千里山ワークショップ


九州旅行行程記
第5日目


4月2日日曜日 雨のち曇り
 都城→西鹿児島→川内→出水→八代→熊本→銀水→博多→


 なんか朝になったような気がして、慌てて飛び起きて時計を見るとまだ3時半だった。あと3時間以上寝れると思うとなんとなく幸せな気分になって、また寝た。

 枕もとにある目覚ましアラームの音で目が覚めた。6時45分である。だがまだ起きるのがだるかったので、7時にセットしなおしてまた寝た。15分だけだが、こういうときの「あとちょっと」がどのくらい嬉しいかは、皆も経験があるだろう。

 うとうとしているとあっという間に7時になった。いそいそとベッドから這い出し、服を着替えた。朝食のあと時間がないので、その前にすべての準備を整え、忘れ物のないように荷造りしておかなければならない。そんなことをしていると、30分なんて時間はとても短い。

 テレビのニュースによると、今日の鹿児島県地方は、午前中50%以上の確率で雨が降るらしい。なんだ、今日は雨なのか。外を見ると、まだ雨は降っていなかったが、どんよりと曇って今にも降りだしそうだ。

 7時半になったので1階のレストランへと下りていった。その前にフロントに行って、7時50分ころにタクシーを呼んでくれるように頼んだ。レストランに入り、昨日チェックインしたときに受け取った朝食券を見せると、しばらくして運ばれてきた。なにやらトーストにサラダ、スープ、目玉焼き、デザートと、そのボリュームにはびっくりだ。時間も15分ほどしかないし、だいたい朝から食べきれる量ではない。もったいないがスープは手付かずで残してしまった。レストランから出て玄関を見ると、すでにタクシーが一台待機していた。

 あわただしい朝食を済ませ、部屋に戻って荷物を持ち、これまた慌ててチェックアウトだ。フロントで精算し、タクシーへと向かった。

 昨日と同じタクシー会社だった。またもや交差点を何回か曲がり、方向感覚が全くないまま都城駅に着いた。運賃はやはり720円だった。

◎ 都城8:10→西鹿児島9:56

各駅停車 西鹿児島行き

 電車の時間をずっと8時16分発だと思っていたが、実は8時10分発だった。乗り過ごすと次は1時間以上鹿児島行きの電車がないので、かなりやばいことになるところだった。

 わりと早く着いたので、電車の到着まで駅舎内をうろついてみた。改札に売店と、何の変哲もない駅である。終点の西鹿児島まで2時間近くかかるので、暇つぶしのためスポーツ新聞を買って読むことにした。少し早いが改札を通ってホームに入ると、目の前に西鹿児島行きの電車が止まっていた。特急に道を譲るために若干長いこと止まっているらしい。車内はガラガラだったので、4人分の席を占領し、早速新聞に目を通す。なになに、巨人がまた負けたようだ。ざまあ見ろ。今年こそはあほ監督もクビだろう。奴は野球の前に日本語を勉強したほうがよろしい。われらが阪神も予定通りの結果とはいえ、巨人が負けるとこの上ない気晴らしとなる。

 いつのまにか電車は動き出した。昨日上から眺めた霧島連山のふもとを軽快に走る。何駅か進むと、ついに雨が降り出した。車窓には黄色い菜の花が揺れていた。桜が咲く季節と菜の花の季節は少し違うような気がするのだが、山あいのこの辺は少し寒いのだろうか。

 9時15分隼人駅着。ここでちょうど到着した肥薩線の列車と連絡。向かい側のホームを見ると、かなり大勢の人が階段を上っていた。あの人たちはこの電車に乗り換えるのだろうか。きっと混むに違いないと思ったので、4人分の座席を占領していた荷物を網棚の上に載せ、スペースを確保した。案の定座席は一気にいっぱいになり、立ち客が出始めた。しかし、宮崎同様ここでも圧倒的に小中学生と思われる子供の姿が目立つ。春休みのせいもあるだろうが、親子連れであるところは少なく、子供だけでどこかへ向かうようだ。もっとも、親が一緒なら車で出かけてしまうのだろう。

 その後も乗客はだんだん増えていき、筆者の乗っていた先頭車両はほぼ満員となった。その状態で9時52分鹿児島駅着。半分くらいの乗客が下車し、次いで9時56分に終点の西鹿児島駅に着いた。

写真21:西鹿児島駅前を走る鹿児島市電。
あいにくこの日は雨だった。

 鹿児島と名のつく駅は、鹿児島と西鹿児島の2つがあるが、鹿児島市の玄関口としての機能を果たしているのは西鹿児島駅のほうである。西鹿児島駅は最近改装されたらしく、きれいな作りだった。さすがに60万都市の玄関口とだけあって、人通りが多い。改札を出てコインロッカーを探すが見つからない。駅員に聞いてやっと発見したが、とても辺鄙な場所だった。

 大きな荷物をロッカーに入れて身軽になったところで、駅前に出てみた。そとは小雨が降り続いていた。駅前は、大分のときにも書いたが典型的な県庁所在都市といった感じで、道には車と人が溢れオフィスビルが建ち並んでいた。また、熊本同様鹿児島には路面電車が健在である<写真21>。

 さて、鹿児島についたのはいいが、特に行きたいところを決めていなかったので、ガイドブックを見てみた。雨なので歩き回るのはしんどいし、どこか手軽に行ける所はないかと探す。鹿児島はなぜか美術館の宝庫なのだが、あいにくそういったものに興味はない。

写真22:西郷さんの銅像。
撮影は道路の向かいからどうぞ。

 しばらく悩んだ末、西郷さんの銅像があるという鹿児島市立美術館へ向かうことにした。駅前の停留所から、鹿児島駅前行きの市電に乗り込んだ。かなり頻発して運転しているようだが、車内はけっこうな混み様だった。しばらく走ると、商店が建ち並ぶアーケード街に差し掛かった。電車はその真ん中を走っていく。途中天文館、いづろ通の停留所でほとんどの人が下車、この辺りが鹿児島市の中心なのだろう。次の朝日通で下車した。

 鹿児島市立美術館はここから山のほうへ歩いていったところにあるらしい。しばらく歩いていくとなんとなくそれらしい建物があり、なるほど西郷隆盛の銅像があった<写真22>。車道を挟んで向かい側の歩道には、『西郷さんと記念撮影するにはここから』てな看板とともに多少歩道が階段状になっていた。その隣には、なにやら講演ホールになっているらしく、宝塚のポスターがたくさん出ていてオバチャン数人がたむろしていた。

 西郷さんが出迎えてくれるから、展示物も明治維新に関係ありそうなものかな、と思ったが、美術館の中身はれっきとした美術館で、なんか絵画に関する案内が掲示してあった。興味のない筆者は案内を読む気すら起こらず、建物の周りをうろうろしてみた。角を曲がるとちょうどその道路の向かい側に、『西南戦争の弾痕の残る石壁』があった。西南戦争において、西郷軍は政府軍の攻撃を迎え撃つために今はなき鶴丸城に立てこもったが、そのとき政府軍側の放った弾丸の跡が多数、今も石垣にくっきりと残っている。鶴丸城自体はほとんど跡形もなくなってしまっていたが、この石垣は今もなお歴史を後世に伝えている。

 それも見たところで少し山のほうへ歩くと、大通りから離れて遊歩道が設けてあり、上には鹿児島市内が展望できる城山展望台がある。しかしこの城山はそれだけではなく、西南戦争当時は最大の激戦地であったという。展望台周辺には、西郷軍が最後の5日間を過ごしたという西郷洞窟や、西郷終焉の地などが残されているらしい。

 行ってみたいとは思ったが、何しろあいにくの雨。遊歩道も舗装されているとはいえ足場が悪そうだし、さらにかなり時間もかかるようなのでやめにすることにした。おまけに風も強くなってきた。だが、展望台のそばまではバスで行くことができるという。早速先にあったバス停まで行ってみるが、その途中でバスが行ってしまった。バス停について時刻表を見ると、次は1時間ほどない。そんなもん待ってられるか。もう諦めることにした。

 今度は山を下り、海岸を目指す。ノンビリ歩いていたのだが、海に近づくにつれて風が強くなり、傘が吹き飛ばされそうになった。傘をたためばいいのだが、微妙に雨が降っていて冷たい。だが邪魔なので結局たたんでしまった。

 まもなく海岸に鹿児島フェリーターミナルが見えてきた。かなり立派な建物で、バスや車も頻繁に出入りしていた。道路の反対側からでも、屋根付の歩道橋でターミナルに入ることができる。この建物は、桜島へ向かうフェリーの発着場のようだ。

 鹿児島市と桜島との間は海によって隔てられているが、日中でも15分に1回の割でフェリーが発着している。さらにこのフェリーはまさに24時間運航で、夜中2時3時でも最低1時間に1便は運行されているようだ。筆者が着いたときもちょうどフェリーが到着したときで、大勢の人が降りてきた。モノの流れはかなり頻繁なようだ。

 そとはまだ雨が降り、風も強い。ターミナルの中には若干の飲食店街もあり、そういえばぼちぼち昼なので食事をしようかと思ったが、うどんやカレーといったどこにでもあるメニューなのでやめておいた。ガラス越しにフェリーの発着を見ていると、なるほど船には車も積み込んでいた。陸続きに桜島まで行くとなると、鹿児島湾をぐるりと一周しなければならないので、大きな時間の損失になるのだろう。

 目を移してみると、さらに海側の建物の向こうに桜島が見えた。あいにく山頂付近には雲がかかって、煙がモクモクと吐き出される様子は見えなかった。よし、鹿児島県側からも桜島の写真を撮ろう、そう思って先にある建物へと進んだ。隣には鹿児島市立水族館があり、大勢の家族連れでにぎわっていた。

 今度の建物は、多くの路線が発着するフェリーターミナルだった。船というとあまり普段の交通手段としてのイメージは浮かんでこないが、離島の多い鹿児島県にとっては欠かすことのできない存在だ。いつかテレビで見た『月8便の村営定期船』の乗り場も発見できた(これは7つの有人島と5つの無人島からなる人口720人の十島村へ向かう定期船のこと。鹿児島港からもっとも北端の口之島まで6時間40分、南端の宝島まで14時間40分を要する。交通的に不便なため十島村役場は便宜的な意味から鹿児島市内にあるという)。

 この他屋久島や奄美大島、種子島などへ向かう便もあって、ターミナル内にはかなりの人がいた。問題の桜島はというと、ちょうどその方向は壁になっていてよく見えない。上の階があるらしいので、階段を上がって3階へ行ってみた。ここは鹿児島港の歴史をパネルなどを使って解説しているフロアだった。鹿児島港は江戸時代にはすでに石垣などで桟橋が形作られ、栄えていたという。水族館の脇の堤防の一部にそれらが残っていると書いてあった。桜島の噴火によって、大正時代には港が火山灰に埋もれてしまったこともあるという。

 一通り見終わると、ちょうど桜島が見える方向にテラスがあり、ドアを開けて外へ出てみた。雨はやんだようだが、風が強い! だが正面には確かに桜島が見え、2、3度シャッターを切った。と確かに記憶しているのだが、なぜかその写真は現像されていない。撮らなかったのだろうか? そんなはずはないと思うのだが、ネガにも残っていないのだからやはり撮っていないのだろう。

 再び建物の中に戻ると、椅子に座って弁当を広げている奴がいた。何もこんなところで食わなくても、と思うのだが、そういえば筆者もぼちぼちお腹が空いてきた。階段の脇には鹿児島の離島の自然を紹介しているビデオがあり、ちょうど屋久島の映像が流されていた。これが鹿児島港の歴史とどう関係があるのか知らないが、しばし見ていると、この辺はまだまだ未開の孤島という感じだ。一度は行かねばならない。

 フェリーターミナルを後にし、港の周辺を回ってみる。さっきやんだと思った雨がまた降り始めた。港の一角は立ち入り禁止ゾーンになっていて先のほうまで行けなかった。さっき知った江戸時代の桟橋もどれか分からなかったが、水族館の周りになんだか古そうな石垣があったので、これだったのだろうか。

 程よい時間になったので、鹿児島港を離れて移動することにした。さっき通った天文館というところが、鹿児島市で一番の繁華街で、有名な店もたくさんあると書いてあった。そこへ行って食事をすることにしよう。行く先々であんまりいいものを食べていなかったので、今回だけは贅沢することにした。

 停留所まで歩いていき、5分ほど待つと市電が来た。車内は予想に反してガラガラだった。所要時間は10分くらいだったと思うが、とちゅう信号で止まったりするのでもうちょっとかかったような気がした。また歩道にアーケードのかかる繁華街に差し掛かって、しばらくするといづろ通の停留所である。次いで交差点を直角に曲がると天文館に到着した。この2つの停留所が一番の繁華街らしく、大勢の人が乗り込んできた。

 歩道にアーケードのかかる大通りに、直角に全面アーケードの天文館通が交差している。なんとなく四条新京極のような感じだ。日曜日の昼間ということで、かなりの人出である。

 何かいいものを食べようと思って考えてみると、鹿児島の名物なんてそんなに知らないことに気が付いた。筆者の持っているガイドブックは、食べ物方面に弱いようだ。時間もあまりないので、見つけた本屋に入って鹿児島のガイドブックを立ち読みしてみた。

 なるほど海産物も豊富らしいが、ちょっと旅行の中で食べるのには高すぎる。別にイタリア料理なんて鹿児島でなくても…、と探していると、鹿児島は黒豚の本家らしい。しかもわりとリーズナブルであるようだ。この近くにその名も『黒福多』というけっこうメジャーな店があるらしいのでそこに決めた。地図でだいたいの場所を確認し、本屋を出てそっちに向かった。アーケード外を出て傘を差しつつ探してみるが見つからない。時間がどんどんおしてくるが、一向に見つからなかった。電車の時間もあることだし、まあ西鹿児島駅に戻れば何かあるだろう。そう思って諦めて戻り始めると発見した。看板は出ているが、店はファッションビル(だったと思う)の地下にある。さっきまで探しているところとはぜんぜん違うところだった。狭い階段を下りるとこれまたかなり手狭のカウンターがあった。奥には座敷もあるらしいが、1人なのでカウンターへと案内された。13時前だったが、席は半分ほどしか埋まっていなかった。

 メニューを見ながら、黒豚ロースカツランチを注文した。なんか初めてまともなものを注文したような気がする。その間に店内を見回すと、芸能人もよく来るらしく、ざっと10人程のサインが飾ってあった。さらにカウンターのガラスにも来店記念だろうか、述べ20人以上の有名人の名前が書いてあった。中には2回3回と来ている常連さんもいるようだ。

 7、8分すると料理が運ばれてきた。ロースカツのほかにご飯とサラダ、味噌汁がついていた。ロースカツのほうはとてもやわらかく、カツでありながら豚肉とはにわかに信じられないほどあっさりして美味しかった。なんでも黒豚はその飼育がデリケートであり、意外にもコレステロール値も低いという。これで1000円を切れているとはとても得した気になった。

 とっても満足した気になり、これで今回の旅行ですべきことはすべて終了。ここからは一路京都向けて帰ることになる。店を出て再び停留所へ。1本逃したと思ってもすぐに電車が来る。依然として雨が降り続いているので、停留所は屋根のある部分に人だかりができていた。

 市電に揺られること数分、西鹿児島駅に到着。まだちょっとは時間があったので、駅構内の土産物屋を見て回った。鹿児島土産といえば薩摩焼酎が有名だが、そんな重いものもって帰るのに苦労するのでやめた。適当にあれこれと買い込んでいても、まだ時間が余った。もう少しゆっくりしておけばよかった。でもすることがなくなってしまったので、コインロッカーから荷物を出し、改札を通ってホームに下りた。

◎ 西鹿児島14:05→川内14:56

各駅停車 上川内行き

 案の定電車はまだ来ていなかった。なんか広さの割にはホームも電車も少なく、わりと寂しい感じのする駅だ。隣のホームには、次の特急を待つ人々がいたが、なんか普通電車を待つ筆者とは格の違いが感じられた。

 まもなく放送が入り、電車が入ってきた。今度はたまたま一番後ろの車両になったが、この車両だけなぜかシートが高級で、シートピッチもやたらに広くて得した気分になった。すわり心地も微妙にいい。車内はまたしてもガラガラなので、4人分占領してやった。

 時刻表を見てこの後の予定を再確認。途中からは特急に乗り換えだ。さらに博多についたら何を食べようかな、などと考えていると電車が動き出した。

 電車はあっという間に山間部へと入り、周辺には人家がまばらに…って、よく考えるとまだ西鹿児島を出て1駅も進んでいないんでは? なんでこんな山の中を走ってるんだ?

 鹿児島の都市圏はそんなに狭いんだろうか。それともただ単にJRが山の中を走っているだけなんだろうか。調べてみると西鹿児島から次の上伊集院までは9.6km。いずれにしても、鹿児島においては、JRはほとんどと市内交通としては機能していないようだ。

 伊集院、薩摩松元と進んでいくが、一向に町の中を走る気配はなく、ただでさえ少ない乗客が1人また1人と減っていく。外を見ると、だんだんと雨も上がってきたようだ。ゴールドパークで有名な串木野を通り、川内(せんだい)に到着した。

◎ 川内15:00→出水15:42

特急つばめ18号 博多行き

 本来普通電車にしか乗れない青春18切符であるので、特急に乗るためには特急券のほかに乗車券も買わなければならない。よほど急ぐときでないと普段はそんなことはしないのだが、なにせこの区間は普通電車が数時間に1本という超散発運転なので、やむを得ず特急を利用することになった。乗り換えが4分しかなく、窓口に行っている時間がないので、切符類は車内で買うことにしてそのまま電車を待った。

 すぐに隣のホームに電車が入ってきた。2日ほど前に熊本から博多へ行くときに乗ったのと同じ“つばめ”である。9両もつないでいるわりには、自由席が3両しかない。この川内から乗り込んだ人はわずかだったが、車内はいっぱいで、デッキ(連結部)にも人が溢れていた。とても座れそうになく、おまけに通路がいっぱいで他の車両にも移れないので、仕方なくドアにもたれて過ごすことにした。

 だがもともと立ち客のことなんて考えていない特急電車のこと、窓も小さくて見晴らしも悪いし、おまけに筆者のもたれたのが山側だったので、反対側の車窓には海が広がっているが、筆者のいるほうはすぐそばまで山が迫って何も見えなかった。おまけに雨が降っていることから、床もなんとなく濡れていて座ることもできずに、しゃがんだ状態でしばらく過ごすことになった。

 うーん、高い特急料金払って座れないとは、どうもぼられたような気がしてならない。この区間は普通電車が1日に11本に対して、特急電車が1時間毎の14本と、特急のほうが多い。でもこれだけ特急の需要があるなら、普通電車ももっと改善のしようがあるのではないかと思うのだが、スピードと快適を求める現代人のニーズには合わないのだろうか。ついでに車内放送によると、指定席もすでに全席完売だという。

 途中阿久根という駅に止まったが、数人の乗客が乗ってきただけで結局座ることはできなかった。

 このあたりは単線らしく、ドアは開かないが小さな駅に止まることが何回かあった。

 さて、乗車してからもう20分以上たつが、いまだに車内改札が来ない。ひょっとするとこのままただ乗りすることもできるんじゃないだろうか。

 淡い期待を抱いたまましばしたつと、しっかり改札に来やがった。くそ、もうちょっとだったのに。

 ずっと車窓に広がっていた海がやや遠ざかり、電車は出水(いずみ)駅に着いた。

◎ 出水16:00→八代17:20

各駅停車 八代行き

 この出水駅も、ひなびたというか、さびれたという表現がぴったりだろう。博多行きの“つばめ”が出て行った後、3つあるホームに残された乗客は筆者ひとりだけになってしまった。駅前もなんだか静まり返って、活気が感じられない。隣のホームには辛うじて八代行きの電車が止まっていた。

 早速車内に入ろうと思ったが、まだドアが閉まったままだった。仕方がないのでドアの前に立って待っていると、ホームのベンチで休んでいた車掌がようやくドアを開けてくれた。「客が来たからぼちぼちドアも開けてやるか」的な雰囲気だ。発車までは20分くらいあったが、乗客は3両編成全部合わせても5人くらいだろうか。なるほど先ほどの特急の繁盛振りとは比較にならない。だが比較にならないのは乗客の数だけではなく、車両もぼろい。車内や洗面、トイレのいたるところにまだ『日本国有鉄道』あるいは『JNR』の表記が残っていた。JR発足からすでに13年、その間設備の更新はなされていないのだろうか。

 電車は海岸沿いを走り始めた。沖合いには天草諸島が浮かんでいるはずだが、残念ながらまだ雨が降り続いていて、遠くのほうは霞んで見えなかった。

 少ない乗客が多少は増えただろうか。斜め前には、八代まで花見に行くらしきオヤジの集団が乗り込んできた。特に何もすることのないまま八代駅に着いた。

◎ 八代17:22→熊本17:56

各駅停車 銀水行き

 ここからは熊本の都市圏に入るらしく、車内にはすでに乗客が乗っていた。車両も銀色の新型電車で、いかにも都市近郊といった感じだ。

 ようやく雨もやんできたようだ。さっきまでのノンビリムードとはうってかわって、電車は新型らしく軽快に飛ばしていく。車窓にも田んぼの代わりに家やマンションが増えてきた。そういえば、一昨日天草諸島へ車で行くときに走った国道3号線と同じルートだ。確かに道路のほうもそこそこ都会っぽい雰囲気だったような気がする。

 だんだんと乗客が増えてゆき、立ち客まで出始めた。窓の外にもビルが増えると、熊本である。

 電車はもっと先まで行くが、いったん熊本で降りることにした。別にどこに行くわけでもないが、時間が時間だけに腹ごしらえしておこう。頭の中では、旅気分を出すために駅弁なんかいいな、と思っていたが、この辺りの電車は地下鉄のような横長イスで、この形で駅弁を食べるのは少し恥ずかしいような気がした。それでも乗り換えた先の電車で食べればいいや、と思って駅弁屋を探しが、見つからない。駅構内を散々歩き回った挙げ句、はずれのほうにやっと発見した。だが、ウインドーにはほとんど商品が残っていなかった。もう夕方なので、ほとんどが売り切れてしまっているようだ。残念である。

 することがないのでホームに戻ると、立ち食いそば屋があった。どうせ博多に戻るとまた何か食べるので、軽くうどんでいいやと思いここで食べることにした。西日本は出汁が薄いので、安心して食べられる。普通こういった店ではたいがいオバチャンなのだが、なぜかこの店は若いねーちゃんが切り盛りしていた。ここではまだ弁当が残っているようだったが、もうどうでもよくなった。

◎ 熊本18:23→大牟田19:10

各駅停車 銀水行き

 結果的には、さっき乗ってきた電車から1本遅らしたことになる。やってきたのはさっきと同じ銀色の新型電車だった。やはりイスは横長方向で、車内は帰宅ラッシュで混みあっており、駅弁なんて買わなくてよかったとそのとき思った。

 上熊本駅だったろうか、出発直後に急ブレーキがかかって電車が止まってしまった。なんだ事故か、人でも轢いたか、と思ったが、何事もなく走り始めた。

 外はだんだんと暗くなり、車窓を楽しむのもできなくなってきた。熊本から離れるに従って乗客も減ってゆき、ついにガラガラになった。真っ暗になったころ、大牟田に到着した。

◎ 大牟田19:16→博多20:23

快速 門司港行き

 さっきの電車は、もう一つ先の銀水まで行くのだが、乗り換える電車が大牟田発なのでここで乗り換える。ここからは福岡の都市圏に入り、電車は8両ほどの長い編成を連ねていた。今度は中ほどの車両に入り席を確保する。またしてもガラガラなので4人分占拠してやった。隣には西鉄の大牟田駅があった。

 電車はガラガラのまま発車した。先ほどまではずっと各駅停車だったが、今度は快速なので小さい駅を飛ばしていく。だが、一向に乗客が増えない。福岡といえば九州最大であり、ここで稼がなければJR九州はどこで儲けているんだろうという感じがするが、ガラガラなのである。すれ違う電車もそれほど混んではいないし、一体どうなっているのだろうか。

 久留米、鳥栖など比較的大きな駅に止まっても状況に変化はなかった。その途中で気づいたのだが、車内にごみ箱が設置してあった。そういえばごみ箱なんて、関西の電車にはないよな−と思い、あったほうが車内美化になるのではないかと思うのだが、何か問題もあるのだろうか。

 二日市に到着。ここで後続の特急に追い越されるらしいが、その特急が若干遅れているので、しばし待てとのこと。まあ、長距離旅にとって多少の遅れなど、気にとめるには値しない。

 確かに発車時刻になっても、まだ特急が来ない。しばらくしてようやく来た。1本待って、もう1本を先に譲り、5分ほど遅れて発車した。他の乗客はそれを気にとめる様子もない。やはり地方はのんびりしているものだ。

 二日市を出ると車窓がますます都会になって、博多が近いことを告げていた。南福岡に止まり、さらにビルやネオンが増えてくると博多である。

 博多というのは福岡市内の地名のことであるが、都道府県代表駅で、都市名ではなく単なる土地名が駅名になっているのはここだけであろう。電車がホームに滑り込むと、大勢の乗客が待ち構えていた。さっきの閑散状態とはえらい違いで、どこにでもある帰宅ラッシュの様相を呈していた。この電車は、この先北九州市の中心小倉駅を通って門司港まで行くが、やはり福岡と北九州という2つの100万都市を結ぶだけあって利用客は多いようだ。

 家路を急ぐサラリーマンの流れに逆らいつつ階段を降り、改札を出た。やはり博多に来たからには、博多ラーメンを食べなければならないだろう。博多には何回か来たことがあり、その時に美味しいラーメン屋を教えてもらったのだが、ただ連れて行ってもらっただけなので詳しく場所を覚えていなかった。そこで適当に地下街を歩くことにした。

 さすがに多くの店があるが、ラーメン屋もいくつか軒を連ねていて、どこがいいのか分からなかった。なんとなくレストランのようにしっかりした造りの店よりも、屋台のようにほとんど露出状態の店のほうが美味しいような気がしたので、そっちにすることにした。当然トンコツラーメンを注文。もちろんそれだけでは足りないので焼き飯がセットになった奴を頼んだ。店の中はけっこう混んでいて、ひょっとしてここの店は当たりちゃうん?

 などと1人で喜んでいた。

 まもなく料理が運ばれてきた。他の人はどういう感想を持つか知らないが、博多ラーメンというのは何となく独特の臭みがあるような気がする。それがトンコツの匂いだと言われればなるほどそうなのかも知れないが、関西のそれとは明らかに違うような気がするのだが。しかし、一度食べれば癖になる、不思議な臭みである。ちなみに焼き飯は至って普通であった。

 ここに至って、することは夜行列車で京都へ帰るのみとなった。食べ終わって店をで、土産物屋をぶらぶらしつつ、列車の中で飲み食いするためのお茶や夜食、ビール、つまみなどを購入する。まあ、疲れているだろうからきっと車内では爆睡だと思うのだが。

◎ 博多21:15→

快速ムーンライト九州 京都行き

 再び改札を通ってムーンライト九州の出発するホームへあがる。駅員に聞くと3番線だというので行ってみると、まだ前の特急が止まっていた。長崎行きの特急“かもめ”であるらしい。そこかしこが赤やら青やらに光っていてきれいだ。もう夜の9時だというのにかなりの人が乗っていた。

 ホームには次のムーンライト九州を待つのであろうながーい列ができていた。このあたりは自由席だそうで、指定券を取れなかった人々の集団だろう。筆者のもっている指定券には『6号車』と書かれていた。おそらく、一番前だろう。何となく前のほうに行ってみるが、どこにも乗車案内がなく、他の乗客も何となくそれらしいあたりにたむろしているだけであった。もっとも、指定券を持っている者にしてみれば、そんなにきちんと並ぶ必要はないのだが。

 21時を少し回ったあたりで特急が発車し、まもなく放送とともに京都行きのムーンライト九州が入ってきた。停車してみると、筆者の待っていたところはかなり前で、目の前には機関車が止まった。ドアはもっと後ろなので後ろへ行かなければならない。同様に筆者の周りで待っていた人も列車が停車すると一斉に後ろのほうへ移動した。

 来るときは、始発の京都を出た時点ではかなり空いていたが、今度は始発の博多でほとんど満席になった。隣の席にもすでに人がいた。筆者の席は一番前の6号車のそのまた一番前の席だった。前が壁なので少し窮屈だ。荷物を荷棚に置き落ち着いていると、列車はまだあわただしさの残るホームを尻目に静かに動き出した。

 車内には、もちろんこれから関西方面へ旅立つ人もいるだろうが、どちらかというと関西方面へ帰る人のほうが多いようだ。行きしなよりも、何となく車内は、家に帰れるという安堵感に支配されているような気がした。車内放送が終点京都の到着時刻を告げ、その安堵感がいよいよ現実感のものへと変わっていった。所要時間は10時間弱、新幹線ならものの3時間足らずの距離である。しかし、車内には同時に「急いでも仕方がないさ、のんびり行こう」という落ち着きとも諦めとも取れる雰囲気が漂っていた。夜行列車ならではの雰囲気である。

 ここ数十年で、日本人の旅に対する意識は大きく変わったといわれている。その中でももっとも変わったのが、時間に対する意識だろうと思う。速く、快適に。それはいつの時代でも人々が願っていたことだろうが、わずか40年前は、飛行機などというと高嶺の花であり、国鉄の特急さえも庶民が乗る機会というのは、新婚旅行か故郷の肉親が倒れたか…、という時代だったという。それが今は新幹線の拡張、高速道路の延伸、飛行機の価格破壊…。

 「せまい日本、そんなに急いでどこへ行く」。新幹線、高速道路、新空港の建設ブームに沸いた昭和50年代にささやかれた一節である。確かにそのとおりだ。決してスピードを追求することがいけないというわけではない。かつて東京−大阪が2週間を要した江戸時代の人々には、まさかわずか1世紀後には2時間半で結ばれるとは想像もできなかっただろうし、それはまた夢でもあった。

 だが、それは現代人がゆとりを持つことを否定しているわけではない。確かに急ぎたい人もいるだろうし、そのような場合もあろうが、『結果』だけを求めてはいないだろうか。どうして『過程』を楽しもうとしないのか。旅行を例にとっても「目的地にさえ着けばいい」という考えに支配されてしまっているような気がする。今日、子供の『考える力』の低下が叫ばれ、あまりにも結果だけを求める学習に避難の声が上がりつつあるが、こんなところにも同じ現象が起きているのではないだろうか。

 筆者の目の前の壁の向こうには、展望スペースがもうけてあるらしい。さっきから何人かの人が出入りしていた。筆者の席はあいにく通路側で、外の景色を見るには不都合だった。備えつけのテーブルも車端部の席なので狭く、広い展望スペースへ移動することにした。

 自動ドアをくぐるとすでにオバチャン3人の集団と、中年よりやや若そうなオジサンと他数名がいた。シャンデリア風の淡い照明で照らされ、さらに最前部のガラスの前には赤い機関車があった。

 さっき買ったビールとつまみで晩酌を始めると、オバチャン3人集団の1人がカットされた梨を取り出し、周りにいた人に勧めはじめた。筆者も何個かいただいたが、オバチャンが「季節モン違うからあんまり甘くないで」と言ったとおり甘味があまりなかった。それがきっかけで何となく会話が始まった。オバチャン3名は福岡県の甘木というところから茨木への帰りで、オジサンはこれから東京の世田谷まで帰るらしい。そのうちに展望スペースには、長崎から飛騨高山まで行くというオバチャン2名と、福岡ドームの帰りという神戸人のにーちゃん1名その他もろもろが加わりさながら小宴会となった。

 いくつか駅に止まって22時25分門司着。ここで6分止まり、行き同様関門トンネルに備えてここで機関車の交換。一番前にいるので、機関車の交換作業も車内から手にとるように分かる。今まで引っ張ってくれた赤い機関車に変わって、今度は銀色の機関車が登場。展望室内でも、何でいちいち交換するんだろうと疑問が湧いていたが、神戸人のにーちゃんによると、海底を走る関門トンネルは、湿気と塩害がひどいので、その対策にステンレス製の機関車に付け替えているとのこと。なーるほど。

 関門トンネルをくぐって22時38分下関着。茨木オバチャンも来るときにこの列車に乗ってきたらしく、そのとき食べた下関の『ふぐ飯』がとっても美味しかったと言っていた。そういえば、行きしなはこの下関で駅弁の販売があったが、今回はないようだ。東京オジサンがその事実を知って、しきりに『ふぐ飯』を食べたがっていたが、ホームにある売店もすでに閉まっていたので、諦めざるを得なかったようだ。

 この下関でも再び機関車の交換。15分ほどして発車した。次第に深夜モードになってゆき、1人また1人と展望室を去っていった。筆者は最後のほうまで残って神戸に−ちゃんとしゃべっていたが、さすがに23時半になって自分の席へ戻った。ぼちぼち休むことにする。



May.31.2000
無断転載を禁ず Written by HIRO.T