判決手続における通常の用語法(手続的要件を満たさない場合には「却下」の裁判をし、手続的要件は充足するが本案の要件を充足しない場合には「棄却」の裁判をする)を前提にすると、1号は手続的要件であるから、この場合には、申立てを却下する裁判をすることになり、この裁判には33条2項の適用はないことになる。その理由は何なのか、政策論として問題はないのかという疑問が生ずる。すなわち、
上記のように考えて一度は講義ノートを書き換える作業を始めてみたはものの、あまりスマートな議論はできない。不細工な議論を途中まで書いたところで、どこかで思い違いをしているのではなかろうかという不安に襲われ、民事再生法25条を読むと、次のように規定されている。
「次の各号のいずれかに該当する場合には、裁判所は、再生手続開始の申立てを棄却しなければならない。
  1. 再生手続の費用の予納がないとき。
  2. 裁判所に破産手続、整理手続又は特別清算手続が係属し、その手続によることが債権者の一般の利益に適合するとき。
  3. 再生計画案の作成若しくは可決の見込み又は再生計画の認可の見込みがないことが明らかであるとき。
  4. 不当な目的で再生手続開始の申立てがされたとき、その他申立てが誠実にされたものでないとき。」

1号の費用の予納などは、典型的な手続的要件ではないか。それを充足しない場合に、申立て棄却というのでは、「棄却」の意味が通常とは異なる。そこで、旧破産法の古い体系書を開くと、次のように記されている([斉藤*1934a]81 頁、[加藤*1952a]280 頁))
「棄却」と「却下」の用語法が現在の通常の用語法とは異なっているではないか!。民事再生法は、旧破産法の用語法を引き継いだ。他方、現行破産法30条では、この用語法を避けるためであろうか、民事再生法とは異なり、前記のように規定したのだろう。

しかし、破産法33条2項は民事再生法36条2項と同様な表現を用いているのであるから、破産法33条2項の「棄却」は、旧破産法の意味での棄却(「不適法として棄却する」を含む意味での棄却)と理解してよいであろう。となれば、前記の不細工な政策論はまったく不要であったことになる。

区別(異なる処理)をすべきか否か

「同じものは同じように、異なるものは異なるように扱え」。これは、法律学の基本原理の一つである(平等原則の一つの表現である)。前者は、要件設定において、同じものに同じ法律効果が付与されるように、要件を一般的に設定することを要請し、後者は、異なるものに異なる法律効果が付与されるように、要件を個別的に設定することを要請する。実際の解釈論において、前者が直接問題になることは少なく、後者の方が問題になる(ただし、異なるものと評価すべきか否かという形で前者が問題になることはよくある)。
区別が手続法上困難である
実体法的には区別するのが妥当であるが、手続法的には区別して扱うのが困難な場合が時折ある。その困難は、立法の段階ですでに克服しがたいものもあれば、新たに立法するならば克服可能であろうが、解釈論としては克服しがたいものもある。いずれにせよ、「異なるものを異なるように処理する」ことが手続上の理由により困難と思われる場合には、その処理を諦めて、「異なるものを同じように処理する」よりしかたないとの議論をすることになる。その場合には、異なるものの少なく一方について実体法上は不当な処理をすることになるが、それを上回る手続法上の困難があることを指摘しておくことが必要である。
例1(解釈論)  不動産の共有状態を解消する必要が生じた場合に、共有不動産を現物のまま分割することが困難なとき(住宅が典型例である)には、共有不動産を競売してその代金を持分に応じて分配するという方法で分割することになる。その共有不動産上に担保権が設定されている場合に、その担保権を買受人に引き受けさせることを前提にして売却するか(引受主義)、それとも競売により消滅することを前提にして売却するか(消除主義)が問題となる。引受主義にも合理性があるが、これを採用するためには、被担保債権額を間違いなく確定する必要がある。それが困難であるので、日本法では、強制執行としての競売(強制競売)及び担保権実行としての競売(担保不動産競売)において、消除主義を原則としている(民事執行法59条1項)。では、分割のための不動産競売ではどうすべきか。この問題は、最高裁判所 平成24年2月7日 第3小法廷 決定(平成23年(許)第31号)により、担保不動産競売の場合と同様に消除主義をとった上で、担保権者の保護のために民執法63条の無剰余措置をとるべきものとされ、今では解決ずみとなっているが、同決定が出るまでは、学説上は引受主義説が主流であった。その状況下で、『注解民事執行法(5)』(第一法規、昭和60年初版、昭和61年初版2刷)(近藤崇晴) が次のような議論をしている。
不動産の形式的競売に関しては、消除主義では、後順位用益権者が存在する場合にその利益が不当に害されことになり、消除主義の採用により不当に利益を害される者が存在するか否かによって、「引受主義と消除主義とを使い分けるのでは、複雑にすぎて実務的ではないから、結局、換価型の形式的競売においてはすべて引受主義によるとするのが、穏当なところであろうか」(379頁)。

見解に名前を付ける

議論の要素となる概念のみならず、議論の結果である説(見解)についても、同様に名前を付けることが必要になることがある。

例1(「事務管理性を基準とする2分説」)  主債務者の委託を受けることなく保証人が債権者と保証契約を締結し、その履行として弁済をすれば、保証人は主債務者に対して求償権を有する。求償権の内容は、民法462条で規定されているが、法的性質は事務管理と解されている(その求償権の内容は、民法702条による求償権の内容と同じである)。主債務者に対して債務を負っている者が、主債務者の破産手続開始前に締結された保証契約に基づいて、その開始後に弁済した場合に、保証人は、求償権を自働債権として主債務者の債権と相殺することができるかが、問題となる。この問題を考えるあたって、(α)破産手続開始後の弁済に原因のある債権と位置づけるべきなのか、それとも、(β)その求償権は、破産手続開始前に締結された保証契約に原因のある債権と位置づけるべきなのかが問題になる。
  この2つの考えに名前を付けると、あとの議論がしやすくなる。前者を「代位弁済原因説」と名付け、後者を「保証契約原因説」と名付けることにしよう。この名称付けは、それほど難しくないであろう。もっとも、この名称の外に、代位弁済あるいは保証契約締結の時に原因があるという意味で、「代位弁済時説」・「保証契約時説」の名称も考えられ、私は、当初、これらの名称を使用してみたこともある。その意味では、この名前付けも、試行錯誤を伴った。なお、代位弁済原因説によれば、破産手続開始後に代位弁済がなされた場合には、求償権の原因は破産手続開始後にあることになり、普通に考えれば、破産法2条5項に定義されている破産債権でないことになるが、ただ、破産法100条1項・253条1項との関係で、保証人でない第三者が破産手続開始後に代位弁済した場合の求償権について、「破産債権である原債権について代位弁済をしたことにより生ずる求償権であるから、破産債権である」との趣旨を説く見解もあり(この破産債権は、(「みなし破産債権」の名称を付して、破産法67条の対象にもなりうる通常の破産債権から区別すべきである))、この見解との組み合わせも可能にするために、「代位弁済説」の内容の中に、「したがって、無委託保証人が破産手土月開始後に代位弁済したときは、その求償権は破産債権ではありえない」の言明を取り込まないようにしておくことが必要である。
  ともあれ、代位弁済原因説と保証契約原因説のいずれを採用するにせよ、≪主債務者の債権は、彼の破産手続開始後に彼の意思によらない債権対立から生ずる相殺権によって消滅させられるべきではない≫あるいは≪保証人は正当な相殺期待を有しない≫といった実質的に判断により、「相殺は許されるべきでない」との結論に変わりはなく、また、「求償権を破産手続外で行使することは許すべきではなく、主債務者について免責許可決定があったときにその効力が原債権に及ぶのであれば求償権にも及ぼすべきである」、との結論にも変わりはない。こうした結論をうまく説明するためにはいずれの説がよいかが問題になっているのである。
  代位弁済原因説に従えば、求償権は破産手続開始後に原因のある債権であるから破産債権ではなく、したがって破産法67条の要件を充足しないので、相殺は許されない(代位取得する原債権は破産債権であるが、これによる相殺は72条1項1号により許されない)と説明すれば足りるが、破産法100条1項・253条1項との関係では説明に工夫が必要になる(その説明自体は困難ではない)。他方、(β)のように考えれば、求償権に破産法100条1項・253条1項の適用があることはすぐに説明がつくが、この求償権による相殺を制限するために工夫が必要になる(この説明も困難ではない。破産法72条1項1号が類推適用されると言えばすむ)。最判平成24年5月28日は、後者を選択した。その前提として、たとえ保証人が債権者から保証料を徴収し、主債務者に内密にしておくことを条件に保証契約が締結されたとしても、無委託保証契約の締結自体が一般に主債務者のための事務管理であると解した。
  私見は、主債務者が経済的苦境にあり、保証人が債権者と保証契約を締結しないと主債務者が債権者(又は債権者となるべき者)から信用の供与(取立ての猶予、新規貸付けあるいは商品の掛け売りなど)を得られなくなって事業の継続等が困難になるという状況下で、主債務者も保証人に保証契約を委託してでも債権者から信用を得たかった場合に、かつ、無委託保証契約の締結後に保証人が主債務者にただちに事務処理の報告(民法699条)をしたのであれば、無委託保証契約の締結自体が主債務者のための事務管理になり、この場合の保証人は、受託保証人に準じて扱ってよいが、保証人が債権者から保使用料を徴収して主債務者に内密に締結した無委託保証契約は保証人のビジネスとしてなされものであり、そのような保証契約の締結自体は主債務者のための事務管理にならず、保証人による代位弁済が主債務者のための事務管理になるとの見解をとった。無委託保証契約が主債務者のための事務管理になるのかの点について判例と大きな違いがあるので、その違いを強調するために、私見のような見解に適当な名前を付ける必要が生ずる。そこで、この見解は、無委託保証契約が多様な状況の中で締結されることを考慮して、保証契約自体が主債務者のための事務管理に当たるか否かを基準にして2類型に分けている点にちなんで、「事務管理性を基準とする2分説」の名称を付した。若干長いが、私見の内容をアピールする必要があるので、これでよいであろう。
  次に、判例のような見解にどのような名前をつけるかが問題となるが、「2分」の反対語は「単一」であろうが、この場合は、「単分」でよいだろう。すると、「無委託保証契約に事務管理性を一般的に肯定する単分説」となろうか。ただ、私見において無委託保証人が受託保証人に準じて扱われるべきとしている場合について、判例がどのような処理をすることになるか(破産法72条1項1号を類推適用しないのではないか)の問題があり、「単分」の語を名称に含めるのがよいかは不明である。その点からすれば、「無委託保証契約に事務管理性を一般的に肯定する説」、短くして「事務管理性肯定説」の方がよいかもしれない。

可能な選択肢の列挙

前置き  1980年頃まで、法学部における専門科目の試験問題は、たいてい短かった。典型例は、「***について説明せよ」という一行問題であった。事例問題は幾分長くなるが、それでも、100文字以下が通常であった。何故かくも短かったのか。理由は、その時代の物的環境に求めることができる。コピー機がそもそもなかった時代、あるいはあっても1枚のコピーがまだ高価であった時代、教育機関が利用できる複製手段は、ガリ版刷りであり、小・中・高等学校ではよく利用されていた。大学でも、学生はよく利用していて、学生運動のアジテーション用ビラは、ほとんどガリ版刷りであった。しかし、教育の場では、ほとんど見かけなかった。その頃、大学では、試験問題は、多くの場合に黒板に板書されていた。板書となれば、当然短くならざるを得ない。コピー機が普及し、大学内部で大量の複製を簡易に行うことができるようになると、試験問題も紙に印刷して配布するようになり、長文の試験問題も気楽に作成することができるようになった。

本 論  印刷コストが高かった時代に、論文や判例研究も短く書くことが求められていた(戦前の判例研究の代表である『判例民事法』の短さを見るとよい)。短く書くためには、一つの問題の解決方法として、複数のものが考えられる場合であっても、取り上げるのは、(α)学説や判例で現に主張されている解決方法、及び(β)自分が主張しようとする解決方法に限定することになり、(γ)誰も主張していない見解は、将来他の人によって主張される可能性のあるものであっても、自分が検討した結果では採用できない場合は、論説中で取り上げずにおくことになる。その結果、その後に(γ)の解決方法が他の研究者によって有力に主張されるようになったときに、自分の論文はその解決方法を思い付くことさえもなかった間抜けな論説の外観を呈することになるのである(ときには、そうであると言わんばかりに書かれることもある)。

そうしたことを2・3度経験すると、可能な解決方法は、多めに列挙して、その当否を一つ一つ検討することになる。その場合に、すでに学説等で主張されている解決方法については、その旨を明示することは当然である。他方、文献や判例において主張されてない解決方法については、「現に主張されているわけではないが、次のような解決方法も考えられる」と書くのが最善であろう。しかし、その場合には「誰によっても主張されていない」ことの確認が必要となる。ゲーテの言葉に「日の光の下に新しいものは何もない。全ては誰かが言ったことである」との警句があるとのことであり、この確認には神経を使うが、ある程度まで文献調査をして諦めざるを得ない。若干なりとも文献調査が不十分かもしれないとの不安があるときには、「次のような解決方法が主張され若しくは示唆されており、又は考えられる」と書いて、複数の解決方法を列挙しておく。

既に主張されている見解が明瞭とは言えない場合に、その見解の採用していると思われる解決方法を明確にしておくことが必要になる。その場合には、「この見解の趣旨は明瞭ではないが、次のような趣旨と理解することも可能であり、またそのような趣旨の解決方法も想定することができる。実際に存在したか否かは別として、この見解を***説と呼んで、検討の対象にすることにしよう」と書く。この断り書きを明示しておかないと、「実際には存在しない見解を存在するかのように誤解した」と非難される。そのような誤解を判例についてしているとの非難は、厳しい:「最高裁判例は、そのように言っていないにもかかわらず、その趣旨であると誤解している」。しかし、判例の趣旨が明瞭ではない場合に、可能な解決方法を網羅的に検討するために、ある解決方法を判例の示唆する解決方法として取り上げることは許容範囲のことというべきである。むしろ、そうした非難に度量の狭さを感ずる。しかし、無用な非難を予防することも重要であり、前記の断書きは、入れておく方がよい。

規定ないし制度の根拠の説明

ルールは、一定の目的の達成のために、一定の要件の下で一定の効果が生ずることを定める。規定の根拠の説明とは、通常、次のいずれかのことを指す。
  1. 当該ルールにより達成されるべき目的
  2. その要件の下でその効果を発生させることができる理由(広義での正当化根拠)。

ここでは、Bの意味での根拠の説明を取り上げよう。

例1a 民事訴訟法114条の既判力は、一方の当事者に有利に作用すると共に、他方の当事者に不利に作用する。不利な作用を受ける当事者については、既判力ある判断に拘束されることの根拠を示すことが要求される[8]。一般に、法制度の根拠は、その必要性の面と、当該制度により不利益を受ける者との関係での許容性(狭義の正当化根拠)の両面から説明するのがよい。このことは、既判力制度の根拠の説明にも妥当する(二元説。[高橋*重点講義・上]523頁以下参照)。
上記の説明において、「必要性」の部分は、「当該ルールにより達成されるべき直接の目的」と言い換えてよいであろう。つまり、規定の根拠の説明にあたっては、「当該ルールにより達成されるべき目的」の説明が重要であることは言うまでもないが、それだけでは足りないのである。

例1b 2002年2月13日の日銀総裁記者会見要旨の中で、日銀特融について、LLR(レンダー・オブ・ラストリゾート)の4原則に言及され、総裁がこれを次のようにまとめている。
  1. 一つはシステミック・リスクの惧れがあるかということ、
  2. 二つめは日銀特融以外に打つ手はないのか、他に方法がないのかという不可欠性、
  3. 三つめはモラルハザードを与えるようなことにならない、
  4. 四つめは日本銀行の財務の健全性が崩れないかということである。

1番目と2番目は必要性の点から設定された要件である。3番目と4番目は許容性の点から設定された要件であるが、その中で3番目はいわば「弊害防止」の視点から設定された要件とみることができる。

* LLRについては、正規の文書を引用すべきであるが、それをする余裕がない。ご容赦をお願いしたい。

例1c 企業おける懲戒制度の根拠について、三井正信『現代雇用社会と労働契約法』(成文堂、2010年)166頁は、次のように説明する:「懲戒処分(懲戒制度)に関しては、企業秩序=共同作業秩序の迅速かつ実効的な維持・回復の観点から導き出される適法性根拠と労使がこれに拘束されるための労働契約上の根拠という2つの異なるレベルの法的根拠が必要となる」(根拠2分説)。
これと実質的な差異はないと思われるが、例1aで示した必要性と許容性の枠組みで説明すると、次のようになる。 正当化のための根拠としてどのような要素が重要であると考え、その要素をどのように位置づけるかについては、通常、幾つかの構成が可能である。どの構成をとるかは、多分にわかりやすさの問題である。「必要性と許容性」という2元的な説明枠組みに固執する必要はないが、ただ、一般的な説明枠組みとして使い慣れておくと、わかりやすさが増すと思われる。

 要件の過不足

法律で規定された要件と効果の関係を検討すると、要件が緩やかすぎると感じられたり、厳しすぎると思われることがある。その場合には、要件の修正が問題となるが、(α)解釈により修正すべきと主張するのか、(β)立法による修正を求めるにとどめるのかは、迷うことが多い。また、(γ)「これこれの法律効果の発生を認めることが正当であるときには、その法律効果が発生する」という形で要件を抽象的に設定するのではなく、比較的具体的に設定する場合には、効果を根拠づけるのに必要にして十分な形で要件を精密に設定すること自体が難しいときがある。その場合の要件の過不足は、ルールの単純化のためにやむを得ないものと考える余地もあり、そのように考えるべきかどうかについても判断に迷うことがある。

ともあれ、規定の根拠を問い、要件の過不足を是正することは、解釈学の晴れ舞台の一つである。

例2a 民事執行法184条は、「担保不動産競売における代金の納付による買受人の不動産の取得は、担保権の不存在又は消滅により妨げられない。」と規定している。この規定は、次の2つの理由により根拠づけられると解されている。
  1. 所有者には不当な競売手続を阻止するための手段が与えられていること(手続保障)。 (α)不動産競売手続は、担保権の存在を証する一定の文書(法定文書)が提出された場合に限り開始され(181条1項)、(β)開始決定は債務者(所有者)に送達され(188条・45条2項)、その際に実行開始文書の目録等も併せて送付され(181条4項)、これにより債務者は自己の不動産が競売されること及びその根拠を知ることができ、(γ)彼が競売を不当であると考えるのであれば、担保権の不存在又は消滅を理由として開始決定に対する執行異議を申し立てることができ(182条)、さらに、競売手続の取消しをもたらす文書(担保権の存在を覆すに足りる証明文書)を訴訟手続により調達することができ、その文書を調達する時間が不足するときには、競売手続の一時停止を命ずる文書等を仮処分手続により調達する機会も与えられている(183条)。
  2. 競売手続を信頼した買受人の保護の必要のあること。 ≪前記の競売手続阻止手段を利用して手続を阻止しなかったあるいは阻止できなかった所有者≫よりも、≪抵当権が有効に設定され、その抵当権に基づいて裁判所が競売を行うのであるから所有権を取得することができるものと考えた買受人≫を保護すべきであり、そうすることにより裁判所が運営する担保不動産競売に対する一般の信頼を確保すべきである。

しかし、真の所有者の意思に基づかずに偽造文書により所有権移転登記がなされ、表見所有者が設定した抵当権に基づいて競売がなされ、真の所有者が競売手続上の当事者とされておらず、競売手続の進行も知らなかった場合には、aの手続保障が与えられていたと評価することはできない。そこで、そのような場合には、184条の文言(この場合を排除する文言になっていない)にかかわらず、同条の適用はないと解されている。

この解釈は、民事執行法の立法当初から主張されている。ある高名な民法研究者が、私的な会話の中で、「それなら、そのような文言にすればよいのに」と述べたことが今も印象に残っている。

例2b  規定の必要性は肯定されるが許容性は肯定されないために、要件を厳格にするだけでは足りず、規定自体を無効と判断すべきであると主張されることもある。例えば、非嫡出子の相続分を嫡出子の相続分の2分の1と定めた民法900条4号ただし書前段の規定を違憲ではないとした最高裁判所 平成21年9月30日 第2小法廷 決定(平成20年(ク)第1193号)の中で、今井功裁判官がその反対意見において次のように述べている:
「その立法目的は,前記大法廷決定の述べるように,法律婚の尊重ということにある。しかし,法律婚の尊重という立法目的が合理的であるとしても,その立法目的からみて,相続分において嫡出子と非嫡出子との間に差を設けることに合理性があるであろうか。憲法24条2項は,相続において個人の尊厳を立法上の原則とすることを規定しているのであるが,子の出生について責任を有するのは被相続人であって,非嫡出子には何の責任もない。婚姻関係から出生するかそうでないかは,子が,自らの意思や努力によってはいかんともすることができない事柄である。このような事柄を理由として相続分において差別することは,個人の尊厳と相容れない。法律婚の尊重という立法目的と相続分の差別との間には,合理的な関連性は認められないといわざるを得ない。」

 他に手段がない場合の最後の手段

一定の法律効果の発生を根拠付けのために比較的よく用いられ、かつ強力な根拠として、「他に手段がない場合の最後の救済手段である」という根拠(最後手段性)がある。これを根拠付けの一つとする制度ないし規定は、当然、そのこと(最後の手段であること)が要件となる。前記の日銀のLLRは、その一つの例である。

例3a 民事訴訟法224条は、1項において、「当事者が文書提出命令に従わないときは、裁判所は、当該文書の記載に関する相手方の主張を真実と認めることができる」と規定しつつも、相手方(挙証者)が文書の記載内容について具体的な主張をすることができない場合があることを考慮して、3項において、「相手方が、当該文書の記載に関して具体的な主張をすること及び当該文書により証明すべき事実を他の証拠により証明することが著しく困難であるときは、裁判所は、その事実に関する相手方の主張を真実と認めることができる」と規定している。

文書の提出を命令された当事者(文書所持者)が命令に従わなかったことのみを理由にして、当該文書により証明すべき事実に関する挙証者の主張を真実と認めることは、誤判の原因になりやすいので、本来は避けるべきであるが、事案の特質上、「他の証拠により証明することが著しく困難であるとき」には、最後の手段として、それを許容しようとするものである。

例3b  マンションの住人(区分所有者)の一人ががマンションの住人全体の共同の利益を害する行為をする場合には、最後の手段として、その住人をマンションから追い出す必要がある。追い出す方法として、その住人の住戸(すなわち、区分所有権)を競売により強制的に売却することが必要になる場合もある。そこで、区分所有法が、次のように規定している。 「第57条第1項に規定する場合において、第6条第1項に規定する行為による区分所有者の共同生活上の障害が著しく、他の方法によつてはその障害を除去して共用部分の利用の確保その他の区分所有者の共同生活の維持を図ることが困難であるときは、他の区分所有者の全員又は管理組合法人は、集会の決議に基づき、訴えをもつて、当該行為に係る区分所有者の区分所有権及び敷地利用権の競売を請求することができる。 」

 必要性は満たされないが十分性は満たされる場合

規定は、必要性の根拠と十分性の根拠の双方が妥当する事例を念頭において作られ、その場合にもっともよく根拠づけられる。しかし、規定の必要性の根拠は満たされないが、十分性の根拠は満たされる事例もあり、その場合にも当該規定は適用されるとすべきか否かが問題となる。

例4a 民事執行法184条の根拠は、前述のように、(α)所有者には不当な競売手続を停止するための手段が与えられていること(手続保障)と(β)競売手続を信頼した買受人の保護の必要があることである。そして、(α)の十分性の根拠が妥当しない場合には、184条の適用は否定される。では、十分性の根拠は妥当するが、(β)の必要性の根拠は妥当しない場合、例えば、買受人が、担保不動産競売の基礎となる担保権が存在しないことを知っていた場合に、184条の適用を肯定すべきであろうか、否定すべきであろうか。見解は分かれている。

確かに、(α)買受人が虚偽の抵当権設定登記がなされることに関与した場合であるとか、被担保債権の満足を受けた抵当権者自身が買受人になっている場合のような場合を想定すると、184条の適用は否定すべきである。しかし、(β)抵当権設定登記にまったく関与していない第三者が、競売不動産の確認のために現地を訪れた時に、所有者から抵当権は存在しないと主張されたにすぎないような場合には(たとえその証拠を示されたとしても)、184条の適用はなお肯定してよいように思える。

例4b 民事訴訟法115条1項3号は、口頭弁論終結後の承継人への判決効の拡張を定めている。その根拠は、次の点にある。
では、金銭債権者が債務者に対して提起した金銭支払請求訴訟において、給付を命ずる判決が確定した場合に、その訴訟の口頭弁論終結後(典型的には、判決確定後)に債務者のための保証人となった者は、115条1項3号の承継人に該当するであろうか。保証人に判決の効力を及ぼさなくても、債権者の法的地位に悪影響は及ばないのであるから、判決効の拡張の必要性の根拠が妥当しないので、否定説が有力である(「保証人は、いかなる意味でも承継人には当たらない」と言われる)。しかし、許容性の根拠は妥当するのであるから、口頭弁論終結後の保証人も承継人に該当するとすることも十分に考えられる。

ただ、上記の問題設定自体にやや分析不足(ないしは、想定する事例の具体化の不足)があるように見える。まず、保証人が、(1)債務者の委託を受けて、債権者と保証契約を締結した保証人であり、(2)保証契約の締結にあわせて、債権者が債務者に債務の一部免除を与えてある場合には、その後に保証人から主債務の不存在を理由に保証債務不存在確認の訴えを提起されたのでは、債権者の計算が狂う。この場合に、保証契約の締結時に、「保証人は債務者が債権者に対して債務を負っていることを認める」の文言が挿入され、それによって保証人が判決で確定された債権を争うことは封じられるとの立論は可能であるが、しかし、既判力が拡張されるとした場合との差はなお残りそうである。

次に、保証人が()債務者からの委託を受けることなく債権者と保証契約を締結し、債権者から保証料を受け取っていたような場合は、どうか。この場合には、保証人と敗訴当事者である主債務者との間に承継関係はない。しかし、保証人が、主債務の不存在を理由に保証債務の不存在を主張することは信義に反しよう。この場合には、保証人が保証債務を履行した後で、主債務者に対して求償権を行使する場合に、主債務者が保証人に対して主債務はもともと存在しないから求償債権も発生しないと主張することができるかが問題となる。この局面では、保証人は、債権者の承継人として請求認容判決の既判力が及ぶかが問題となる。代位により取得する債権については、承継人に該当することは言うまでもないが、求償権との関係でも、弁済対象となった債権が既判力によって確定されていることを援用することができるという意味で承継人に該当するとすべきである。

まとめ 以上のように、必要性の根拠が妥当しない場合には、規定の適用について見解が分かれることになる。必要性の根拠が妥当しないことを根拠に単純に適用を否定することができる場合もあるし、さらに場合分けをして要件設定を深めるのがよい場合もある。また、想定する事例の事実関係をさらに詳細にして分析を深めることが必要となる場合もあろう。

 効果の過不足

法的保護は必要な範囲で、過不足なく与えられなければならない。多すぎても、少なすぎてもいけない。

 例1 受託保証人の事前求償権

主債務者が債務を弁済したときに、保証人は、主債務者がなすべき給付を主債務者に代わってしなければならない。この給付は、債権者との関係では彼の債務(保証債務)の履行であるが、主債務者との関係では主債務者の債務の履行であり、これによる出捐(財産の減少)の償還を主債務者に求めることができる(事後求償権)。保証債務の履行前でも、一定の事由があれば、保証人は将来の出捐による損害の回避のために、保証人は主債務者に損害回避措置を求めることができる。その要件も重要であるが、ここでは、保証人に認められるべき損害回避措置を見てみよう。それには、次の2つの方法がある:
「問題の核心は、保証人の過不足ない保護にある」([國井*1988a]252頁) 。 ドイツ法やスイス法は、第一の方法をとった。フランス法は、法文上は第2の方法を規定しているかのようであるが、解釈により第一の方法に縮小されているとのことである([國井*1988a]253頁以下)。日本法は、第2の方法を採用した(民法459条から461条)。なお、この問題についてのローマ法の変遷について[西村*1993a]、ドイツ法について[高橋*1996a1.4]80頁以下参照。
いずれの方法でも、過不足のない保護を与えることができると思われる。ただ、保護手段の簡明さという点では、多めの保護を与えて後からそれを制約する第2の方法よりも、最初から制約された保護手段を与える方が、スマートではある。しかし、保護手段の実効性の問題もあり、どちらを採用するかは、微妙な政策判断であろう。
言うまでもないことであるが、効果の過不足は要件との関係で判断されるものである。受託保証人の求償権の要件には、性質の異なるものがあるので、各要件ごとに何が最適な法律効果(保証人に与えられるべき救済手段)かが検討されなければならない。

実定法を離れて、第一の構成にしたがった受託保証人の求償権、すなわち解放請求権(免責請求権、担保請求権)の内容を考えてみよう。その具体的な方法としては、次の3つであろう。
  1. 免責交渉請求権   主債務者が主債権者(被保証債権者)と交渉して、保証契約の解消させること保証人が主債務者に請求できるとすること。主債権者にこの交渉に応じてもらうためには、その前提として、主債務者は主債権者に新たな担保を提供することが必要になろう。
  2. 担保請求権  主債務者が保証人のために担保提供することを主債務者に請求する権利を保証人に与えること。
  3. 債務弁済請求権  主債務者が主債権者に弁済することを主債務者に請求する権利を保証人に与えること。

このうちで、第2の方法の強制的実現は、担保のための供託を命ずる判決を下して、その強制執行となる。民法では、弁済供託の制度については明文の規定(494条以下)があるが、担保のための供託(略して「担保供託」と言うことにしよう)に関する規定はない。しかし、民事訴訟法や民事執行法では、担保のための供託は認められていることであり(民訴法76条、民事執行法15条)、肯定できないわけではなかろう。第3の方法の請求権の強制的実現は、第三者(主債権者)への給付を命ずる判決の強制執行によりなされる。 第1の方法は、主債務者と主債権者の交渉に依存することが多く、強制的実現になじみにくい。比較的単純な方法として、主債務の担保として十分な金銭その他の有価証券を主債務者が主債権者のために供託することを求める権利を保証人に与えることが考えられるが、その担保が提供されたからと言って、保証契約の終了の効果を発生されることができると言えないであろう。少なくとも、主債務者が主債権者のために一定の担保を提供した場合に、主債権者に保証契約の解約に応ずることを命ずる判決が必要となろう。したがって、第1の方法は、保証人と主債務者との間で下される判決の強制執行により単純に実現できることではない。選択肢として残しておくべきであろうが、以下の議論では除外することにする。

次に、保証人が主債務者に対して免責請求権を行使できる場合ごとに、どのような方法を用いることができるかを検討してみよう。
  1. 主債務の履行期が到来しているとき(460条2号)には、まず、担保請求権も債務弁済請求権も認めることができる。
  2. 保証契約の成立後に主債権者が主債務者に対して期限の猶予を与えても、それは保証人に対抗することができない(民法460条2号ただし書)。保証人は、当初の弁済期が到来したときに免責請求権を行使することができるが、主債務者と主催家車間では弁済期未到来であるので、債務弁済請求権をみとめることはできず、担保請求権のみをみとめることができる。
  3. 主債権者の保証債務履行請求の訴えにより保証人が過失なくして敗訴判決を受けたとき(民法459条1項前段)には、通常、主債務の履行期が到来していることが前提となる(民法448条)。その場合については、aの場合と同じである。例外的に、保証人が弁済期未到来の抗弁を無過失で出すことができなかったために、主債務の履行期は到来していることを前提にして保証債務の履行を命ずる判決を受けたが、主債務者と主債権者との間では主債務の履行期が到来していないとされる場合もある。この場合には、前記bの場合と同じになろう。
  4. 債務の弁済期が不確定で、かつ、その最長期をも確定することができない場合において、保証契約の後十年を経過したとき(民法460条3号)にも、債務弁済請求権を与えるのは行き過ぎである。担保請求権のみを認めれれば足りる。
  5. 主債務者が破産手続開始の決定を受け、かつ、債権者がその破産財団の配当に加入しないとき(民法460条1号)には、破産法104条3項との関係が問題となる。同項で規定されている求償権は、将来の事後求償権であり、将来の請求権(法定の停止条件付債権)については、破産法で、最後配当の除斥期間内に停止条件を成就させて、現在の請求権にしなければならず、それができない場合には配当から除斥される(破産法198条2項・201条2項)。通常は、保証人は、最後配当の除斥期間満了までに保証債務を履行するか、それができない場合であれば彼自身について破産手続が開始されているかのいずれかであろうが、ただ、主債権者が保証債務の履行について猶予を与えつつ、主債務者の破産手続にも参加しないということがあり得よう(少なくとも理論的にはあり得るし、主債務者と保証人は日本国内に本拠を有しているが、債権者が外国に本拠を有していて、日本国内に足がかりがない場合には、こうしたことが現実にも生じ得よう)。このよう場合を想定すると、民法460条1号と破産法104条3項とは同趣旨の規定であり、前者の規定による破産手続参加の場合にも、最後配当の除斥期間内に保証債務を履行していることが必要であると規律することはためらわれる。民法460条の規定の文言通りに、同条の事前求償権は、保証債務履行前においても現在の請求権であり、したがって破産法198条2項の適用を受けないとするのが、条文解釈としては素直である。しかし、保証人が保証債務履行前に保証債務の履行のための資金を配当金として受領することかできるとすることも行き過ぎである。1の場合と同様に、保証人は、主債権者への配当を請求することができるとすべきであろう。第三者への配当を求めるための破産手続参加は、ほとんど議論されていないが、しかし、第三者への給付を求め請求権が実体法上肯定されている以上、破産法においても、その請求権に見合った破産手続参加を許容すべきであろう。民法460条1号の破産手続参加はその一例と考えることができる。主債権者が配当金の受領に来ないことは十分予想されることであるが、そのこと自体は前記の考えの障害とはならない。破産法202条3号が、「破産債権者が受け取らない配当額」を破産管財人は供託しなければならないと規定しているからである。では、担保請求権はどうであろうか。これを認めると、破産財団の迅速な清算(破産手続の迅速な処理)が害されよう。主債権者への配当を求める請求権を認めれば十分である。

以上のことをいわば評価基準として(いわばベンチマークとして)、前記第2の構成をとる日本民法461条をどのように解釈するかが、次の仕事になる。次のように考えたい:

all or nothingを避ける

ある事例では法律効果Rを認めることが妥当であり、他の事例では法律効果Rを認めないことが適当であるとしよう。この場合には、法律効果Rを認めるのが妥当な事例の要件Tを設定して、「Tの場合には、Rが生ずる」という規定を定立される。法律効果は、発生するか発生しないかの二者択一すなわち、all or nothing である。この規定を実際に運用してみると、ある場合には、発生する法律効果がRでは強すぎ、それよりも弱い法律効果の方が良いと感じられるようになることがある。その弱い法律効果をR1とし、R1が認められるのが適当な事例の要件をT1とすると、「「Tの場合には、Rが生ずる。T1の場合には、R1が生ずる」という規定が定立される。こうして、事例が幾つかのグルーブに分けられ、それに適した法律効果の発生が認められるようにすることは、立法段階でも、解釈の段階でも、よく見られることである。標語的に言えば、「多様な事案に応じた多様な法律効果」になる。

例1   労働基準法16条は、次のように規定している:「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。」。使用者(例えば大学を運営する学校法人)が従業員(例えば教員)の能力を高める目的で資金を提供して留学させたところ、その従業員が留学終了後すぐに退職して、他の会社あるいは大学に移籍すると、使用者は留学費用を負担した目的を達することができない。そこで、留学後の勤務継続を確保するために、使用者は、労働者に留学後一定期間内の継続勤務義務を負わせた上で、あるいはその義務を負わせることなく、その期間内に退職した場合には労働者が留学費用を会社に全額返還する旨の合意を労働者とすることがある。その合意が前記の労基法16条に違反しないかが問題になる。

裁判所は、労働契約から区別された金銭消費貸借契約により留学資金が提供されているか、留学が任意的・自発的なものであるか業務としてなされたものであるか等の諸々の要因を考慮したうえで、16条違反になるか否かを判断しているようである([荒木*2013a]73頁以下)。しかし、これであると、16条違反であれば返還請求が認められず、そうでなければ全額の返還請求が認められるというall or nothing の解決になる。それは適切ではないとの視点から、[荒木*2013a]74頁は、次のように述べる:「業務性の程度と労働者のキャリア形成のメリットの双方を勘案した、合理的な返還方式が模索されるべきであろう」とし、参考にされるべき解決方式として、2006年制定の国家公務員の留学費用の償還に関する法律3条を挙げる。

比 喩

 まずは余談から

余談1 「比喩は、証明にはならない」という言葉がある。まったくその通りであるが、それでも、わかりやすく説明するために、あるいは表現を楽しむために、比喩はさまざまな領域の作品で用いられる。例えば、夏目漱石の「倫敦塔」も比喩にあふれた作品である。最初に出てくる比喩は、漱石がロンドンに到着して間もない頃の状況を表したものである 「その頃は方角もよく分らんし、地理などは固(もと)より知らん。まるで御殿場(ごてんば)の兎(うさぎ)が急に日本橋の真中(まんなか)へ抛(ほう)り出されたような心持ちであった。」(「青空文庫」による)。とても解りやすい。

余談2 しかし、わかりにくい比喩もある。新約聖書マタイ伝20章の「ワイン農場の労働者の喩え」は、わかりにくい。いくぶん再構成して記すと、次のような話だ。
農場主が収穫のために、朝早くに市場に出かけて、1日1デナールの報酬を支払うことを約して労働者を雇い、農場に連れて行って収穫させた;第3時に市場に行くと仕事ない労働者がいるので、正当な報酬を払うことを約して農場に送り込んだ;第6時、第9時にも同じことをし、さらに第11時にも市場に行くと仕事のない労働者がいるので、同じようにして農場に送って収穫をさせた;夕方になると、後から働き始めた者から仕事を終らせ、全員に等しく1ディナールの報酬を支払った;すると、最初に雇われた労働者たちは、もっと多くの報酬をもらえると思っていたのに、報酬額が同じであったので、「最後に来た者たちは1時間しか働いておらず、俺たちは1日中暑い中を働いたのに、同じ報酬というのはおかしい」と不平を言った;すると、農場主は、「おまえとは1日1デナールの報酬の約束をした。その約束通りに報酬を払ったのだ。後から雇われた者に1ディナールを払うのは、私の財産の自由な処分だ。私にはその権利がある」と答えた;天国とはこのような農場主に似ている;最初の者が最後になり、最後の者が最初になる。

これでは、早朝からのブドウ収穫作業に応募する労働者が来年からいなくなる。なんとも不合理なことをする傲慢な農場主だ。そう思いつつ、淀川キリスト教病院に入院しているときに、患者の見舞いのために巡回しておられた牧師さんに、この比喩の意味を問うと、「長い期間信仰すれば、それだけ多く救われるというものではない、という意味です」と返事をいただい。そういう趣旨であれば、理解可能な比喩である。しかし、そこに行き着くまでに時間がかかった。

学問の世界は、自己の思索の結果を他人にできるだけ速く理解してもらえる形で他者に提示することが重要である。わかりにくい比喩は、時間の浪費にすぎない。避けられるべきである。

余談3 2010年春にユーロ圏に属するギリシャが発行する国債の危機が生じた(政府債務がGDPに比して過大であり、償還期をまもなく迎える国債が償還されるか(債務の借換えが円滑に行われるか)どうかについて、信用不安が生じた。ギリシャの経済危機の1つの要因は、ユーロ圏で競争力の強いドイツから競争力の弱いギリシャ等の地中海沿岸諸国に向けて輸出が行われ、その結果、ドイツが黒字国になり、その裏返しでギリシャ等が赤字国になっているのであり、通常であれば(ギリシャが独自の通貨を有しておれば)、ギリシャは為替レートの切り下げで貿易収支のバランスを回復させることができるのに、ユーロという単一通貨同盟に属したためにそれができないのであるから、ドイツはギリシャに経済支援を与えるべきであり、ドイツは内需を拡大して黒字を減らすべきであるとの論調の意見がドイツ以外の国々から目立つようになった。ドイツ国内の世論は、ドイツの労働者の汗の結晶を他国の支援に消費することには反対である。それを受けて、ドイツのある閣僚が、「ドイツの黒字を減らせと言うのは、サッカーのバイエルンミュンヘンに下手なプレーをせよと言うようなものだ」と述べたそうだ。

ユーロ圏をサッカーリーグに、ユーロ圏諸国をリーグ所属チームに、貿易収支で示される経済力をチームの強さに喩えるこの比喩は、なかなか良くできた喩えである。この喩えから、1つのチームだけが強いのではリーグが盛り上がらないが、リーグを盛り上がるためには、ドイツが下手なプレーをするのではなく、ギリシャが上手なプレーをするようになることが必要であり、そのためには、ギリシャチームのメンバーがトレーニングに励むことが必要だ、というあたりの説明がすぐに出てくる。その意味でこの比喩は、比喩を用いて説明されるもの(「原像」と呼ぼう。ここではユーロ圏)と比喩に使われるもの(「比喩像」と呼ぼう。ここでは、サッカーリーグ)との相似性の高い。しかし、それでも比喩であることの限界はある。比喩の妥当性の検証(原像で生じている問題と比喩像で生ずる問題との対応関係の検証が必要であり、細かな問題に入り出すと、比喩の妥当性の検証が負担になり、比喩など使わずに議論する方がよくなる。

本論に入ろう。法律学の世界でも、比喩が用いられる。しかし、その比喩で論理が解りやすくなっているかどうかは、読者しだいである。

例1 「証明責任は民事訴訟のバックボーン(脊椎)である」([中野=松浦=鈴木*2008a]367頁(青山善充))
弁論主義が適用される通常の民事訴訟においては、証明責任は、審理の全過程において、当事者の主張・立証活動と裁判所の訴訟指揮の指標となり、また、事実の主張が真偽不明である場合に判決内容の形成の基準となる重要なものである。その重要性、特に手続全体わたって重要であることを表現するために、「バックボーン」という比喩が用いられているのである。

物事を人体に喩えることは、よく見かける。都市や国家などは、比較的に人体に喩えやすく、都市のある部分(例えば道路)が人体のある部分(血管)に喩えられると、逆に、人体の他の部分(例えば頭脳)に対応するものは都市の何かを問うこともできる。

しかし、訴訟と人体との間に対応関係のある要素は少ない。「証明責任が民事訴訟のバックボーンであるならば、心臓に相当するものは何か」などと問うのは、無粋。ちなみに、ドイツ語の辞書(『独和大辞典』(小学館、昭和60年2月初版第2刷))では、「バックボーン」に相当するドイツ語(Rueckgrat)の比喩的な意味として、次の語が挙げられている:大黒柱、基盤、不屈の精神{力}、気骨、気概。日本人にとっては、「バックボーン」や「脊椎」といった比喩的表現は、「大黒柱」という表現ほどには馴染みがなく、それだけに新鮮である。新鮮な比喩ではあるが、それほど重要な意味が込められているわけではない。この比喩の意味は、重要性を強調する点にあるに過ぎない。深い意味があるものと思って考え込むと、時間の浪費になる。比喩を軽く読み流すことも、時には必要である。

「証明責任は民事訴訟のバックボーン(脊椎)である」という表現に抵抗を感ずるもう一つの理由は、次の点にある。訴訟で問題となる証明責任は、個々の規範(実体法規)の要件についての証明責任である。個々の規範を離れて「証明責任」の分配法則が実際の訴訟で問題になることは少ないはずである。そうであれば、訴訟で重要なのは、証明責任の分配も含めた法規範であり、その重要性が強調されるべきであるように思える。

例2 破産財団法人説(暗黒星雲論)

例3 破産免責

例4 中村理論(自然科学に範型を求めた民事訴訟理論の再構成)

利息・遅延損害金の計算期間

利息や遅延損害金が何時から何時までの期間(計算期間)について生ずるかという問題は、理論的な問題というよりも、実務的な問題であり、実務に携わらない者はつい疎かにしがちな事項である。しかし、実務的に重要である以上、正確に記述しないと大恥を書くことになる。気付いた範囲でメモしておこう。


法原則・法諺

ローマ法にもフランス法にも不案内であるが、あえてそれらにも言及しながら、
民事法の法解釈に際して出会う法原則を取り上げてみよう。


大きな過失は故意に等しい/重過失は故意と同一視される

ある者がある事を知りながらある行為をした場合に、彼はその行為をした際にその事について「悪意」であったといい、あるいは、ある者がその行為の結果を望んであるいは認識してその行為をした場合に、彼はその行為を「故意」にしたという。「故意」の語が用いられる典型的な場合は、不法行為である。「悪意」の語は、不法行為以外の様々な場面で用いられる。「故意」と「悪意」とは別の概念ではあるが、「何かを知りながら」という点では共通性を有する。ここでは、この共通部分を問題にする。

「悪意」の反対概念は「善意」である。知らなかったことについて過失がないとき、「善意無過失」という。知らなかったことについて過失があると「善意有過失」といい、過失の程度に応じて、「善意重過失」及び「善意軽過失」に区分される。不法行為の領域では、一般に、故意による不法行為のみならず過失による不法行為も損害賠償義務の原因になるので(民法709条)、「故意」と「過失」の区分は重要ではない。しかし他の法領域では、過失のある場合を除外して、故意あるいは悪意の場合にのみ一定の不利益が科されるとされていることがある。そのような領域では、悪意を要件とする法規は、善意有過失の場合には適用されない本来である。しかし、「知らなかったことについて重過失があれば、悪意と評価される」との法原則があり、この法原則に従い、悪意を要件とする法規を「善意重過失」の場合に適用されることがある。

この法原則を表明したとものと思われる法文がD.50.16.226に見出される。それは、次の2つの部分からなっている。
  1. Magna neglegentia culpa est:  大きな懈怠は過失に等しい:
  2. magna culpa dolus est.  大きな過失は悪意(故意)に等しい。

1832年のドイツ語訳:Eine grosse Nachlaessigkeit is Schuld, eine grosse Schuld ist boese Absicht.
Scottの英訳:Gross negligence is a fault: a great fault is a fraud

ドイツ語訳では、culpaはSchuldと訳されており、culpaを「過失」と訳すのが良いのかが問題になる。culpaは、狭義には「過失」であるが、広義には「帰責事由」(過失のみならずdolus(故意・悪意)も含む)であると説かれている(不法行為責任について、クリンゲンベルク/瀧澤栄治訳『ローマ債権法講義』(大学教育出版、2001年)89頁参照)。ただ、D.50.16.226の第2法文を「重過失は故意と同一視される」の法原則を表明したものと見るならば(vgl. Kaser, Roemisches Privatrecht, 12. Aufl., Beck, 1981, S152)、第2法文のculpaは、「過失」と訳すべきことになる。その場合でも、第1法文のculpaは広義に理解して、「帰責事由」あるいは「責任負担事由」と訳す余地はある(「大きな懈怠は責任負担事由である。大きな過失は悪意に等しい」)。しかしここでは、culpaは、いずれの法文においても狭義に理解して、「過失」と訳しておこう。なお、「est」は、単純に「である」と訳してもかまわないが、敢えて「等しい」と訳したのは、「本来は異なるが、同じように扱われる」の意味を出すためである。

D.50.16.213の末尾に次の法文がある。
"Lata culpa" est nimia neglegentia, id est non intellegere quod omnes intellegunt. 極端な懈怠、すなわち誰もが知っていることを知らないことは、重大な過失である。
1832年のドイツ語訳:
Scottの英訳:Gross negligence is extreme negligence, that is to say not to know what everybody else knows.

なお、Kaser, a.a.O によれば、D.50.16.226もD.50.16.213も、後代の改変である。

日本法において「大きな過失は故意に等しい」の法原則が用いられた例として、最高裁判所昭和48年7月19日判決がある。明治29年民法は、債権は譲渡することができるとの原則を立てつつも(466条1項本文)、当事者の反対の意思表示があれば譲渡できないとし(同条2項本文)、「その意思表示は、善意の第三者に対抗することができない」と定めた(同条2項ただし書)。最高裁は、このただし書について、次のように説示した:「民法466条2項は債権の譲渡を禁止する特約は善意の第三者に対抗することができない旨規定し、その文言上は第三者の過失の有無を問わないかのようであるが、重大な過失は悪意と同様に取り扱うべきものであるから、譲渡禁止の特約の存在を知らずに債権を譲り受けた場合であつても、これにつき譲受人に重大な過失があるときは、悪意の譲受人と同様、譲渡によつてその債権を取得しえないものと解するのを相当とする。」

保険法の領域では、被保険者や保険契約者の故意により生じた保険事故について保険者は責任を負わないとされている。では、被保険者等の重過失により生じた保険事故についてはどうか。日本保険法(平成22年法律56号)17条前段は、「保険者は、保険契約者又は被保険者の故意又は重大な過失によって生じた損害をてん補する責任を負わない。」と規定しており、重過失を故意と同じに扱うべきことを明規している。

しかし、善意重過失が常に悪意と評価されるかという、そうではない。同じ法領域でも、国により時代により異なる。フランス保険法の「保険事故招致免責規定の立法の変遷」を詳しく紹介している[松田*2013a]63巻1号170頁以下によれば、19世紀末までは、海上保険についても陸上保険についても、「重いフォート(faute lourde)は故意(dol)と同一視されており、契約無効の効果があった」(172頁。なお、この状況は、20世紀初頭まで続いたようである)。ここにいう「重いフォート」とは「加害者に故意はないとしても、通常の過失を超える重大さをもち、故意と同視すべきフォート」であり、「ローマ法におけるculpa lata に対応する」ものである(171頁注54及び同所引用の文献参照)。ところが、保険契約に関する1930年7月13日法の第12条では、保険者の法定免責事由から被保険者の「重いフォート」が除外された。その理由を起草委員長が次のように説明している:「1904年の草案は、重いフォート(faute lourde)に関する保険を禁止していた。しかし反対に、本法はそれを認めている。それには理由がある。心理の面からしてculpa lata aequiparatur dol(重過失は故意と同一視される)という格言は間違っている。たとえ重大であっても、意思的でないフォートと、加害意思(animus noncendi)による故意(dolo)との間には大きな隔たりがある。故意(dol)によって引き起こされた損害に対して人に補償を与えることは道徳に反するが、重いフォート(faute lourde)によって引き起こされた損害に対して人に補償を与えることは道徳に反しない。」(183頁)。

明治29年民法において、「重大な過失」(平成16年改正前においては「重大ナル過失」)の語が現れる条文として次のものがある。
したがって、民法は、「悪意」と「悪意又は重大な過失」を一応区別していることになる。他方、民法第1編から3編の規定の中で「悪意」又は「善意」を含み「過失」を含まない条文として、2016年3月15日現在において、次のものがある(186条1項や189条2項等は、ここでは重要ではないので省略した)。 これらの規定においては、重過失により善意である場合の取扱いが問題になる。 「重過失は悪意と同一視される」との法原則は下記の総ての規定との関係で適用される、と主張するのは妥当ではない。その法原則の適用の有無は、個々の規定の趣旨を考慮して個々の規定ごとに決定されるべきことであり、個々の規定の解釈問題である。 民法709条は、故意又は過失を帰責事由としている。しかし、他の法律において、帰責事由が限定されていることがある。代表例は、難しい判断が必要な行為について、行為者は故意又は重大な過失がある場合に限って賠償責任を負うとされている場合である。そのような帰責事由限定の規定として、次のものがある。

以下は執筆予定


規定の再帰的適用の例

民事訴訟法260条2項  原告の被告に対する請求を認容する仮執行宣言付第一審判決が控訴審で取り消され,控訴審が民訴260条2項による返還を命ずるとともに,これに仮執行宣言を付し,その仮執行がなされた後で,上告審が控訴審判決を破棄して被告の控訴を棄却する判決をするに当たって,被告が前記仮執行により得た金銭の返還を民訴260条2項により被告に命じた事例。最高裁判所 平成18年10月6日 第2小法廷 判決(平成16年(受)第918号)

目次
2007年9月19日−2016年3月15日