関西大学法学部教授
栗田 隆
法律の世界の理論は、複数の規範とそれを理由づける命題の集合ということができる。理論は、一つ又は複数の抽象的な原理から演繹的に中間原理を引き出し、さらに具体的な結論を引き出されるという形で提示されることが多いが、どのような形をとるにせよ、法律学の理論は、提唱者の見解の表明であり、場合によれば信仰告白である。ある理論が否定されるのは、理論の提唱者が撤回するか、追随する者がない状況で提唱者が死去したときである。
上記のことは、程度の違いがあるにせよ、他の学問領域でも見られることであろうが、法律学の世界ではその程度が非常に強い。自然科学のように、観測データに基づいてある論理が否定され、提唱者自身もそれを認めて自己の見解を放棄せざるをえなくなるということは、あまり起きない。
法律学の世界におけるこうした特質を有する理論に幾分の虚しさを感じることはあるが、それでもそこで用いられる論証や説明の方法が無限定というわけではない。それらを整理して検討しておくことにも意味がある。ここでは、民事手続法の世界を中心にして、民事法学の世界で見かける論証や説明の方法を集めることにしよう。
教師が教室で一方的に話す形式の講義であれば、学生の私語を制止する際に平等取扱いが問題になる程度あり、その私語がなければ、平等取り扱いを気にする必要はほとんどない。しかし、比較的少人数の講義で学生との対話を行いながら授業を進める場合には、悩ましい問題が生ずる。
例えば、質問に答える能力の低い学生に対しては、答えやすい質問にし、最後は条文を読んでもらうだけにする。学生の能力に応じて質問内容を変える点で、形式的平等から離れている。ともあれ、学生の能力をある程度見極めて、記憶して、学生が質問に円滑に答えるようにして、授業がテンポよく進行するようにするのであるが、特定の学生に対する質問がいつも簡単であると、教師がその学生をそのように評価しているということに他の学生が気づくことになり、そのことが当該学生を傷付けないか、簡単でない質問をされる多の学生が不満をもたないか、心配しながら授業を進めることになる。
原告は、審理裁判の対象である請求を訴状に記載して裁判所に提出しているので(民訴法133条2項)、それを口頭弁論の期日にわざわざ口頭で陳述する必要はないかのようにも思えるが、これも口頭で陳述されるべきものと考えられている。その陳述がないと、その後の審理が進められない(審理の対象が口頭弁論に現れていないから、判断資料の収集も行いえない)。
以上の原則を墨守すると、原告が最初にすべき口頭弁論の期日に出頭しない場合には、手続をそれ以上進められず、期日を延期することになってしまう(最初にすべき口頭弁論の期日に原告が出頭しない場合には、訴えを却下するという選択肢も考えられるが、これは例外的にのみ認められている(民執法90条3項))。これでは、出頭した被告が迷惑を受ける。そこで、原告が最初にすべき口頭弁論の期日に出頭せず、又は出頭しても本案の弁論をしない場合には、原告が提出した訴状や準備書面を陳述したものと擬制して、審理裁判の対象を口頭弁論の手続に乗せ、それから出頭している被告に弁論をさせることになっている。これが、民訴法158条の定める陳述擬制の必要最小限度の内容である。
しかし、同条は、この必要最小限度以上の内容を規定している。このままでは、原告と被告との取り扱いが不平等だからである。原告と被告とを平等に扱うために、最初にすべき口頭弁論の期日に被告が出頭しなかった場合にも、彼が予め提出しておいた書面(答弁書及びその他の準備書面)の陳述が擬制されるのである。
相手から控訴が提起されれば、自分にも武器が平等に与えられるから、あわてて控訴を提起する必要はない。ここでは、平等原則が不必要な上訴の抑制に一役買っているのである。
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要件 |
効果 |
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最も単純な場合 |
X |
Y |
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単純な場合 |
X1,X2,...Xn |
Y |
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複雑な場合 |
X1,X2,...Xn |
Y1,..Yi |
ここでは、単純な場合を想定しよう。要件と効果の関係を定めるルールは、
という写像fである。今、要件項目X1のとる値a,bに着目し、他の要件項目の値は同一であるとするときに、Yがとる値をそれぞれYa, Ybと表すことにしよう(Ya=f(a,X2,...Xn))。このときに、
であるならば、これに対応する効果YaとYbについても、
でなければならないということは、よくある(順序を保つ写像)。
訴額が増加しても、増加の幅ほどには手数料額が増加しないようにしつつ、順序関係を維持するために、次のような形でルールを設定するのが通常である。
| 元本額(X) | 年利率の上限(Y) |
|---|---|
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10万円>X |
20% |
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100万円>X≧10万円 |
18% |
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X≧100万円 |
15% |
X2>X1 ならば Y2≦Y1 である。利率について逆の順序関係が維持されているが、利息についても、多くの場合にはこの逆順所関係が保たれる。例えば、
| 元本額(X) | 年利率の上限(Y) | 1年間の利息額(Z) |
|---|---|---|
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50万円 |
18% |
9万円 |
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100万円 |
15% |
15万円 |
X2>X1 であるから Y2≦Y1であり、Z2≦Z1である。
しかし、完本額が上記の区間の境界付近で逆順序関係が維持されていない。例えば、
| 元本額(X) | 年利率の上限(Y) | 1年間の利息額(Z) |
|---|---|---|
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99万円 |
18% |
17万8200円 |
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100万円 |
15% |
15万0000円 |
X2>X1 であるから Z2≦Z1 となるのが政策的には好ましいが、Z2≧Z1となつている。順序関係に一貫性がないという点では、好ましいことではない。
したがって、
と解されている。代位により取得した債権を破産債権として行使できるか否かの局面にも命題1の趣旨を及ぼすと、
委託を受けない保証人についてはどうか。主債務者との関係では事務管理に該当し、保証人の求償権は、事務管理者の費用償還請求権として702条の適用を受けると考えるのが多数説である。主債務者について破産手続が開始される前に債権者と保証契約を締結した者が主債務者の破産手続開始後に保証債務を履行した場合に、保証人の求償権は破産債権になるかどうかの問題については、次の3つの解決が考えられる。
上記cの解決の可能性も無視できないが、今は、この通知がなされていない場合を念頭に置くことにして、上記aとbの解決について検討してみよう。
(ア) 上記bの解決を採用すると、委託を受けない保証人が破産手続開始後に保証債務を履行したときに、求償権は破産債権にならないことになるが、このことと命題1bとを結合させると、代位により取得した債権まで破産債権ではないことになり、不当な結果が生ずる(他の債権者が保証人を犠牲にして利益を受けることになる)。
この結果を避けるためには、委託を受けない保証人の求償権との関係では、保証人が代位弁済により取得した債権は補充的性格を有さず、債権譲渡により取得した債権と同様に扱うべきであるとしなければならない。しかし、そうすると次の問題が生ずる:
(イ) 上記aの解決は、どうであろうか。これにも問題がある。すなわち、委託を受けない保証人の求償権を保証契約の締結時に原因のある債権であるとすると、保証人が主債務者に対して債務を負っていた場合に、破産手続開始後の保証債務の履行により将来の求償権とした上で、これと主債務者の保証人に対する債権とを相殺することが可能になるからである(破産法72条1項1号の相殺制限に該当しないため、他の相殺制限規定に抵触しない限り、67条1項の規定により相殺可能になる)。ここでは、次の命題が前提にされている。
委託を受けない保証人が主債務者に対して何らの通知をしていない場合についてこの結論を認めると、破産者は自己の債権について現実の弁済を受ける期待を有している場合でも、彼の知らぬ間に彼の債権は相殺により消滅させられる債権になってしまうのである。この結論を是認すべき否かが問題となるが、是認できないとすれば、最低限、保証人から主債務者に対して保証人になった旨の通知があった場合にのみ、求償権は破産法67条1項の適用を受けることができる破産債権になるとすべきであろう。
上記の議論は、全体として落ち着きがわるい。どこかを補正する方がよいであろう。(ア)でバランス論を用いること自体はよいであろう。命題1と1aも判例により確立されていることであり、修正しない方がよいであろう。となると、修性の候補は、命題1bと命題2である。命題2よりも命題1bの修正の方が受け入れられやすいであろう。これを次のように修正してみよう。
こうしておけば、委託を受けない保証人の求償権は、代位弁済した時点で生ずる債権であり、主債務者の破産手続開始後に代位弁済をした場合には、破産手続開始後に原因のある債権であるが、弁済者代位により取得した原債権を破産債権として行使することができ、他方、代位弁済者が主債務者に対して負っている債務との相殺も否定することができる(求償権による相殺は、破産法67条1項の「破産債権」の要件を充足しないことにより否定され、代位した原債権による相殺は、72条1項1号により制限される)。
これで比較的すっきりした議論になったと安心するわけにはいかないが、バランス論の適用例の紹介はこれで終りにしよう。ただし、上記の問題に関する実定法の解釈論の議論は、まだ続く。
(a)破産法104条3項との関係をせつめいしておかなければならない。受託保証人の事前求償権は、委託を受けて保証契約を締結した時に原因があるので、保証契約が破産手続開始前に締結されている以上、その求償権が破産債権になることには問題はない。しかし、委託を受けない保証人の求償権の発生原因は保証契約の時点ではなく、保証債務履行の時点にあると解すると、破産手続開始前に保証契約が締結され、開始後に保証債務が履行される場合に、その求償権は破産債権ではないから破産法104条3項の適用があるかが問題となろう。もし適用がないとすれば、被保証債権者が破産手続に参加していない場合に、保証債務の履行が債権届出期間経過後にずれ込んだときに、代位した原債権の調査が特別調査になり、その費用負担の点で若干酷である。この点は、保証契約の中で、被保証債権者に破産債権届出義務を定めておけば解消できる問題であるので、それほど深刻な問題というわけではないが、それでも若干酷であるとの評価は否めない。その評価を前提にすると、となると、104条3項は、委託を受けない保証人が破産手続開始後に保証債務を履行していない場合にも適用があり、その点で、つまり破産手続開始前に原因があるとは言えない債権を破産債権としている点で、2条5項の特則であるというべきことになる。
(b)命題1b'を前提にすると、次には、求償権と被代位債権との関係について、他の場面で、命題1aに準ずるのか、命題1b'に準ずるのかを振り分ける必要があり、その基準を明らかにしていかなければならない。例えば、求償権は破産債権であるが、代位した債権は財団債権(例えば破産法54条2項の財団債権)である場合はどうか。
ところで、民法旧395条は、抵当権設定後の不動産(特に農地)の利用を円滑にするために、抵当権に後れる賃貸借も、短期のものであれば、抵当権者(したがって抵当権の実行による抵当不動産の買受人)に対抗できるとしていた。問題は、抵当権実行のための差押えがなされてから買受人の所有権の取得までの間に賃借期間が満了した場合に、期間の更新を買受人に対抗できるかである。借地借家法28条あるいは旧借家法1条の2の適用のある建物賃借権に関する前記の考察を前提にすると、バランス論の視点から、次のような議論をすることができる。
(a)期間の定めのない賃貸借は、いつでも解約できるから、短期賃貸借に該当すると解されていた。したがって、抵当権に後れて設定された期間の定めのない賃借権は買受人に対抗でき、敷金の返還債務も買受人に引き受けられる。
(b)期間の定めのある賃借権は、期間の定めのない賃借権以上に存続を保障されるべきであるから、買受人の所有権取得前に約定賃借期間が満了し、法定更新により期間の定めのない賃借権になった場合に、当初から期間の定めのない賃貸借と同様に買受人に対抗できるとすべきである。
しかし、多数説は、こうしたバランス論よりも、短期賃貸借制度の悪用による弊害の防止を重視し、差押え後に期間が満了した場合には、賃貸人との関係では法定更新がなされても、それを買受人に対抗することはできないとした。ここから、次の教訓を引き出すことができる:バランス論は、既存の制度が合理的であることを前提にして、さまざまな問題を整合的に解決しようとするものである(ある場合には、既存の制度の合理性を他の場面にもバランス良く拡張しようとするものである、と言うこともできる);しかし、既存の制度が不合理であると評価されると、不合理な制度から生ずる弊害の抑制に重点が置かれ、バランス論が捨てられる。ここにバランス論の限界がある。もっとも、短期賃貸借の制度が不合理な制度であったか、差押え後の更新を買受人に対抗することができないとすることが制度の悪用による弊害を防止することにどの程度有効であったのかについては、評価は分かれよう。
民事手続法の世界における偶然的要素として、例えば、次のことがある。
以下の事項については、結果(法的効果)がこれらの偶然に影響されないように規定が設けられている。
最高裁判所 昭和43年9月26日 第1小法廷 判決(昭和41年(オ)第77号)は、時効援用権の代位行使をみとめた先例であるが、その法廷意見は次のように説示している:「金銭債権の債権者は、その債務者が、他の債権者に対して負担する債務、または前記のように他人の債務のために物上保証人となつている場合にその被担保債権について、その消滅時効を援用しうる地位にあるのにこれを援用しないときは、債務者の資力が自己の債権の弁済を受けるについて十分でない事情にあるかぎり、その債権を保全するに必要な限度で、民法四二三条一項本文の規定により、債務者に代位して他の債権者に対する債務の消滅時効を援用することが許される」。
これに対して、松田二郎裁判官の反対意見が、法廷意見に従えば次のような問題が生ずることを指摘した:「一人の債務者に対し二人の債権者があり、その額が等しく、しかもいずれも消滅時効にかかつているとき、そのうちの一人の債権者が債務者に代位して他の債権につき消滅時効を援用してこれを消滅せしめ、自己の債権の保全をはかることも可能となり、かくて他人に先んじて時効を援用した債権者のみが弁済を受け得ることとなる。しかし、その不当なことは明らかである」。
債務者が時効を援用することなく債務を弁済しようとするときに、二人の債権者が代位権に基づいて時効を援用することの先後という偶然的事情は、一方の債権者の権利は消滅し、他方の債権者は弁済を得ることができるという結果を正当化できるものではないと批判には、確かに一理ある。この批判に応える方法としては、(α)時効援用権の代位行使を否定する方法(法廷意見の否定)と、(β)時効援用権の代位行使の要件の加重(法廷意見の修正)とが考えられる。ここでは、後者について検討しよう。
松田裁判官の議論の出発点は、そもそもにおいて、次の点にある:消滅時効の完成にもかかわらず債務を弁済しようとする債務者の良心を尊重して、消滅時効による権利の消滅には債務者による援用が必要であるとする民法145条の規定の趣旨からすれば、債務者の意思を無視して金銭債権者がこれを代位行使できるとするのは不当であり、時効援用権は、民法423条1項ただし書にいう「債務者の一身に専属する権利」にあたると言うべきである。
この点は、次のように反論することができよう:債務者は、時効にかかった債務とそうでない債務とを負っている場合には、時効にかかっていない債務の弁済をまず行うべきである;債務者がそうしない場合には、時効にかかっていない債権者は、債務者の時効援用権を代位行使して、時効にかかってないない自己の債務への弁済を優先することを債務者に強いることができる;時効援用権が代位行使された場合でも、債務者が代位債権者に弁済した後で消滅時効にかかった債務の弁済をすることは妨げられない(これも債務の弁済と評価されるべきものであり、贈与などとして扱われるべきでない);したがって、時効援用権の代位行使を認めることは、良心規定としての民法145条の規定の趣旨に反しない。
このように考えると、ある金銭債権者に対する債務が消滅時効にかかっている場合に他の金銭債権者が時効援用権を代位行使することの前提条件として、後者の債権が消滅時効にかかっていないことを設定することができる。すなわち、法廷意見が設定した要件は、「金銭債権者は、自己の債権が消滅時効にかかっていない場合には、債務者の資力が自己の債権の弁済を受けるについて十分でない事情にあるかぎり、その債権を保全するに必要な限度で、債務者の有する援用権を代位行使することができる」という形で強化されるべきことになる。これを前提にすると、二人の債権者の債権が共に消滅時効にかかっている場合には、両者は共に時効援用権の代位行使はできず、松田裁判官が指摘した問題、すなわち、債務者の有する時効援用権を先に代位行使した債権者が優先するという不都合(結果が偶然に左右されるという不都合)を回避することができる。
なお、時効援用権の代位行使を肯定する最高裁判所 昭和43年9月26日 第1小法廷 判決の後で、最高裁判所 平成11年10月21日 第1小法廷 判決(平成9年(オ)第1771号)が「後順位抵当権者は、先順位抵当権の被担保債権の消滅時効を援用することができない」としている。後者は、後順位抵当権者が民法145条の当事者には該当しないとするものであり、前者も時効援用権を有する債務者の一般債権者が民法145条の当事者に該当しないことを前提にしているのであるから、両者の間に直接的な矛盾があるわけではない。しかし、後順位抵当権の被担保債権の債務者が抵当不動産の所有者である場合には、後順位抵当権者は所有者の有する時効援用権を代位行使することにより、平成11年判決により否定された結果を得ることができよう。平成11年判決はこの点について何の言及もしていないが、両者の整合性には疑問が残り、将来、最高裁が時効援用権の代位行使を否定する可能性はあると見ておく方がよいであろう。
T: では、専用実施権が設定されている場合に、特許権者が相続人なくして死亡した場合には、どうなりますか。
S: その場合には、特許権が消滅するので、専用実施権も消滅すると思います。
T: 「親亀がこけると、親亀の上に乗っている子亀もこける」の論理ですね。
S: はい。
T: しかし、専用実施権者からすると、特許権者が相続人なくして死亡するというのは、まったくの偶然の出来事ですね。その偶然のできごとによって、専用実施権を消滅させてよいのだろうか。合理的な経済活動を可能にするためには、予見可能性が高められていることが必要でしょう。さらに、予見可能な範囲でも、偶然的事情により権利が消滅したり義務を負ったりするリスクを減らしておくことが必要です。経済活動のルールは、そのように定められるべきです。もちろん、地震や落雷といった自然災害により不測の損害が生ずることは、ルールをどのように定めても避けがたいところであり、そうしたことが非常に低い確率ではあるが生じうることは、各経済活動の主体に予期してもらって、それから生ずる損害を引き受けてもらうより仕方ありません。しかし、特許権者が相続人なくして死亡するという事態は、どうでしょうか。これも予期不能ではありませんが、それを予期せよとすることは、それを考慮して専用実施権の対価の定めるべきであるということになりますが、それは、特許権者に不利益をもたらすでしょう。
もちろん、最近は、いわゆる金融デリバティブ商品に見られるように、偶然ないしリスクを対象とする商品も多くなっておりますが、しかし、それが現在(2009年6月)問題になっている金融危機の一つの要因になっているのですね。そして、合理的な計算をする金融機関は、利益を確実に得るために、自分が対価を得て引き受けたリスクを速やかに他に移転してしまうのです。しかも、低い対価で、かつ、リスク限定債券などという欺瞞的な名称を付して、外見的には高利回りのように見える債券に附随させるという巧妙な方法で移転させるので、最終的にリスクにされされるのは、そのようなリスク付き金融商品を評価することに慣れていない末端の投資家です。少し、脱線したかな。
S: でも、特許法76条により特許権が消滅すると、専用実施権も消滅するというのは、現行法の解釈としてはやむを得ないのではないでしょうか。
T: 私も特許法の解釈がどうなっているかについては疎いのですが、ともあれ、結論をどのようにするかは別として、問題点を指摘して、議論しておくことは必要でしょう。それが論文というものです。この論点は、君の論文のテーマからすると、かなり枝葉の論点ですので、注で論述することでよいでしょう。
開始時現存額主義の欠点の一つは、(β)の場合に全額の回収ができないこと自体にあるが、それとともに、全額の回収ができるか否かが「偶然の出来事(Chance)」に依存することになり、「誠に不公平なり」と非難される([加藤*研究1巻]250頁。原文はカタカナ書である)。
したがって、当初債権額主義の方が優れているとの結論が出されてよいはずであるが、[加藤*研究1巻]250頁以下は次の趣旨のことを述べる:最初に破産手続が開始された債務者は他の連帯債務者に対して求償権を有することになるから、債権者はこの求償権を差し押さえることができ、結果的にスイスの当初債権額主義と変わらなくなるとする。しかし、この最後の主張には疑問がある。破産財団に属する求償権は、破産管財人が行使すべきであり、破産債権者の一人が差し押さえることはできないはずだからである。
ともあれ、「結果が偶然に左右されてはない」という論法と「総合的に考慮すれば、偶然に左右された結果は補正可能である」という議論の展開は、記憶にとどめるに値する。
許可抗告の対象となる決定
最高裁判所の負担軽減のために、特別な場合を除き、高等裁判所においてなされた決定・命令に対する最高裁判所への抗告には、原審である高等裁判所の許可が必要とされている(民訴337条1項)。これを許可抗告の制度という。許可抗告の対象となる裁判の中に抗告許可の申立てを認めない決定(抗告不許可決定)も含めると、抗告不許可決定に対してさらに抗告許可の申立てが可能となり、無限循環に陥る。これを回避するためには、抗告不許可決定に対する抗告許可の申立てを禁止するか、又はその回数を制限する必要がある。この点について、民事訴訟法は、不服申立てを認める必要性が少ないことも考慮して、抗告許可の申立てについての決定は、それが許可決定であるか不許可決定であるかにかかわらず、許可抗告の対象にならないとした(民訴337条1項かっこ書)。
訴訟費用額確定手続
事件が判決により終結する場合に、裁判所は、訴訟費用の負担割合を終局判決の主文で定める(民訴67条1項)。それを脱漏した場合には、決定で負担割合を定める裁判がなされる(258条2項)。具体的な金額は、負担の裁判が執行力を生じた後に、第一審裁判所の裁判所書記官が定め(民訴71条1項)、その処分(訴訟費用額確定処分)が債務名義となり、勝訴の当事者は償還金を敗訴の当事者から強制執行の方法により取り立てることができる(民執22条4号の2。民訴71条5項に注意)。訴訟費用の償還に関しては、当事者はこの訴訟費用額確定手続を利用すべきであり、訴訟費用償還請求の訴えなどは許されていない。もしそれを許せば、訴訟費用額償還請求の訴えの訴訟費用についてさらに訴えを提起する余地が生じ、無限循環に陥るからである。
執行費用の取立てのための金銭執行
債務者が任意に義務を履行しないために強制執行により権利が実現された場合に、その強制執行の費用は、最終的に債務者が負担すべきであり、債務者がその費用を任意に弁済しない場合には、債権者は強制執行によりその費用を取り立てることができなければならない。ここでも、手続の無限循環を回避する必要があるので、民事執行法は、次のような簡易な方法を認めている(民執42条)。
いままでに述べてきたことについては、少なくともその結論については、異論はなかろう。しかし、次の問題については、意見が分かれよう。
継続的不法行為による将来損害の賠償請求
大阪空港騒音公害訴訟において、最判昭和63年3月31日
・判時1277号122頁の多数意見は、事実審の口頭弁論終結後にも継続するであろう騒音によって生ずるであろう損害の賠償請求権については、その請求権の存続・消滅が予見困難な将来の事情に大きく依存するから、予め判決を求めることは許されないとした。[梅本*民訴v2]345頁注9は、この判旨を批判するにあたって、「循環訴訟」の見出しの下に、次の趣旨を論じている:最高裁の多数意見に従えば、原告は損害賠償請求の訴えを提起して請求認容の確定判決を得ても、事実審の口頭弁論終結後の損害については、再度訴えを提起しなければならず、2回目の事実審の口頭弁論終結後の損害について、3回目の訴えを提起しなければならず、その結果「循環訴訟現象を呈することになる」。
将来請求の訴えを許すべきか否かは、もちろん、この循環訴訟の回避の要請だけで決まるわけではないが、それでもこの要請が考慮されるべき要素であることに変わりはない。
例えば、自然数の集合について、その要素a,bについて、「aはbに等しい」という関係をとりあげると、この関係は、反射性、対称性、推移性を有している。すなわち、この関係を=で表すと、
「aは、bと等しいかまたはbより小さい」という関係をとりあげると、この関係は反射性、推移性、反対称性を有している。すなわち、この関係を≦で表記すると、
しかし、対称性は成立しない(1≦5であるが、5≦1ではない)。このような関係を順序関係という。
順序関係が成立する集合は、順序集合と呼ばれ、整数や有理数の集合は、普通の大小関係によって順序集合である。
ところで、債務者のある財産から複数の債権者が配当を受ける場合には、債権者を要素とする集合が存在し、各要素の間に次の関係のいずれかが成立する。
同順位の関係は、同値関係である。
他方、「aは、bと同順位か又は後順位である」という関係は、順序関係である。
したがって、執行手続において配当を受けるべき債権者の集合は、「同順位か又は後順位である」あるいは「同順位か又は先順位である」という関係によって順序集合である。
「bは、aより先順位である」という関係については、どうか。
したがって、これは順序関係ではない。
本論に入ろう。法学の世界において数量の大小関係を扱う場合には、その関係は数学の世界における順序関係でなければ、混乱が生ずる。
例えば、不動産が差し押さえられると、競売手続の安定的追行のために、それに必要な範囲で、被差押財産を債務者が処分することが禁止される。(α)この処分禁止の効力(処分禁止効)は、絶対的な禁止ではない。債務者は、差し押さえられた不動産について売却や抵当権設定等の処分行為をなすことができ、それに基づく登記もなされうる。(β)しかし、差押え後の処分行為は、差押債権者に対抗できない(相対的処分禁止)。どの範囲の債権者に対抗できないとすべきかについては、次の2つの立法主義がある。
現行法は、手続相対効主義を前提にして立法されている。それは次の理由による:執行手続に適法に参加した一般債権者について、参加の時期に関わりなく債権額に応じて平等に配当を与える建前を平等主義といい、先に手続参加した者が後で参加した者に優先するとの建前を優先主義というが、日本法は、フランス法にならい、平等主義を採用している;これを前提にすると、差押えを巡る法律関係を単純化するためには、手続相対効主義が好ましい。
個別相対効主義は、利害関係人の利益状況をきめ細かく取り上げて処理するという点では優れているが、次のような解決困難な問題が生じうる。例えば、債務者Sの債権者Gの申立てにより差押えがなされた後にSがHのために抵当権を設定し、その後にSの債権者Aが配当要求をしたとしよう。今、各債権者の順位をそれぞれG・H・Aで表し、順位関係を等号と不等号であらわすと、個別相対効主義では次のようになる([注釈*1983a] 299頁(近藤崇晴)参照)。
上記の二つの式は、論理的に矛盾している。この矛盾を、さまざまな説明を付して、法学的に解決することは、不可能というわけではない。しかし、矛盾を無理に解決しようとするのであるから、解決準則はきわめて複雑になる。一般の先取特権まで考慮すると、順序関係はさらに破壊される。例えば、上記のAが一般の先取特権者であるとすると、次のようになる。
いわゆる三つ巴の関係になる(G>H,H>A,A>G)。一般債権者について平等原則を放棄して優先主義を採用し、さらに先取特権の効力も制限すれば、矛盾は解消される。しかし、それができないことを前提にすれば、一般債権者平等原則や先取特権の効力との矛盾をもたらさない手続相対効主義が簡明である。
Aが先取特権者であるときに、
AとBとが共有者として登記されている土地について、Cが単独の所有者であるとして、Aに対して所有権確認の訴えを提起し、Cの請求を認容する判決が確定した後に、CがBに対して同様な訴えを提起したが、今度は、その土地はA・Bの共有に属するとの理由で、Cの請求が棄却された場合に、この土地について共有物分割訴訟の当事者となることができるのは、誰か。
上記の順位関係を統合と不等号を用いて表すと、次のようになる。
法学的な解決を考えてみよう。裁判所が、その土地を売却して代金を共有者間で分配すべきであるとしたとき、その売却代金は、最終的に、誰にどのように帰属させるのがよいか。いくつかの選択肢が考えられる。例:
民事法の世界では、Aがある権利をBに主張することができるが、他の者Cに主張することはできるとは限らないという関係(相対的関係)が広く認められている。例えば、
以下では、こうした相対的関係を取り上げていくことにしよう。また、以下では法律上のいくつかの関係を順序関係になぞらえることがある。そのような関係を順序的関係と呼ぶことにする。
例えば、配当原資が900万円で、配当表において一般債権者A・B・Cの債権額がそれぞれ500万円、配当額が各300万円とされた場合に、AのみがBに配当異議の訴えを提起して、Bの債権額がゼロであることが認定されたときに、
ここで、債権者Xの順位を[X]と表すことにしよう。
冒頭の例において、債権者A,B,Cは、一般債権者として平等であり、その債権が存在する限りでは、[A]=[B]=[C]である。しかし、AB間の訴訟で、Bの債権額がゼロと認定されたのであるから、[A]=[C]>[B]となるべきである。
しかし、配当表は、その変更を求めて異議訴訟を提起した者のためにのみ変更されるという相対的処理がなされる結果、配当額は前記のようになるので、
このように、相対的処理をなす場合には、実体法で予定された順序的関係は破壊されるが、財貨の利用の点では特に問題はない(各人に金銭が支払われ、各人は自己に支払われた金銭を自由に処分することができる。各人に支払われる金銭は、別個独立のものであるので、各人の処分の自由が可能になる)。民事執行法が採用したこの相対的解決は、是認される。
紛争の相対的解決(既判力の相対性)
民事訴訟法は、私人間の紛争は現実に争いのある者の間で相対的に解決すれば足りるとの建前をとっている。このため、同一の有体物についてA・B・Cがそれぞれ自己の所有権を主張している場合に、A・B間の訴訟ではAの所有権が確認され、B・C間の訴訟ではBの所有権が確認され、C・A間の訴訟ではCの所有権が確認されるということが、少なくとも理論的にはあり得る。
今、「XがYに対して所有権を主張することができるが、YはXに対して所有権を主張することができない」という関係をX>Yで表せば、上記の関係は、次のようになり、順序的関係が成立しないことが明らかである。
このままでは、その有体物の有効利用が阻害される(同一財産について誰が処分権を有するのかが確定しないため、その財産の有効利用が阻害される)。そのため、適当な解決が与えられなければならない(『民事訴訟法講義』中の「既判力の主観的範囲/相対性の原則/当事者を異にする矛盾判決の解決手続」を参照)。
債権譲渡の対抗要件と譲渡禁止特約
ある債権αついて、XがYに対してその債権が自己に帰属していると主張することができる関係をX[α→]Yと記すことにしよう(ただし、記号化に実益があるわけではない)。
YがZに物を販売したことにより生じた代金債権αについて、Yがその債権をXに譲渡すると、X[α→]Yとなる。しかし、YX間で債権譲渡がなされただけの段階では、
XがZに対して、債権αが自己に帰属することを主張することができるようにするためには、YのZに対する通知又はZの承諾が必要である(通知又は承諾は、他の利害関係人との関係では確定日付のある証書によることが必要である)(民法467条)。
動産・債権譲渡特例法により債権譲渡の登記がなされると、その後の利害関係人との関係では確定日付のある証書による通知がなされたものとみなされ、債権の譲受人は、自己の債権取得をこれらの者に主張することができる(動産・債権譲渡特例法4条1項)。そして、譲渡人又は譲受人が債務者に対して債権譲渡の登記事項証明書を交付して債権譲渡の通知をすれば、譲受人は、債務者に対しても債権の取得を対抗することができる。したがって、債権譲渡の登記がなされた段階では、譲受人は、独力で前記の推移律を成立させることができる。
債権譲渡の登記がなされた後で債権の譲渡人について破産手続が開始された場合でも、債権の譲受人は、債権の取得を破産管財人Aに対しても債務者に対しても債権の帰属を主張することができるようにすることができるという強い立場にある。
では、その債権について債権譲渡禁止特約が付されていた場合はどうか。この特約を債務者の利益保護のためのものであり、債権者や彼に対して債権を有する者の利益を保護するためのものではないと考えると、Xは、α債権の帰属をA(債権の譲渡人の破産管財人)に主張することができる。このアイデアは、なかなか良さそうに見える。しかし、次の点で行き詰まる。
結局、譲渡禁止特約は、直接には債務者の利益を守るものであっても、債務者がその特約の効力を主張する限り、その特約違反の効果を譲渡の相対的無効にとどめることはできず、絶対的に無効としなければならないのである。栗田隆「債務者には主張し得ないが第三には主張することができる債権譲渡−−譲渡禁止特約の効力の相対的制限は可能か?−−」(関西大学法学論集54巻2号(2004年7月)1頁−20頁)は、この結論にたどり着くまでの苦い記録である。
例えば、訴訟の途中で審判対象をある請求から他の請求に変更することを訴えの交換的変更というが、これの説明については、次の2つの立場がある。
訴えの交換的変更の例については、どうか。交換的変更に含まれるのは、通常は、狭い意味での交換的変更(新訴の提起と旧訴の取下げが近接してなされる訴えの変更)である。他方、新訴を追加してから数ヶ月後に旧訴を取り下げることは、その時間的間隔からして、一つの訴訟行為というより2つの訴訟行為があると見るべきである。この場合には、民法149条の解釈の問題として、旧訴の提起により生じた時効中断効は、新訴に引き継がれ、それが旧訴の取下げにより消滅することはないとの結論が是認される。従って、訴えの交換的変更に伴う時効中断効の維持は、独自類型説でなければ説明の困難な例外的処理であることにはならない。複合行為説は、交換的変更以外の場合(追加的変更の場合)にも認められる民法149条の例外を交換的変更についても認めるにすぎない。したがって、複合行為説を否定し、独自類型説をあえて採る必要はない。訴訟資料の流用も同様である。
いささか、単純すぎる命題であるが、議論の出発点になる。もう少し変数の多い場合を取り上げよう。
法定地上権
日本の民法は、土地と建物をそれぞれ独立の不動産としている。そのため、土地と地上建物が同一人に属する場合に、その一方のみに抵当権が設定されて競売され、土地の所有者と建物所有者とが異なることになった場合に、格別の措置がとられなければ、土地所有者は、建物所有者に対して土地利用権の欠如を理由に建物収去・土地明渡を請求できることになる。しかし、これでは、土地のみあるいは建物のみを担保に供する道が多くの場合に実質的に閉ざされるので、建物のために地上権が発生する道を開いておかなければならない。その方法としては、次の立法的選択肢がある。
民法は、後者の選択肢を採用した(民法388条)。その理由は、次のように説明できる。抵当権が設定されても、実際に実行される確率は低い。その低い確率でしか生じない場合のためにわざわざ自己地上権の設定登記をしておくことは、コストパフォーマンスが悪い。法定地上権方式方が、コスト的に優れている(なお、自己借地権は、民法では認められておらず、借地借家法15条で借地権の準共有の場合に認められているが、ここでは、この特殊な場合を除いて、通常の場合を前提にしよう)。
上記のことを定式化してみよう。
現行法では、法定地上権の内容は土地又は建物の買受人と他方不動産の所有者との合意により決定され、合意が成立しなければ訴訟手続により決定されるので、Ceの値はかなり大きいと思われる。
両者の差が実質的な利益であり、自己地上権方式によるコストからこれを控除したものが、法定地上権方式のコストと比較されるべきものとなる。
法律学の論文では、こうしたコスト計算を明示することはない。計算式を示したところで、代入すべきデータがないので、計算式を示すことにあまり意味がないからである。さらに、「考慮すべき要因の全部が考慮されているわけではなく、不完全なデータに基づく誤った推論だ」、と非難される可能性が高いからである。しかし、それでも、少なからぬ法律家がこうしたコスト計算を頭の中で大まかにして、その結果のみを文章で表現していると考えてよい。しかし、議論の過程を示さない結果のみの報告では、学問としての前進はない。議論の過程を積極的に明示しようとする動きもある。
新しい概念に簡潔で適切な名前を付けることことができるという能力は、どの学問分野でも重要であるが、法律学の世界ではとりわけ重要である。論文を書くときに、自分が構成した概念で重要だと考えるものには、簡潔な名前を付けるべきである。適切な名前を付けることができるように、言葉の選択に常に敏感であろうとする方がよい。
定義のサイズ(一つの概念にどれだけのものを入れるか)
一つの言葉で表す概念の内容をどの程度の大きさにするかにも注意を払う方がよい。一つの言葉に、あまり多くの意味内容を詰め込みすぎると、議論がしにくくなる。コンピュータのプログラムの作成の際に、一つのサブルーチン、関数あるいはメソッドに多くのものを詰め込みすぎてはいけないのと同じである。あまり少なすぎると、中身のない定義となり、単なる言い換えに過ぎないと批判されることになるが、どちらかと言えば、短めに定義された概念を組み合わせて、新しい概念を定義し、それを積み重ねる形で複雑な議論を展開していく方がよい。
もっとも私の経験の範囲では、法律学の一つの論文の中で、新奇な定義が連続するのも問題である。法律学の議論は、通常は、先人が作り上げてきた巨大な建物に一つのレンガを組み入れる作業であり、一つの論文の中で新たに定義される概念が多数に上ることはないはずである。自分で多数と感ずる場合には、議論を再点検する方がよい。再点検しても、やはり多数の新概念を用いなければならないのであれば、臆することなく書き進めるよりしかたがない。画期的な議論をしているのであろう。
一つの概念に何を詰め込むかの問題を、いくつかの例について見てみよう。
訴訟係属 これについては、次の2つの定義の仕方がある。
上記の2つの定義の違いは、訴訟係属が発生した時に生ずる最も重要な効果をその概念内容に取り込んでいるか否かである。実質的定義がそれを取り込んでいるのに対し、形式定義は取り込んでいない。形式的定義では、「裁判所が特定の請求について審理裁判すべき状態にある」という法的効果も、訴訟係属の発生によって生ずる多数の効果(例えば当事者照会をすることができる(民訴163条)など)の一つにすぎない。「訴訟係属」は、裁判所と両当事者との間で「訴状が被告に送達された時」から当該審級における手続の終了(判決の確定、上訴、移送、訴えの取下げなどによる終了)までの時間が進行中であることと、種々の効果とを結びつける媒介項でしかない(端的に言えば、それは、「裁判所と両当事者とが前記の時間内にあること」に与えられた名辞である)。
形式的定義の内容は、実質的定義を基準にすると、内容が稀薄である。形式的定義を基準にすると、実質的定義は内容が多すぎることになる。いずれを採用するかは、訴訟係属に関するさまざまな事項を説明するのにどちらが便利かに依存し、趣味の問題でもある。私は、形式的定義の方が、次の事項を説明しやすいと考えるので、これを採用している。
要件の面からの定義と効果の面からの定義
法的ルールは、一定の要件の下で一定の法律効果が発生することを定める。両者の結束点を一つの言葉(用語)で表すときに、その言葉は重要な概念になる。その言葉を定義する際に、定義の中に要件と効果の双方を含めることもできないわけではないが、通常はそうしない。結束点となるキーワードの定義の中味は必要最小限にとどめ、その語を用いてルールを設定する方が、ルールの設定がしやすくなる(状況に応じて要件あるいは効果を様々に設定することができる)からである。そのルール全体を簡潔な言葉で表す必要がある場合には、別の適当な名称を付ける方がよい(例えば、結束点となるキーワードを「A」とすれば、ルール全体は、「Aの要件と効果」あるいは「Aに関する規範」)。
上記のことを破産法の用語について見てみよう。要件の面から定義されている用語の代表例は「破産債権」であり、効果の面から定義されている用語の代表例は「財団債権」である。
財団債権 これには雑多なものが含まれるので、要件の面から定義しようとすると、簡潔な定義が難しい(要素を列挙する形の定義になってしまう)。そこで、破産法2条7項は、これを効果の面から「破産手続によらないで破産財団から随時弁済を受けることができる債権」と定義した。この法律効果を享受するのにふさわしい債権を列挙し、その根拠を説明することは、要件論の仕事となる。財団債権に結び付けられた法律効果には、定義中に挙げられた効果の外に、「財団債権は、破産債権に先立って、弁済する」(151条)がある。立法者がこれを定義の中に盛り込まなかったことの中に、定義の内容は必要最小限にすべきであるとの姿勢を読みとることができる。
破産債権 これは、要件の面からの定義に比較的よく親しむ。破産法2条5項が「破産者に対し破産手続開始前の原因に基づいて生じた財産上の請求権(第97条各号に掲げる債権を含む。)であって、財団債権に該当しないものをいう」と定義している。原則的要件は、「破産者に対し破産手続開始前の原因に基づいて生じた財産上の請求権」であるが、次の2つの例外が認められている。
2つの例外がある点で幾分不細工ではあるが、それでも比較的簡潔な定義となっている。破産債権に結びつけられた主要な効果は、次のことである。
3については、非免責債権の例外が多数ある。2については、100条1項が「この法律に特別の定めがある場合を除き」との留保を付し、同2項にその特別の定めが置かれている。1については、例外はない(そのはずである)。したがって、破産債権を1の効果の面から定義することも可能である。
破産管財人と破産財団 破産法2条の定義規定を見ていて、違和感を覚えるのは、「破産管財人」の定義中に「破産財団」の語が現れ(2条12項)、「破産財団」の定義中に「破産管財人」の語が現れている(同14項)ことである(循環的定義)。2つの語を一組にして定義せざるを得ないことがあるのは確かであるが、その場合には、同一の定義記述の中で定義する方が好ましい。その点は脇に置いて、それぞれの定義を見ることにしよう。
「破産財団」の定義は、「破産者の財産・・・であって、破産手続において破産管財人にその管理及び処分をする権利が専属するもの」(破産法2条14項)となっており、要件の面からの定義要素(前半部分)と効果の面からの定義要素(後半部分)から構成されている。破産財団に属する財産は、基本的に破産債権への配当及び財団債権への弁済に用いられる財産であるので、後半部分は、「財団債権への弁済及び破産債権への配当に充てられるべき財産」と定義することもできる。
「破産管財人」の定義は、「破産手続において破産財団に属する財産の管理及び処分をする権利を有する者」となっている。これは、与えられた権限、したがって効果の面からの定義となっている。この定義規定と78条1項及び79条との内容的重複が気になる。もちろん、78条1項も79条も、2条12項には尽くされていない部分があるので、それぞれ存在意義はあるのであるが、それでも、78条1項の内容を2条12項に取り込み、79条の内容を78条1項に移す方が簡潔でよいだろう(現状では、授業で破産管財人の権限を説明する際に、2条12項・78条1項・79条と3つの条項の参照を指示することになり、煩雑さを感ずる)。
要件と効果の記述に用いられる言葉の意味は、時の経過の中で変化しうるが、通常は、その時代その時代で、通常用いられる意味が定まっている。通常用いられる意味でルールを解釈し、具体的な事例に適用すると不当な結果が生ずる場合には、ルールの要件部分あるいは効果部分の変更又は双方の変更が必要となるが、多くの場合は、要件部分の変更で足りる。要件部分の変更は、要件の厳格化と緩和の2つの方向があり、要件の緩和は、類推適用を認めるという形をとることもある。ともあれ、ルールの変更には、その理由付けのための議論が必要であり、その議論は、妥当な解決が何であるかの議論(政策論)を伴う。
しかし、ルールで用いられているキーワードの意味がルール設定時と現在とで変化している場合に、その変化を見落として、現在使われている通常の意味で解釈したルールは妥当な解決をもたらさないから、ルールを少し変更すべきであるとの政策論を展開すると、はなはだバツの悪い思いをすることになる。
ところで、破産法30条1項は、破産手続開始申立てがあった場合に、次の場合を除き、開始決定をなすべきものと規定している。
「裁判所は、破産手続開始の申立てがあった場合において、破産手続開始の原因となる事実があると認めるときは、次の各号のいずれかに該当する場合を除き、破産手続開始の決定をする。
現在の判決手続における通常の用語法(手続的要件を満たさない場合には「却下」の裁判をし、手続的要件は充足するが本案の要件を充足しない場合には「棄却」の裁判をする)を前提にすると、1号は手続的要件であるから、この場合には、申立てを却下する裁判をすることになり、この裁判には33条2項の適用はないことになる。その理由は何なのか、政策論として問題はないのかという疑問が生ずる。すなわち、
上記のように考えて一度は講義ノートを書き換える作業を始めてみたはものの、あまりスマートな議論はできない。不細工な議論を途中までしたところで、どこかで思い違いをしているのではなかろうかという不安に襲われ、民事再生法25条を読むと、次のように規定されている。
「次の各号のいずれかに該当する場合には、裁判所は、再生手続開始の申立てを棄却しなければならない。
1号の費用の予納などは、典型的な手続的要件ではないか。それを充足しない場合に、申立て棄却というのでは、「棄却」の意味が通常とは異なる。そこで、旧破産法の古い体系書を開くと、次のように記されている([斉藤*1934a]81 頁、[加藤*1952a]280 頁))
「棄却」と「却下」の用語法が現在の通常の用語法とは異なっているのではないか。民事再生法は、旧破産法の用語法を引き継いだが、現行破産法30条ではこの用語法を避けるためであろうか、民事再生法とは異なり、前記のように規定したのだろう。
しかし、破産法33条2項は民事再生法36条2項と同様な表現を用いているのであるから、破産法33条2項の「棄却」は、旧破産法の意味での棄却(「不適法として棄却する」を含む意味での棄却)と理解してよいであろう。となれば、前記の不細工な政策論はまったく不要であったことになる。
本 論 印刷コストが高かった時代に、論文や判例研究も短く書くことが求められていた(戦前の判例研究の代表である『判例民事法』の短さを見るとよい)。短く書くためには、一つの問題の解決方法として、複数のものが考えられる場合であっても、取り上げるのは、(α)学説や判例で現に主張されている解決方法、及び(β)自分が主張しようとする解決方法に限定することになり、(γ)誰も主張していない見解は、将来他の人によって主張される可能性のあるものであっても、自分が検討した結果では採用できない場合は、論説中で取り上げずにおくことになる。その結果、その後に(γ)の解決方法が他の研究者によって有力に主張されるようになったときに、自分の論文はその解決方法を思い付くことさえもなかった間抜けな論説の外観を呈することになるのである(ときには、そうであると言わんばかりに書かれることもある)。
そうしたことを2・3度経験すると、可能な解決方法は、多めに列挙して、その当否を一つ一つ検討することになる。その場合に、すでに学説等で主張されている解決方法については、その旨を明示することは当然である。他方、文献や判例において主張されてない解決方法については、「現に主張されているわけではないが、次のような解決方法も考えられる」と書くのが最善であろう。しかし、その場合には「誰によっても主張されていない」ことの確認が必要となる。ゲーテの言葉に「日の光の下に新しいものは何もない。全ては誰かが言ったことである」との警句があるとのことであり、この確認には神経を使うが、ある程度まで文献調査をして諦めざるを得ない。若干なりとも文献調査が不十分かもしれないとの不安があるときには、「次のような解決方法が主張され若しくは示唆されており、又は考えられる」と書いて、複数の解決方法を列挙しておく。
既に主張されている見解が明瞭とは言えない場合に、その見解の採用していると思われる解決方法を明確にしておくことが必要になる。その場合には、「この見解の趣旨は明瞭ではないが、次のような趣旨と理解することも可能であり、またそのような趣旨の解決方法も想定することができる。実際に存在したか否かは別として、この見解を***説と呼んで、検討の対象にすることにしよう」と書く。この断り書きを明示しておかないと、「実際には存在しない見解を存在するかのように誤解した」と非難される。そのような誤解を判例についてしているとの非難は、厳しい:「最高裁判例は、そのように言っていないにもかかわらず、その趣旨であると誤解している」。しかし、判例の趣旨が明瞭ではない場合に、可能な解決方法を網羅的に検討するために、ある解決方法を判例の示唆する解決方法として取り上げることは許容範囲のことというべきであろう。むしろ、そうした非難に度量の狭さを感じざるを得ないが、しかし、無用な非難を予防することも重要であり、前記の断り書きは、入れておく方がよい。
ここでは、Bの意味での根拠の説明を取り上げよう。
上記の説明において、「必要性」の部分は、「当該ルールにより達成されるべき直接の目的」と言い換えてよいであろう。つまり、規定の根拠の説明にあたっては、「当該ルールにより達成されるべき目的」の説明が重要であることは言うまでもないが、それだけでは足りないのである。
例1b 2002年2月13日の日銀総裁記者会見要旨の中で、日銀特融について、LLR(レンダー・オブ・ラストリゾート)の4原則に言及され、総裁がこれを次のようにまとめている。
1番目と2番目は必要性の点から設定された要件である。3番目と4番目は許容性の点から設定された要件であるが、その中で3番目はいわば「弊害防止」の視点から設定された要件とみることができる。
* LLRについては、正規の文書を引用すべきであるが、それをする余裕がない。ご容赦をお願いしたい。
ともあれ、規定の根拠を問い、要件の過不足を是正することは、解釈学の晴れ舞台の一つである。
例2a 民事執行法184条は、「担保不動産競売における代金の納付による買受人の不動産の取得は、担保権の不存在又は消滅により妨げられない。」と規定しているが、この規定は、次の2つの理由により根拠づけられると解されている。
しかし、真の所有者の意思に基づかずに偽造文書により所有権移転登記がなされ、表見所有者が設定した抵当権に基づいて競売がなされ、真の所有者が競売手続上の当事者とされておらず、競売手続の進行も知らなかった場合には、aの手続保障が与えられていたと評価することはできない。そこで、そのような場合には、184条の文言(この場合を排除する文言になっていない)にかかわらず、同条の適用はないと解されている。
この解釈は、民事執行法の立法当初から主張されており、ある高名な民法研究者が、私的な会話の中で、「それなら、そのような文言にすればよいのに」と述べたことが今も印象に残っている。
例2b 規定の必要性は肯定されるが許容性は肯定されないために、要件を厳格にするだけでは足りず、規定自体を無効と判断すべきであると主張されることもある。例えば、非嫡出子の相続分を嫡出子の相続分の2分の1と定めた民法900条4号ただし書前段の規定を意見ではないとした最高裁判所 平成21年9月30日 第2小法廷 決定(平成20年(ク)第1193号)の中で、今井功裁判官がその反対意見において次のように述べている:
例3 民事訴訟法224条1項は、「当事者が文書提出命令に従わないときは、裁判所は、当該文書の記載に関する相手方の主張を真実と認めることができる」と規定しつつも、相手方(挙証者)が文書の記載内容について具体的な主張をすることができない場合があることを考慮して3項において、「相手方が、当該文書の記載に関して具体的な主張をすること及び当該文書により証明すべき事実を他の証拠により証明することが著しく困難であるときは、裁判所は、その事実に関する相手方の主張を真実と認めることができる」と規定している。
文書の提出を命令された当事者(文書所持者)が命令に従わなかったことのみを理由にして、当該文書により証明すべき事実に関する挙証者の主張を真実と認めることは、誤判の原因になりやすいので、本来は避けるべきであるが、事案の特質上、「他の証拠により証明することが著しく困難であるとき」には、最後の手段として、それを許容しようとするものである。
例4a 民事執行法184条の根拠は、前述のように、(α)所有者には不当な競売手続を停止するための手段が与えられていること(手続保障)と(β)競売手続を信頼した買受人の保護の必要があることである。そして、(α)の十分性の根拠が妥当しない場合には、184条の適用は否定される。では、十分性の根拠は妥当するが、(β)の必要性の根拠は妥当しない場合は、例えば、買受人が、担保不動産競売の基礎となる担保権が存在しないことを知っていた場合には、184条の適用を肯定すべきであろうか、否定すべきであろうか。見解は分かれている。
確かに、(α)買受人が虚偽の抵当権設定登記がなされることに関与した場合であるとか、被担保債権の満足を受けた抵当権者自身が買受人になっている場合のような場合を想定すると、184条の適用は否定すべきであろう。しかし、(β)抵当権設定登記にまったく関与していない第三者が、競売不動産の確認のために現地を訪れた時に、所有者から抵当権は存在しないと主張されたにすぎないような場合には(たとえその証拠を示されたとしても)、184条の適用はなお肯定してよいように思える。
例4b 民事訴訟法115条1項3号は、口頭弁論終結後の承継人への判決効の拡張を定めている。その根拠は、次の点にある。
では、金銭債権者が債務者に対して提起した金銭支払請求訴訟において、給付を命ずる判決が確定した場合に、その訴訟の口頭弁論終結後(典型的には、判決確定後)に債務者のための保証人となった者は、115条1項3号の承継人に該当するであろうか。保証人に判決の効力を及ぼさなくても、債権者の法的地位に悪影響は及ばないのであるから、判決効の拡張の必要性の根拠が妥当しないので、否定説が有力である(「保証人は、いかなる意味でも承継人には当たらない」と言われる)。しかし、許容性の根拠は妥当するのであるから、口頭弁論終結後の保証人も承継人に該当するとすることも十分に考えられる。
ただ、上記の問題設定自体にやや分析不足(ないしは、想定する事例の具体化の不足)があるように見える。まず、保証人が、(a1)債務者の委託を受けて、債権者と保証契約を締結した保証人であり、(a2)保証契約の締結にあわせて、債権者が債務者に債務の一部免除を与えてある場合には、その後に保証人から主債務の不存在を理由に保証債務不存在確認の訴えを提起されたのでは、債権者の計算が狂う。この場合に、保証契約の締結時に、「保証人は債務者が債権者に対して債務を負っていることを認める」の文言が挿入され、それによって保証人が判決で確定された債権を争うことは封じられるとの立論は可能であろうが、しかし、既判力が拡張されるとした場合との差はなお残りそうである。
次に、保証人が(b)債務者からの委託を受けることなく債権者と保証契約を締結し、債権者から保証料を受け取っていたような場合は、どうか。この場合には、保証人と敗訴当事者である主債務者との間に承継関係はない。しかし、保証人が、主債務の不存在を理由に保証債務の不存在を主張することは信義に反しよう。この場合には、保証人が保証債務を履行した後で、主債務者に対して求償権を行使する場合に、主債務者が保証人に対して主債務はもともと存在しないから求償債権も発生しないと主張することができるかが問題となる。この局面では、保証人は、債権者の承継人として請求認容判決の既判力が及ぶかが問題となる。代位により取得する債権については、承継人に該当することは言うまでもないが、求償権との関係でも、弁済対象となった債権が既判力によって確定されていることを援用することができるという意味で承継人に該当するとすべきであろう。
まとめ 以上のようにと、必要性の根拠が妥当しない場合には、規定の適用について見解が分かれることになる。必要性の根拠が妥当しないことを根拠に単純に適用を否定することができる場合もあろうし、さらに場合分けをして要件設定を深めるのがよい場合もあろう。また、想定する事例の事実関係をさらに詳細にして分析を深めることが必要となる場合もあろう。
ドイツ法やスイス法は、第一の方法をとった。フランス法は、法文上は第2の方法を規定しているかのようであるが、解釈により第一の方法に縮小されているとのことである([國井*1988a]253頁以下)。日本法は、第2の方法を採用した(民法459条から461条)。なお、この問題についてのローマ法の変遷について[西村*1993a]、ドイツ法について[高橋*1996a1.4]80頁以下参照。
いずれの方法でも、過不足のない保護を与えることができると思われる。ただ、保護手段の簡明さという点では、多めの保護を与えて後からそれを制約する第2の方法よりも、最初から制約された保護手段を与える方が、スマートではある。しかし、保護手段の実効性の問題もあり、どちらを採用するかは、微妙な政策判断であろう。
言うまでもないことであるが、効果の過不足は要件との関係で判断されるものである。受託保証人の求償権の要件には、性質の異なるものがあるので、各要件ごとに何が最適な法律効果(保証人に与えられるべき救済手段)かが検討されなければならない。
実定法を離れて、第一の構成にしたがった受託保証人の求償権、すなわち解放請求権(免責請求権、担保請求権)の内容を考えてみよう。
以上のことをいわば評価基準として(いわばベンチマークとして)、前記第2の構成をとる日本民法461条をどのように解釈するかが、次の仕事になる。
余談2 しかし、わかりにくい比喩もある。新約聖書マタイ伝20章の「ワイン農場の労働者の喩え」は、わかりにくい。いくぶん再構成して記すと、次のような話だ。
なんとも不合理なことをする傲慢な農場主だと思いつつ、淀川キリスト教病院に入院しているときに、看者の見舞いのために巡回して来てくださった牧師さんに、この比喩の意味を問うと、「長い期間信仰すれば、それだけ多く救われるというものではない、という意味です」と返事をいただい。そういう趣旨であれば、理解可能な比喩である。しかし、そこに行き着くまでに時間がかかった。
学問の世界は、自己の思索の結果を他人にできるだけ速く理解してもらえる形で提示することが重要である。わかりにくい比喩は、時間の浪費になる。避けられるべきである。
余談3 2010年春にユーロ圏に属するギリシャが発行する国債の危機が生じた(政府債務がGDPに比して過大であり、償還期をまもなく迎える国債が償還されるか(債務の借り換えが円滑に行われるか)どうかについて、信用不安が生じた。ギリシャの経済危機の1つの要因は、ユーロ圏で競争力の強いドイツから競争力の弱いギリシャ等の地中海沿岸諸国に向けて輸出が行われ、その結果、ドイツが黒字国になり、その裏返しでギリシャ等が赤字国になっているのであり、通常であれば(ギリシャが独自の通貨を有しておれば)、ギリシャは為替レートの切り下げで貿易収支のバランスを回復させることができるのに、ユーロという単一通貨同盟に属したためにそれができないのであるから、ドイツはギリシャに経済支援を与えるべきであり、ドイツは内需を拡大して黒字を減らすべきであるとの論調の意見がドイツ以外の国々から目立つようになった。ドイツ国内の世論は、ドイツの労働者の汗の結晶を他国の支援に消費することには反対であり、それを受けて、ドイツのある閣僚が、「ドイツの黒字を減らせというのは、サッカーのバイエルンミュンヘンに下手なプレーをせよというようなものだ」と述べたそうだ。
ユーロ圏をサッカーリーグに、ユーロ圏諸国をリーグ所属チームに、貿易収支で示される経済力をチームの強さに喩えるこの比喩は、なかなか良くできた例えである。この喩えから、1つのチームだけが強いのではリーグが盛り上がらないが、リーグを盛り上がるためには、ドイツが下手なプレーをするのではなく、ギリシャが上手なプレーをするようになることが必要であり、そのためには、ギリシャチームのメンバーがトレーニングに励むことが必要だ、というあたりの説明がすぐに出てくる。その意味でこの比喩は、比喩を用いて説明されるもの(「原像」と呼ぼう。ここではユーロ圏)と比喩に使われるもの(「比喩像」と呼ぼう。ここでは、サッカーリーグ)との相似性の高い。しかし、それでも比喩であることの限界はある。比喩の妥当性の検証(現像で生じている問題と比喩像で生ずる問題との対応関係の検証が必要であり、細かな問題に入り出すと、比喩の妥当性の検証が負担になり、比喩など使わずに議論する方がよくなる。
本論に入ろう。法律学の世界でも、比喩が用いられる。しかし、その比喩で論理が解りやすくなっているかどうかは、読者しだいである。
例1 「証明責任は民事訴訟のバックボーン(脊椎)である」([中野=松浦=鈴木*2008a]367頁(青山善充))
弁論主義が適用される通常の民事訴訟においては、証明責任は、審理の全過程において、当事者の主張・立証活動と裁判所の訴訟指揮の指標となり、また、真偽不明の事実に存在する場合に判決内容の形成の基準となる重要なものである。その重要性、特に手続全体わたって重要であることを表現するために、「バックボーン」という比喩が用いられているのである。
物事を人体に喩えることは、よく見かける。都市や国家などは、比較的に人体に喩えやすく、都市のある部分(例えば道路)が人体のある部分(血管)に喩えられると、逆に、人体の他の部分(例えば頭脳)に対応するものは都市の何かを問うこともできる。
しかし、訴訟と人体との間に対応関係のある要素は少ない。「証明責任が民事訴訟のバックボーンであるならば、心臓に相当するものは何か」などと問うのは、無粋。ちなみに、ドイツ語の辞書(『独和大辞典』(小学館、昭和60年2月初版第2刷))では、「バックボーン」に相当するドイツ語(Rueckgrat)の比喩的な意味として、次の語が挙げられている:大黒柱、基盤、不屈の精神{力}、気骨、気概。日本人にとっては、「バックボーン」や「脊椎」といった比喩的表現は、「大黒柱」という表現ほどには馴染みがなく、それだけに新鮮である。新鮮な比喩ではあるが、それほど重要な意味が込められているわけではない。この比喩の意味は、重要性を強調する点にあるに過ぎない。深い意味があるものと思って考え込むと、時間の浪費になる。比喩を軽く読み流すことも、時には必要である。
例2 破産財団法人説(暗黒星雲論)
例3 破産免責
例4 中村理論(自然科学に範型を求めた民事訴訟理論の再構成)
以下は執筆予定
規定の再帰的適用の例
2007年9月19日−2010年9月7日